第8話 絵本作家、泰人(2)
「それじゃ、タイトくんの作品を見せて」
テーブルの脚に立てかけたバッグから絵本を取り出して、相内お姉さんに見せる。
「おう。いいね。この、人食いペンギンという恐ろしげなタイトルなのに、肝心のペンギンが寂し気に首を折っているなんていうのはオツだね」
パリッと音をさせて表紙を開く。人食いペンギンが人工孵化器で孵化した場面だ。
「エンペラーペンギンなんだね。かわいいね。人間に育てられたんだ」
うんうんとうなづく。
「はじめは魚を食べてたんだ」
「そうだよ、まだ体が小さいもん」
「そっかー、体大きくないと人間食べらんないね」
そんなのは当たり前だ。
「あ、大きくなった!」
夜になってペンギンが成長しすぎて建物を突き破っている。建物の残骸と卵の殻、巨大化したペンギンとヒナ、生まれた場面と対応するように描いたつもりだ。相内お姉さんは気づいて、ページを行ったりきたりしている。
「すごーい。頭脳は大人だね。コナンくんみたい」
「アニメの見過ぎじゃないですか」
久保田オジサンにするどい目を向ける。
「だって、ほら。こうですよ?これとこれがこうなんですよ?こんなの大人だって思いつきませんよ」
「なるほど。子供ならではってことは?」
「子供がみんなこんなに戦略的だったらすごいですけどね」
つぎは戦闘機と戦車がやってきてペンギンを攻撃する場面だ。
「ああ、まだ人食べてないのに、攻撃されちゃうんだ。悲しいね。水族館の人は守ってくれなかったのかな」
悲しそうな目を久保田オジサンに向ける。
「ペンスケがヒドイ目に遭いそうになったら命がけでかばってあげるんですよね」
「ただのペンギンですよ?」
「久保田さんが卵から孵して育てたペンスケじゃないですか」
「じゃあ、命がけで」
「久保田さん死なないで」
「それが言いたかったんですか」
「それだけじゃありません」
またふたりだけのコントだ。ヘンな大人だ。お父さんとお母さんはこんなコントみたいなことはしない。
つぎはペンギンがギャーと叫んで人食いペンギンに変身する場面だ。
「これは、迫力満点。あー、でも惜しい」
絵本をこちらに寄せて見せる。
「ここのところ、口がギャーでどアップにして迫力満点だけど、体が入りきらなくなって小さくしたでしょ。うん、口がドアップで、体は下に行くほど小さくなるんだけど、これは無理に体全部をいれようとしてやりすぎちゃったんだね。はいりきらなくてもいいんだよ?むしろはみ出るくらいの方が迫力は表現できるんだ。紙のことなんか気にしないで、描きたいように描くんだよ」
「それと、ペンギンのクチバシに歯は生えてないぞ」
「久保田さんは黙ってて。そんなのは問題じゃないんだから」
「えー、大問題でしょ」
「だって、もう建物よりデッカクなってんですよ、ペンギン」
「デッカクはなっても、まあ許せるけど、歯が生えたらダメでしょ」
「いいの、表現なんだから」
「そうですか。でもね、クチバシの中にねギザギザが」
「もう、黙っててください、久保田さんは」
「はい」
久保田オジサンはいじけて、食べ残してあったキッシュを一口に押し込んだ。
「あ、食べてる、人間。人間ちっさ。十人くらいまとめて飲み込めちゃいそう。これは、よく頑張って描いたね」
人間は真っ黒にしてシルエットで表現した。顔とか服とか描くのがメンドクサかったのだ。そのかわり、開いた口の中に落ちていく人、歯のところに引っかかっている人、口からこぼれて落ちていく人、地面には逃げ惑う人なんかをわんさか描きこんだ。ガンバって描いた。戦闘機はフリッパーで叩かれ、戦車は足で蹴りあげられている。
つぎのページは夜が明ける場面だ。ペンギンは表紙のように首を折って、下を向いている。ペンギンの背中あたりから太陽が顔をだしている。
「朝だ。朝になると大人しくなっちゃうのかな。表紙の絵だね。人は食べたけど、悲しくなって下を向いちゃってるのかな。そろそろ絵本が終わっちゃう。楽しみだけど、終わらないでーだね」
ペンギンは海に飛び込む。
「ああ、館林だからね。水族館で生まれて、大きくなって。海は近くなんだ」
ラストシーンは、南極で人食いペンギンと普通のペンギンが仲良く暮らしている場面。
「そっか。日が昇って暑くなったから海にはいって南極に帰ったんだね。オチまでちゃんとついて、絵本としての完成度も高い。よく頑張ったね」
頭をなでてくれる。気分は有頂天だ。
電話が鳴って久保田オジサンがケータイを取る。
「はい、久保田です。ああ、お母さんですね。はい、いま太田の駅のそばです。少し待ってください」
