第142話 スナップドラゴン
「く……いったい、何が……」
どうやらティアグラは気を失っていたらしい。
幸いにしてトルトゥーガの直撃は免れたものの、しかし彼女は自分の体ががれきの下敷きになって身動きが取れないことに気付いた。
「くそっ、なんてこと! 無茶苦茶するわねあの男……」
掌で瓦礫を押しのけようとするが、しかしそんな事では当然瓦礫は動かない。ティアグラは頭を左右に振り、辺りに味方がいないのかを確認する。確か近くには自分の配下の衛兵が何人もいたはずである。
しかし大声で仲間を呼べばあの狂戦士にも居場所がバレてしまう。
そんな時、一人の女性がティアグラの視界に入った。
「レタッサ――!!」
――――――――――――――――
「そこまでだ、アルグス」
荒れ狂う狂戦士の肩が背後から叩かれる。
その刹那、振り向きざまにアルグスは右腕でその人物を払いのけようとするが、一瞬霧のように姿が歪んだかと思うと、半歩分だけ下がって裏拳を避けた。
「イチェマルク……何なんだその服装」
それだけ呟くとアルグスは疲労のあまりその場に膝をつく。制御を失ったトルトゥーガががらんがらんと音を立てて転がる。
「ああ……僕は……僕はなんてダメな奴なんだ。仲間の一人も守ることができなくて、何が勇者だ!!」
体の動きを止めたことで不安な、自分を責める気持ちが噴出してしまったのだ。両手を地面について涙を流す。幼子のようなその姿に、町を救った英雄の面影はない。
「左腕を怪我しているな……仲間の元に戻って手当てをしてもらうんだ。ティアグラは強い。倒すんなら万全の構えを取らなきゃならない。アルマー!」
イチェマルクがアルマーを呼ぶと彼はすぐに現れ、立ち上がることもできなくなっていたアルグスに肩を貸し、マッピ達のいる方に歩いて行った。
「……ティアグラは、どこへ行った? レタッサは転生先として確保していると聞いたが、こんな状況になって気が変わるかもしれん。
奴が
イチェマルクはゆっくりと辺りを見回す。確かに、アルグスは最初の一撃をティアグラを狙ってトルトゥーガを投擲したはず。で、あるならばそう遠くない位置に彼女はいるはずなのだ。
「これを機に奴を仕留めねば……」
――――――――――――――――
「よかった、レタッサ……生きていたのね」
聖女は、微笑んだ。
「ティアグラ様……ッ!!」
レタッサは瓦礫の崩落に自身も巻き込まれてけがを負っていたが、しかし動けないほどではない。一方のティアグラはどうやら瓦礫に体を挟まれてしまって身動きが取れないようである。
「大丈夫ですか、ティアグラ様」
「ええ、大丈夫よ。でも、自分の力だけでは脱出できそうにないわ……」
レタッサはすぐに駆け寄って瓦礫をどけようとするが、しかし如何に冒険者と言えども女一人の力でどかせられるような重量ではない。
彼女は辺りを見回す。
見える範囲には味方……ティアグラの私兵はいないようだ。彼らも瓦礫に巻き込まれたのか、それとももはやあの勇者アルグスに始末されてしまったのか……
破壊の音はどうやらやんだようであるが、しかしあれほどまでに怒り狂ったアルグスがそうそう簡単にティアグラの殺害を諦めるとは思えない。おそらくはこれ以上暴れれば死体の確認ができなくなると考えての事だろう、とレタッサは考える。
「ティアグラ! どこだ!!」
遠くで聞き覚えのある声が聞こえる。しかしアルグスの声ではない。
「……これは、イチェマルク様の声」
瓦礫の陰からこっそりと外を覗くと、ぴちぴちの丈の短いワンピースを着たイチェマルクが必死な顔で自分達を探している姿が目に入った。
「さっきよりも酷い格好になってる……あれならまだ全裸の方が」
「イチェマルクにも嫌われたものね……」
自嘲気味に笑うティアグラ。その悲しげな表情にレタッサは胸が締め付けられるようだった。彼女からしてみれば、物心ついた時から憧れ、尊敬していた、女神なのだ。それがパステルカラーのぴちぴちワンピースを着た仲間から命を狙われるような事態に陥っている。
イチェマルクから事のあらましを聞いてはいるものの、しかしそれを信じてしまっていいのか、という気持ちが日に日に強まっていっていたところへの、この騒乱である。
「レタッサ、いないのか!」
びくりと体を揺らす。
そうだ。
もう答えを引き延ばすことは出来ない。ここ数日、ティアグラとイチェマルクの間で揺れていた彼女の心……どちらを信じたらいいのか。それにももう答えを出すべき時が来ているのだ。
いつまでもモラトリアム期間は続かない。ティアグラを信じ、彼女を助けるのか、それともワンピースを信じてティアグラを殺すのか。
だがまだ揺れ動いている。あの賢者……ドラーガ・ノートはティアグラと同じSランクの冒険者だというのに仲間のためには土下座することも厭わなかった。本当は普段から土下座ばっかりしているのだが、もちろんレタッサはそんなことは知らない。
目の前にいるティアグラは、もしレタッサに危機が訪れたら、同じように身を挺して自分を守ってくれるのだろうか。
ひとつ、彼女の中にある考えが浮かんだ。
もし、イチェマルクの言うことが正しく、ティアグラが自分の事を転生先の素体にしようとしているのならば。
もしそうならば、瓦礫に挟まれて身動きの取れない絶望的な状況。
必ずや、本性を現すはずなのだ。後がないのだから。
敵に追い詰められ、イチェマルクとアルグスが瓦礫の向こうにいる。そんな状況であるならば、もしティアグラがあの賢者ドラーガの言ったように「悪魔」だったなら必ずや本性を現し、早く自分を助け出すように急かすはず。焦りを見せるはず。
もしティアグラがその「悪魔」の本性を見せたならば、自分は何の迷いもなくイチェマルクに助けを求めることができる。レタッサはそう考えだのだ。
「れ……レタッサ……」
苦しそうな声で、ティアグラが声を発した。
「逃げて……レタッサ」
頭の中にかかっていた靄が吹き飛ばされるような、そんな感覚があった。
自分はいったい何を迷っていたのか。
子が母を助けることなど当たり前の事ではないか。ましてや聖女を。
迷うことなどあろうはずがない。
彼女は腰に差していた剣を鞘ごと外し、瓦礫の隙間にかんで、てこの原理で必死で押し上げようとしながら答える。
「逃げません。この体も、魂も、全てティアグラ様のために使います! ティアグラ様に忠誠を誓います!!」
その瞬間、ティアグラの顔に笑みが宿った。
もはや、隠そうともしない邪悪な笑みが。
「契・約・成・立」
「……なにを?」
思わず聞き返すレタッサ。
ティアグラが何を言ったのか、全く理解が及ばなかった。ティアグラは小さな声で呪文を唱え始める。
「忌まわしき呪いに拠りて、汝が
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