第9話 タイトな冒険(1)

 夜の屋外というのは不気味だ。いろいろな現象が科学で説明されるとはいっても、暗闇から得体のしれないものが目の前にあらわれるのではないかという怖れの感情が湧いてくる。どこを風が吹いているのか、遠く、あるいは上空かもしれない。ごおおぉーごおおぉーという物凄い音が聞こえてくる。自分のまわりに風が吹いていないから、なおさら不気味に感じる。

 街灯というのもよろしくない。どうせなら、ずらーっと隙間なく並べてくれればいいのに、間隔をあけて街灯が明かりをもたらすものだから、明かりと明かりの間の暗がりが気になるし、自分の影の動きがまた不気味なのだ。子供を怖がらせてなにが楽しいというのだろうか。

 特に行く当てもなく歩いているつもりが、集会所の前に出てしまった。夜の集会所、神社、公園のつながった空間というのは、ほとんど異世界、それもファンタジックなというより、魑魅魍魎的な異世界なのだ。広大な闇の世界。落ち葉がかさかさっと音をさせながら、闇を這って向かってくる。広い空間に轟音が満ちている。逃げ出したい気分だ。

 お父さんに家を追い出された。

 広い空間というのは歓迎できない気分だけれど、誰かを頼って家に行くわけにもいかない。公園にはいってすべり台にあがり、頭を下にして台に寝そべる。冷たい。公園にも照明があって、空に星は見えない。黒い闇が口を開けて狂ったように吠えている。バイクが近くの道を走る。

 お父さんはなにをあんなに怒っていたのだろう。頼人と一緒に遊んでいただけだ。頼人の好きなトミカで遊んでやっていたのに。お父さんのことを考えても仕方ない。それに、ここにいても寒くて凍えるだけだ。あまり気が乗らないけど、歩いてみるか。夜に外をひとりで歩いたことなんてないのだ、心臓がドキドキするのも当り前だ。そうだ。弱虫だからというわけでは、決してないはずだ。寝そべったまま下まですべりおりる。立ち上がってお尻をはたいたら、よしと気合をいれて、もうどこまでも歩いてゆく覚悟だ。

 家の前の道路へ出て、歩く。荷物はなにもない。そうだ、おカネもない。お腹がすいているけれど、食べるものを買うこともできない。おカネももたせないで家を追い出すなんて、ひどいお父さんだ。コンクリートの縁石をつま先で蹴って、ちょいと飛び上がり、そのまま縁石の上を歩く。ずっと先の方が明かるく見える。きっと、あそこが大きい道路だ。両手を広げてバランスをとりながら縁石の上をゆく。

 まぶしくなった。車がこちらにやってくるのだ。縁石をおりて歩道にもどる。車にひかれたくはないし、運転手に怒鳴られたくもない。車が通りすぎてから縁石にぴょんと両足をそろえてあがる。頭がすーすーすると思ったら、帽子をかぶっていなかった。通学の時は通学帽、遊ぶときはブルーの野球帽をかぶっているのが常だ、帽子がないと調子がおかしい。なんの準備もなくお父さんに追い出されたせいだ。本当にもう、全部お父さんのせいだ。

 ガシャン

 うおぉっ、ビックリした。鳥肌立ったぁ。

 犬が家の駐車場の柵に突進してきて、吠えたてている。柵はたよりないけれど、外には出てこられない。歩道の幅だけの距離がある。どうやら安全だ。そんなに吠えるなよ、前を歩くだけだろ。鳥肌がおさまるのを感じながら、歩みを再開する。つぎはなんだ。黒猫か?カラスか?未確認飛行物体か?急に出てきて驚かされなければ怖くないぞ。いや、飛行物体から宇宙人が降りてきたら腰を抜かすほど怖いかもしれないけれど。

 いまは縁石を降りて歩道を歩いている。

 やっぱりなんかきたぁ。

 上ばかり注意していたら、足もとで音がした。なにか足で蹴ったのだ。側面のいくらかへこんだジュースの空き缶だ。ゴミのポイ捨てをするな。缶を拾い上げる。どこでもジュースを飲めるというのは便利でいいのだけれど、ゴミが出るのが問題だ。人間は心の弱い生き物だ、ゴミがあったらポイとやりたくなってしまう。捨てる場所が見つかるまでとっておくということができない人は必ずいる。持ち運びのできる缶やペットボトルの飲み物の製造は禁止して、かならずお店や自宅で飲むようにすれば、ゴミをかなり減らすことができるはずだ。うん、それがいい。明日学校でみんなに教えてあげよう。

 学校か。明日学校はどうするんだろう。今日どこまで歩くかわからないけれど、明日の朝になったときに近くにある学校に行けばいいのだろうか。でも、手ぶらというか、空き缶ひとつしかもっていない状態で、勉強の道具がなにもない。知らない学校には知らない生徒ばかりいるにちがいない。それも面白いかな。知らない学校の知らない生徒に教科書を見せてもらい、ノートを一枚やぶってもらって、鉛筆を借りる。自分の学校にそんなやつがきたら面白い。きっと歓迎されるだろう。そうなると今度は楽しみになってきた。できるだけ遠くの学校がいい。北海道とか。いや、いまは冬で北海道に行くのは得策ではない。きっと雪に埋もれて、ぼくは疲れたよパトラッシュになってしまう。反対に日本に向かうのがよい。日本に行って、沖縄を目指そう。海は泳いでいけばよい。もう二十五メートル泳げるのだ。

 大きい通りにたどりついた。遠くに明るく見えてからいっぱい歩いた。車で通るときはすぐなのに、歩くと大変だ。信号は青が渡れ、赤が止まれだ。そんなことは子供のころから知っている。いま青は、大きい通りを横断する方向だ。大きい通りを歩いて行くつもりだから横断する意味はない。どっちに進もうか。左は車でもあまり通ったことがない。なにがあったかな。ジャンプして先の方を見ようとしても、暗いしよくわからない。信号を渡らずに右に行くと駅の方だ。おカネがないから電車には乗れない。信号を渡って未知の世界に進もうか。駅の方に進んでずうっと行けば相内お姉さんのガッコウがあるんだったっけ。夜もガッコウにいることが多いと相内お姉さんは言っていた。まだいるかもしれない。お別れの挨拶をして、それから沖縄を目指せばよい。よし、右だ。

 大きい通りは歩道が広い。車道との間に木が生えている。そのかわり車道も広くなっていて、車が二台並んで走れる。大きなトラックも走っている。どの車も飛ばしている。そういう道路なのだ。トラックが走ってくると空気のかたまりがぼわっとぶつかってきて、次の瞬間車道に引き込まれそうになる。道路が左にゆるくカーブしているからライトをつけた車がこちらに向かって突っ込んでくるようにして走り去ってゆく。まぶしいし、おっかない。自然と道の端を歩く。バスがウィンカーをカチカチさせてゆっくり通り過ぎていった。

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