【中】供物生産工場

 ——ドンドンドンッ!


 物音がして目を覚ました。

 猪か!? 熊か!? と錯乱している状態で木田宮きたみやの視界に飛び込んできたのは、少女の顔だった。乱れた髪に泣き顔で必死に訴えるようにして窓を叩いている。


「お願いします! 助けてください!」


 少女は衣服をまとっていなかった。月光にしらんだ肌は、よくよく見るとそこかしこに傷のようなものがあった。まだいとけなさが抜けきらぬ15歳くらいの相貌そうぼうだ。そんな子が泣きながら救助を求めている。助けなければいけないと言う使命感と同時に、得も言われぬ危機感を覚える。当たり前だ。異常事態だ。まっとうな神経をしていたら、扉を開けて迎え入れられるわけがない。窓越しにはわからないが、扉を開けた瞬間にナイフを突きつけられる可能性だって充分に考えられる。


(どうする)


「ぐぇっ!」


 逡巡しゅんじゅんのさなかに少女の鈍い叫びが聞こえた。見ると、首を手で押さえていた。その首には首輪のようなものが付けられており、鎖が伸びていた。その先には闇があるばかり。闇夜の中では彼女の鎖を引っ張っているのが人なのかどうかも判然としない。やがて少女は鎖で引っ張られる力に負けて、暗闇の中に消えて行った。

 木田宮は少女を追いかけられずに車の中で固まっていた。もしかしたら少女を引っ張って行った者が現れるかもしれない。そうなったら自分はどうなるのか。そんなことを考え始めると、視線は暗闇に張り付けられてしまって、動かすこともできなかった。浅い呼吸で窓ガラスが曇りきるころ、ようやく朝日の茜色で木田宮は我に返った。


 いったいどれだけの時間そこに縛り付けられていたのだろう。


 木田宮はこの先の選択を迫られた。ここから逃げるか、少女の無事を確かめに行くか。圏外のここからでは警察に連絡することも叶わない。とにかくいったん村長に話をするのがベターだろう。そこで電話を借りることもできる。



※  ※  ※  ※



「夜な夜な裸の少女を見た、と」

「ええ。私があたふたしている間に誰かに連れ去られてしまいました」

「なにかの見間違えでは?」

「声も聞いていますから間違いありません。電話を借りられませんか?」

「残念ながらこの村に電話はないのです。どうするおつもりですか?」

「警察に連絡をしないと。ここで連絡できないなら、降りて連絡をします」


 そう言うと村長は顎髭あごひげを撫でて低く唸る。


「やめておいた方がよろしいでしょう。あなたのためになりません」

「どういうことです? やっぱり昨晩の少女のことを村長はご存じなのではないですか?」


 彼はたっぷりと思案にふけったあと、深く息を吐いた。


「まあ、警察に連絡するつもりなら、あなたにはちゃんと見てもらっても良いでしょう。いずれにせよ通報することはできないと思いますから」


 彼の言葉の文脈から、木田宮きたみやの勘違いを正してくれるような雰囲気を読み取れた。もしもそうならその方が良い。あれほど現実的な幻覚などないとは思うが、なにかしらのトリックがあるならそれを知りたい。


「ついてきなさい」



※  ※  ※  ※



 木田宮きたみやが村長に連れていかれたのは、この村の神社だった。


「まずはここの地主じぬしがみ様をご紹介いたします」


 一礼するので木田宮もそれにならった。


「我々の村は、この地主神様のご加護により無災害でいられます。村ができ、おやしろが建てられたときからただの一度も災害に遭ったことがありません」


 村長は神社に隣接している建物の中に進んでいった。その中はまるで病院のような雰囲気だった。消毒液の匂いと、スリッパが床を打つ音が響いていた。すれ違う人も患者が入院中に着るような寝巻のような格好をしていた。

 何人かとすれ違ってあることに気付く。すれ違う人全員が妊婦だ。


「ここは産婦人科なのですか?」


 神社の横に併設されているなんておかしい。そう思いながらも木田宮は問うた。


「いえ。供物くもつ生産工場です」

「工場?」

「ええ」


(いや、その前になにかおかしなことを言っていたような)

 木田宮の表情が凍り付く。


「供物って……」

「神へのお供え物ですね。ここは、生贄を製造する場所です」

「いけ……にえ」


 木田宮は村長の言っている意味を飲み込めず、鼓膜から入った言葉をそのまま口から出すように言った。


「先ほどの地主神様に捧げるための生命を作っているのです」


 言っている意味がようやくわかり、木田宮の胸中に激しい憎悪が湧きたった。


「作っているって、あなたねえ!」

「声を荒げないでください」


 歩きながら続ける。


「地主神様は生贄を捧げさえすればどんな災害からも我々を守ってくれるお方です。ですから私たちはその生贄を絶やさぬように製造し続けているのです。仏壇に供えるご飯を毎日取り換えるように、毎月若い女を捧げているのです」


 若い女。昨夜の少女を思い出す。


「まさか……」

「ええ、ご想像の通りですよ」

「あんな子供をにえにしたのか!?」


 木田宮は拳を握って村長に詰め寄ったが、彼は両掌をこちらに向けて落ち着いた雰囲気を放つ。


「落ち着いてください。今あなたが私に害をなすようなことをすれば、天罰がくだりますよ」


 木田宮は天罰など信じていなかったが、確かに今この男を殴ったところでなにも解決はしない。寧ろ情報を洗いざらい吐いてもらって、この現実を世間に知らしめた方がいい。そうすれば供物生産工場などと言う狂った施設も潰すことができる。


