第2話 人食いペンギン(2)

「パパとママはどうしたの?」

 お姉さんがとなりのソファにすわってニコニコ顔で聞いてくる。なにかいいことがあったのかもしれない。チョコレートでも拾ったかな?拾った食べ物を口にするときは、毒が仕込まれているかもしれない、できるだけ大人のいるところで食べた方がよい。処置が早ければ命を拾える。生活の知恵だ。

 テーブルに移動された帽子を見つめる。

「パパとママは、地震で海に」

「だれに水族館に連れてきてもらったの?」

 お姉さんの顔が晴れからにわかに曇りだしてしまった。雨の心配はないけれど。

「オジちゃんとオバちゃん」

「オジちゃんとオバちゃんはやさしくしてくれるか?」

 今度は久保田オジサンに顔を向ける。

「うん、やさしいよ。怒ると怖いけど、ぼくが悪い子だからいけないんだ」

「怖いって、どういう風に怒るんだ」

「棒でぶったり、ごはん抜きとかだよ」

 ゆっくりお姉さんが抱き締めてくる。久保田オジサンは、少しのあいだ机のひきだしをかき混ぜていた。もどってきて、帽子になにかしている。テーブルにもどされた帽子にはバッヂがついていた。ペンギンのバッヂで、足もとにヒナがくっついている。エンペラーペンギンだ。

 ドアをノックする音。咳払い。ドアがほそく開く。顔を出したのは、強面のオジサン。

「いいかい」

「大丈夫です。なんか、すみません」

「いや、なんつうか。よかったじゃねえか。な?」

 誰に同意をもとめているのかわからない。大人たちの顔を見比べる。久保田のオジサンとお姉さんは顔が赤い。

「それで、その子の家族をつれてきたぞ」

「ああ、オジサンとオバサンですね?」

「え?そうなのか?」

 強面のオジサンがドアを大きく開いて部屋にはいってくる。つづいてお父さんとお母さん、頼人もいる。久保田オジサンは立ちあがる。

「すみません。ご迷惑をおかけして。イルカのショーが終わって集合場所に行ったんですけど、あらわれなくて。アチコチ探していたら放送があったものですから」

 よその人と話すとき、お母さんは愛想がよい。

「ああ、タイトくんがペンギンツアーのあいだ、イルカ・ショーを、お子さんといっしょに」

「ええ、この子がイルカがいいっていうものですから。泰人はひとりでも大丈夫だと思って。なにかあったんでしょうか?」

 頼人の頭をお腹に押しつけている。もう眠いのかもしれない。

「タイトくんがお菓子をペンギンの水槽にもちこみまして。そのせいか、ペンギンが興奮してタイトくんにのしかかってしまったんです。さいわいすぐに発見して助け起こしたんですけど、保護者の方にお話ししておいた方がいいと思いまして。ケガはないと思うんですけど」

「まあまあ、すみません。ご迷惑をおかけして」

 お母さんがペコっと頭を下げる。

「ペンギンは大丈夫でしたか」

「はい。それは大丈夫です。差し出がましいことを言うようですけれど。タイトくんを引き取ったのならもう少し責任をもって面倒を見てあげたらどうなんですか。そりゃ、自分の子供が小さくてかわいいというのはわかりますけど、そういうことも想定して引き取ったんだと思うし」

 久保田オジサンはむっつりしている。お父さんとお母さんは顔を見合わせている。ココアを飲み終わったコップを目の前のテーブルにそっと置き、ソファから立ち上がる。

「あれー、タイトくん。立ち上がってどこに行くのかな?」

 お姉さんに胸の前で捕まえられてしまった。抱きすくめられたまま話の輪の中に押し出されてしまう。ちょっと用事を思いついたのだけれど。

「ええと、泰人を引き取ったと言うと」

 すこしの沈黙。

「すみません。また泰人がなにか」

 お父さんが申し訳なさそうに頭をさげる。いたっ。頭をこづかれた。

「よかったぁ、お父さんとお母さんなんですね。ご両親が地震で海に飲まれて亡くなったと。それで、オジさんとオバさんに引き取られてるんだと早とちりしちゃいました」

「え、なに?お父さんとお母さんなの?」

 久保田オジサンはキョロキョロしている。人は簡単に冷静さを失ってしまうものだ。普段ならすぐに理解できることでも、冷静でなければ受け入れることができない。

「ああっ!相内さん」

「なんでしょう」

「地震があったのは何年前ですか」

「たしか十一年、あれ?地震があった日を過ぎたから十二年かな?」

「このタイトくんは七歳ですよ。十一年も十二年も前にご両親が亡くなってたら、タイトくんは生まれることができません」

「なるほど!さすが久保田さん。気づくのが遅すぎです」

「面目ない」

 久保田オジサンはしょんぼりしてしまった。

「泰人は私たちの実の息子です。この子は想像力がたくましいというか、よくお話をつくって聞かせてくれるんです。

 学校のお友だちにも聞かせるみたいなんですが、話しているうちに現実とお話の区別がつかなくなるみたいで、最近はウソツキと思われてしまってるようなんです。だから、お友だちとの付き合いもなくなってしまって。お友だちがいないんです」

 相内お姉さんはまだ放してくれない。おっぱいがやわらかいのは気持ちがいいのだけれど、両親の前だと思うと逃げたくなる。それに、頭の中がおっぱいでおっぱいに、もとい、おっぱいでいっぱいになってしまう。おっぱいおっぱい。このままではいけない。

「お父さん、この水族館に人食いペンギンがいるんだよ」

 相内お姉さんのおっぱいからやっと逃れ、オジサンと話していたお父さんの足にしがみついて見上げる。

「そうか。じゃ、帰ったら人食いペンギンのお話を絵本にしよう」

 頭をなでられ、片手で抱えあげられる。おお、高い。頼人の頭がすぐ足元だ。蹴ってくれといわんばかりだ。いや、届かなかった。目は久保田オジサンと同じくらいの高さだ。オジサンは生ぬるいドクターペッパーでも味わっているような顔をしている。

 相内お姉さんはもう立ち上がっている。おっぱいを見下ろす。さっきまであそこにいたのだと思うと感慨深い。お母さんのお腹から出てきたときもきっとこんな気分だったのだろう。成長のためには安穏とした心地よい居場所に別れを告げなければならない。しかも、男の子は涙を流すことも許されないのだ。男の子だから生まれたときもきっと涙をこらえたはずだ。

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