ケータイを顔から離してこちらを向く。
「お母さんに駅まで車で迎えにきてもらう?お兄さんと一緒に歩いて帰ってもいいけど」
となりのお姉さんを見上げる。
「ん?いいよ?わたしも送ってあげるよ」
「歩いてく」
よしといって、今度はケータイに向かって、送っていくから大丈夫だと言った。
「今度はわたしの番だね」
「大人げない」
「いいじゃないですか。人の作品を見るのも勉強でしょ?そうそう、久保田さんのケータイにさがってるイルカさんも、わたしの作品なんだよっ」
相内お姉さんは手を伸ばして久保田オジサンのケータイ・ストラップを手で軽くはじく。キラッと輝いて美しい。金属製の板で、イルカの形をしている。片面に何色もの色付きのガラスがはめてある。大人はすごい。感心しているところに、見ろとばかりにケータイを押しつけてくる。表示されているのは相内お姉さんの作品だ。従順な態度でケータイを受け取る。横から解説を受けながら、何枚もの画像と動画を見せられる。動画は夜の海にクラゲが浮き上がってくる映像にバイオリンの音楽がついている。
「すごいでしょー。タイトくんも大人になるまでガンバれば、こういうの作れるようになるからね」
「本当?」
「そうだよ。もうこんなすごい絵本を描けるんだもん、この調子でいったらお姉さん負けちゃうかもしれないなー」
とてもそうは思えないけれど、おだてにのっておく。子供には大人を幸せにする義務があるのだ。
おやつにキッシュを食べたばかりだからお腹はすいていない。すっかり夜になった道を相内お姉さんと手をつないで歩いてゆく。満足だ、のはずなのに。相内お姉さんのもう一方の手は久保田オジサンの手を握っている。ちぇっ。
久保田オジサンは喫茶店で家の位置を調べた。バッグの名札にある住所をケータイに入力して地図を表示したのだ。
「あ、この道。これ芸大の前の道だ。ここを曲がればタイトくんの家ということは、タイトくんの家から相内さんのガッコウまで一回曲がればついちゃうよ」
ほらといわんばかりに久保田オジサンのケータイをのぞかされる。長い線が途中でカクッとまがっている。
「距離はかなりありますね」
「たしかに、駅まで等距離くらい。タイトくんの家の方がすこし遠いかな、カクッと曲がらないといけないから」
どうやら、距離は遠いけれど、相内お姉さんのガッコウまでは一回曲がったあとの道をずっと行けばいいみたいだ。いま歩いているこの道がそうらしい。相内お姉さんが大学生だということもわかった。
「久保田さん、知ってますか。アイ・ラブ・ユーという英語の訳に、漱石は月がキレイですねとあてたんですよ」
「ほう、ロマンチックですね。でも、月が出てるときしか使えませんね。しかも、満月にちかいほうがよさそうだ」
「なにいってんですか、月が見えないのに月がキレイですねって言った方が意図が伝わるってものじゃないですか」
「意図?おれだったら、笑えない冗談だと思いますけど」
「まったく。この生物バカ」
「生物バカですか。たしかに地学や天文学は専門じゃないですけど」
「また意味わかんないこと言って。もういいです。久保田さんならアイ・ラブ・ユーの意味でなんていうんですか」
「うーん、寒いですね中はいりますか、または、暑いですね中はいりますか」
「ひきこもりですか、なんでそんなに室内が好きなんですか」
「だって、快適だし。あ、でも下心が見えすぎですか。ロマンチックじゃないか」
「なに、そういう意味ですか」
「だって、アイ・ラブ・ユーっていうほどの仲でしょ?」
「告白してすぐ押し倒すんですか」
「子供が聞いてますよ」
「すぐそうやって逃げる」
「逃げてるわけじゃなくて、言葉を選んでくださいってことです」
「ふん」
久保田オジサン怒られてやんの。いい気味だ。
「あれ?タイトくん?しっかり。どうしたの、眠くなっちゃった?疲れちゃったのかな」
別に疲れてはいない。疲れてはいないけれど、フラフラするみたいだ。
「ほら、久保田さん出番ですよ」
「おんぶですか?子供は好きじゃないのに」
「その割には面倒見てるじゃないですか」
「仕方なしにですよ」
「はいはい」
つぎに気づいたときは家の玄関にはいるところだった。たぶん明るさのせいで目は覚めたけれど、眠ったままの方が都合がいいか、寝たふりをしてやりすごす。お母さんの声が起こそうとするけど、そうはいかない。根負けしてお母さんが負ぶってくれる。そのあとは本当に眠ってしまったらしく、記憶がない。
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