第4話 孤独な散歩者(2)

 公園にはもう誰もいない。すべり台の上にあがって足を投げ出してすわる。ひとりでなにをして遊んだらいいだろう。神社の方へ行って林にある大きい石をかたっぱしからひっくり返そうか。家に帰ってココアをすすりながら折り紙という案も思いついたけれど、せっかく外に出てきたのだから外で遊びたい。とりあえず一周してみるか。下まですべりおりる。

 公園から柵をまたいで越えれば神社の林にはいれる。落ち葉が地面にたまっている。粉っぽいような、草っぽいような匂いがする。歩いた感触はふかふかだ。気持ちよくはない。幹に手をかけて木の間をゆく。公園からはなれるとうす暗くなる。葉はみんな落ちている、暗くなるのは主に神社の建物のせいだ。世界は静寂に包まれている。足が落ち葉を踏みしめる音くらいしかしない。このあたりは住宅地で、もともと車の通りが少ない。

 アスカちゃんのケガは追いかけ方が悪かったせいだろうか。イロオニは乱暴な遊びというわけではない。鬼ごっこと同じくらいの危険度のはずだ。遊んでいれば転ぶことくらいある。いや、服の色をチェックしながら走ったから足がもつれてしまったのだ。やっぱりイロオニがいけなかったのかもしれない。ほかにどんな遊びがのこっているだろう。サッカーや三角ベースは危険度が高い。男の子の遊びだ。ダルマさんが転んだも走って逃げなければならない。おままごととか?女の子の遊びだ。男の子には楽しめない。縄跳びはひとりでする遊びだし。缶蹴りは危険度が高いほうだ。走って行って缶を蹴り飛ばしたり、足で押さえこんだりしなければならない。ただのかくれんぼならいいか。塩もバターも控えめのポップコーンみたいなものだ。もともとポップコーンはおいしいものではないし。

 神社の敷地の一番奥まできてしまった。目の前はコンクリートの壁。向こう側は狭い道路だ。飛び上がって腕をのばしても壁のてっぺんはそのはるか上にある。とても乗り越えることはできない。囚人になった気分だ。突き当りを折れて周囲をまわることにする。林がせばまって、神社のすぐ裏になった。神社の裏の方は日が当たってあたたかそうだ。林から出てみると、オブジェのような小さな建物が神社に隠れるようにして建っている。土台はコンクリート、細く急な階段になっていて泰人の頭の上の高さまでつづく。上に神社をちいさくしたような建物をのせている。泰人でも両手で抱えられそうなくらい小さい。屋根は黒っぽいような緑っぽいような色をして、本体部分は赤く塗られていた。いまはいくらか色あせている。階段を何段かあがりコンクリートに手をついて、顔をミニ神社に近づける。小さいのによくできている。神社の裏にこんなものがあることをはじめて知った。

 誰もいない。静かで、冷たい風が吹きつけることもない。時が止まってしまったような、世界にひとり取り残されたような気持ちが湧いてくる。ミニ神社に吸いこまれそうな気までする。すこし心臓を高鳴らせながら階段を降りる。また林にはいってすこし落ち着く。木が生きているからだろうか、世界にひとりという感覚は消えた。足を地面にこすって落ち葉を蹴りあげるようにして歩く。

 春とか夏とか、花が咲いたり虫がいたりするときは、じっとすわって花にやってくる蝶を見つめたり、地面を歩く虫を見つめたりする。時間がとまり世界はちいさくなって、虫とすぐ近くの空間しか存在しないという錯覚がする。そんなときは、泰人自身も存在しないような、小さな世界そのものになったような、そんな気分になる。でも、さっきのはちがった。

 また壁に突き当たった。集会所の壁、たしか向こう側は普通の家だ。進行方向を変えると、しばらく行った先で林が終わっている。林の外が明るく光っている。

 ここは様子がちがう。なにか、人の手が加わっているのだ。腰かけるのに都合よさそうな石があったり、石にすわったときに体の前面にあたる部分の地面は落ち葉がのぞかれて土が露出していたりする。野宿には向かない季節、一人で遊ぶ子供の仕業か。あまりプライバシーを詮索してはデリカシーに欠けるというもの。見なかったことにして進む。

 林を抜けて、集会所の脇にでた。よく見知った場所にもどってきたことで、ほっと力が抜ける。さっきまでは少し気が張っていたのだ。集会所の前面にまわりこんでも、よく知った広場で面白くない、まだ壁に沿って進み裏を探検する。

 集会所の裏はコンクリートの壁と集会所にはさまれて狭く、体を横向きにしてカニ歩きで進むしかない。砂利敷きになっていて歩きにくい。それに、ゴミが落ちている。ジュースの空き缶、お菓子の空き箱。どこかから転がってきたというわけではないだろう。集会所の窓から外に捨てたものか、集会所の外で飲食をして目立たないところに投げ捨てたものか。ロクでもない人間がいるものだ。急に暗くなってきた。木も生えていないからか、空気がよどんでいる気がする。足が踏む小石のジャリジャリいう音だけが壁に響く。足もとにライターが落ちている。ラジオ体操のように腰をまげて指先でつまみあげる。タンクの部分のプラスチックが割れて使い物にならない。もとのように落としておく。もうかなり暗くなってしまった。こんな狭いところは早く通りぬけたい。

 壁と集会所の隙間を抜け、駐輪場に出る。いつから放置されているのか、朽ち果てた自転車と上に同じくらい年月を経ているだろう雨具がかけてある。タイヤはパンクしている。もう廃棄すればいいのに。メンドクサがって誰も廃棄しないのだろう。

 駐輪場まできて視界がひらけたところから振り返る。暗くて狭い隙間になんてよくいられたものだ。気味が悪くて、もう一度ここを通れと言われても嫌だ。

 街灯がぽつぽつとついている。暗くなりはじめて間もなく真っ暗になってしまう。集会所のまえの広場も神社の方も公園も、人っ子ひとりいない。不気味な空間だ。

 冷たく乾いた空気のかたまりが、遠くの方から建物にぶつかる音をたてながらやってきて、過ぎゆく。耳もとで風の音がする。また風が吹きつけて服をなびかせ、体を押す。ちいさく一歩よろめく。帽子は手で押さえていたからなんともない。風が吹きはじめたところなのか。さっきから吹いていたけど、壁にさえぎられていて気づかなかったのか。ともかく寒い。半ズボンからでた足をこする。誰もいないし、もう帰ろう。

 暗い道を強風に吹かれながらとぼとぼ歩いてゆく。風の音がすごい迫力だ。映画館で映画でも観ているみたい。わけもなく不安になってしまう。街灯の明かりがにじんで見える。

 家の中は明るくて、暖かい。目と言わず手と言わず、全身が痺れたように環境の変化に対応しようとする。吸った空気が暖かい。ほっとする。

「遅かったじゃないの。手を洗ってきて。もうご飯食べてるんだから」

 廊下にお母さんが顔をだしている。目をうるませ、うんと返事をして洗面所で手を洗う。生暖かい水に手がじんじんする。タオルの感触がやさしい。ここが人間の世界だ。人類は滅びていなかった。

 夕食は、あまりおいしくない。お母さんは料理が得意ではないのだ。給食のほうが断然おいしい。プロが作るのだから当たり前かもしれないけれど。お母さんはなんのプロだろう。仕事かな。

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