第153話 さよならターニー

「ご……ごめんなさい、クラリス様……命令を、守らなくって……」


 今にも消え入りそうなか細い声でそう呟くターニー。


 その差し出された震える手をクラリスは両手で抱きしめ、頬ずりをするように感触を確かめた。


「結局……クオスさんを取り戻すこともできずに……」


「い、いいの、もういいの、ターニー。あ、あなたはもう十分にやった。クオスもきっと分かってくれる……」


 ターニーの体は下半身が粉々に粉砕し、上半身もぼろぼろで顔にまで大きな亀裂が走っている。右目はどこかに落としたのかただの暗いくぼみがのぞくのみであり、もはや息も絶え絶えの状態であることは誰の想像にも難くない。


 事実、既に人間の体を模したターニーの循環器系は停止しており、人造脳の機能もそう間をおかずして失われるであろう。


「ごめんなさい……僕は最後の最後まで出来損ないでした……

 あれほど言われたのに、命令を無視して……」

「ち、違う……違うの!!」


 クラリスはターニーの手を放し、彼の顔の横に立って話しかける。もはや視力も失われようとしている彼にもよく見えるように。


「あ、あなたは誰よりも人間らしかった。私の自慢の息子よ!」


 そう言ってクラリスは顔をくしゃくしゃに歪め、ターニーの顔を抱きしめる。


「謝らなければいけないのは私の方。私は、自分のプライドが邪魔をして、本音を言えていなかった。だからあなたを止められなかった……」


 ターニーの瞳を見つめて話すクラリス。悲しそうな表情をしているが、しかし涙は流れない。人形の体の彼女に、涙を流すことなどできない。


「わ、私は、あなたに『命令』するんじゃなく、『お願い』すればよかったのに……

 あなたを愛しているから、失いたくないから行かないで、って……」


 その瞬間、ターニーの瞳から涙が溢れ出た。涙など流すはずのない自動人形オートマタの瞳から。


 それはひょっとすると涙ではなかったかもしれない。うっすら黄ばんだ色をしていたから、どこかの潤滑液か何かが衝撃を受けて瞳から漏れ出したものだったのかもしれない。


 しかしそれでも、二人はそれがターニーが人間である証だと思ったし、それを否定する者などここにはいない。


「ありがとう……クラリスさま……あなたのおそばで生きられて……うれしかった、です」


 それがターニーの最期の言葉であった。


 それきり彼は完全に機能停止し、二度と動くことはなかった。


 クラリスはいつまでもいつまでもターニーの顔を抱きしめていた。まるで我が子の死が受け止められないでいる母親の様に。


「三百年前の記憶なのでいまいちあやふやなところがありますが……」


 鼻にかかる様な独特な声。


「ターニー君って、クラリスさんの亡くなった弟さんでしたカ……?」


 クラリスの後ろから声をかけたのはアルテグラである。


 元々転生法はクラリスとアルテグラが共同で研究して生み出した秘術。その研究の直接の発端になったのはクラリスの弟の死であった。


 前段階として竜の魔石の特性が見つかる前に作られた自動人形オートマタ、それが現在のターニーである。


「あの時の私の技術では既に亡くなっていたターニー君をリブートすることは出来ませんでしたガ……」


 アルテグラはそこまで喋ってからしゃがみこみ、そしてクラリスに視線を合わせようとする。しかしクラリスの方は相変わらずターニーを抱きしめており、二人の視線が交錯することはない。


「ですが、今なら話は別です。もしよろしけれバ、循環器系の停止により記憶装置に甚大な被害を受けている彼から、記憶を取り出してリブートすることにチャレンジいたしましょうカ?」


 その言葉に、クラリスはゆっくりと振り向き、顔を上げてやっとアルテグラと視線を合わせた。


「そんなことが……本当に?」


 彼女の反応に気を良くしたのかアルテグラは立ち上がって胸を反らせる。


「ええもちろん! 私の記憶複製技術もあのころから格段の進歩をしていますからね。断片的な記憶からの複次線形予測と周辺金属の電磁波記録からほぼ100%の一致率の完全なレプリカントを作り出すことができますヨ」


 しばらく驚愕の意思表示で以て彼女を見つめていたクラリスであったが、しかしやがてゆっくりと俯き、そしてまた動かなくなったターニーの方を見つめた。


「いや……いいわ」


「え? なぜです?」


 クラリスはゆっくりと、ターニーの頭を撫でる。まるで母親が子供にそうするように。


「この子がレプリカントクオスの復活にこだわった理由……い、今なら分かるの」


 アルテグラは「はて、どういうことか」という表情だ。全く彼女には想像がつかないようである。


「復活しようがしまいが、この子はこの子。私の弟のターニーでもないし、ましてやリブートしたオートマタとも違う。

 わ、私がこの子にしてあげられることは、ふ、復活させることじゃない。この子の死を受け入れてあげること」


「よくわからないデスけど……そうですカ」


 いまいち納得がいっていないような返答ではあるが、しかしアルテグラは意外なほどにあっさりと引き下がった。


「アルテグラ……」


「なんです?」


「わ、私……し、七聖鍵を、抜けるわ……」


 アルテグラは両手を広げて「ええっ!?」とオーバーに驚いたリアクションをする。


「ガスタルデッロにもよろしく言っておいて。メッツァトルのところにも戻らない。ひ、一人で……考え事をしたいの。この子の死と、正面から向き合うために」


「そうですカ……残念です。あなたとは仲良くやれていると思っていたので……」


 アルテグラは残念そうに肩を落として、しかし引き留めるようなことはせず、クラリスに「さようなら」と告げると、その場を去っていった。


 クラリスは動かない。


 ただ愛おしそうにターニーの頭を撫でていた。


「もしも、メッツァトルに会っていなければ、こんな風には思わなかったかもしれない。

 もしも、アルグスがクオスを復活させる選択をしていたら、こんな道は選ばなかったかもしれない。

 あの時、初めて『羨ましい』と心の奥底で思ったんだ。短い時の中で生き、命と向き合う人間の姿を」

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