「ここが性交室」


 扉の向こうから若い女性の声が聞えて来た。部屋の名前とその現象だけでここでなにが行われているのかはわかった。


「ここが分娩室」


 扉の向こうから赤ん坊の泣き声がした。


「そしてここが供物室」


 扉の向こうを窺い知ることはできないが、取りつけられた扉のと扉の間隔を考えるとここが一番大きな部屋のように思えた。


「この村で女に生まれた者は、生贄になるか子を産み続ける役割を与えられます」


 怖気おぞけが走る話だ。淡々とした口調が、逆にそれが真実であることを語っていた。


「男は?」

「女に食わせるために、畜産と農作業に従事します。子育てにも参加しますし、家事も男がやります。加えて、子供が生まれ過ぎて一年に取れる農作物や畜産物を人口が上回ってしまったときは、男を殺します。実際昨日あなたと話していた人は、今日の朝バラシて豚の餌にしました」


 目の前に突き付けられた事実に衝撃を受け、胃の中からせり上がってくるものを感じたが、それを必死に抑えた。

 昨日笑顔で話していたあの老人が、今はもういない。この村に生まれて良かったと言っていたあの笑顔をもう見ることはできない。

 村長はさもありなんといった様子でいる。こんなことが自然に繰り返されていると言うことだ。


「こんなことしていいと思っているのですか」


 細い声で問いかけた。大声を出すと今にも吐いてしまいそうだった。


「これは世界の縮図ですよ。誰かが誰かのために犠牲になり続ける。あなたが暮らす社会では、誰も生贄にならずに、誰も働かずに、誰も殺されずに居ますか?」

「働いたり殺されたりってのは、確かにありますよ。でも、生贄なんて」

「言葉が非日常的だと受け入れ難いでしょうね。端的に言えば、大きな力のために犠牲になる人のことです。そういった人は周りにいませんか? 例えば企業のために自分のプライベートの時間を犠牲にして残業をする人。例えば国のプロジェクトのために落下する危険を顧みず高所作業をする人。例えば人々の食を支えるために沈没する危険性を知りながら荒れる海に向かう人。例えば事故を未然に防ぐために車に轢かれるかもしれないのに冷たい雨の降る中赤色灯せきしょくとうを振る人。どうです? 一人も見かけたことはありませんか?」


 それらの人々を生贄として認識したことはない。しかし確かに犠牲なのかもしれない。彼らは命懸けで人々の役に立つために働いている。村長からしてみればここで供物になる人たちとそれらの人々は変わりないと言うことらしい。


「それぞれが役割を与えられ、その境遇の中でもがき苦しみながらも次の世代に繋げていく。そして私やその子孫たちはこの社会体系を崩さないように管理していく。それは、あなたが見て来た社会とどこがどう違いますか? 我々は我々の社会と信仰を大切にしているだけです」

「それがこの村の総意のように言わないでくださいよ。昨晩の少女は泣いていたんですよ?」

「そう言う人も現れるでしょう。残業が嫌で泣く人もいますから。でも、企業のためと言って嬉々として残る人もいる。この部屋に耳を当ててごらんなさい」


 供物室の壁に耳を当てた。中からは女性たちの楽しそうな声が聞こえてくる。


「ほとんどの者がこの村の体系に疑問を抱かず、受け入れ、寧ろ守るために働いています。自分の意思でこの村に居ることを選んでいるのです。昨晩の一件はレアケースです。もちろん彼女の悲しみも否定しません。悲しいことを本当は喜ばしいことなのだと言って聞かせるほど、我々も非道ではありませんから」


 厳格な顔つきとやさしげな声色で言った。心の底からそう思っているのだろう。しかし彼にとっての正道は理解できない。


「この村であなたの間違いをどれだけ叫んだところで誰も理解してくれないことだけは理解しました。だけど事実だけを述べるなら、この村ではひと月に一回女の子が殺され、そうでない女は出産を強要され、男は強制労働に従事させられている。これは法的に見て絶対におかしい」

「法律を犯していると言うのは重々承知の上です。しかし我々は人間ごときが決めた法律などよりも、地主神様への信仰の方が重要なのです。法律を守るために月に一回の供物をやめることは、地主神様の怒りを買うことになります。そうすれば我々は守られず、数日と経たずに滅んでしまうでしょう」


 やはり狂っている。今までいろんなトチ狂った宗教を見て来たけれど、ここまで堂に入った狂い方は始めてだ。


「あなたたちの行いを地主神が許す……いや、求めているとしても、私は許さない」


 木田宮はボイスレコーダーを取り出す。


「証拠も押さえました。それに、ここを出る前に写真も撮って帰ります。警察に言って取り合ってくれなかったとしても、これを世間に流したら一気に人が押し寄せるでしょう。そうしたらあなたたちの凶行は白日の下に晒されることになる。そうなったら地主神がどうとかそんなことはもう言えない。それこそ神が下さなかった天罰を、私が下してやりますよ!」


 そう啖呵たんかを切った。

 対して村長は相変わらず落ち着いた様子でゆっくりと頷いた。


「ご自由にどうぞ」

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