第141話 虎の尾を踏む
「こ……この女の子が……クオスさん?」
私は、横たわり、既に目を開くことはない少女の遺体を見つめる。イリスウーフさんの言うことがもしも正しいのなら、性自認と実際の性別を合わせるために……転生法を?
でもなぜ私達に攻撃を仕掛けてきたのか……ドラーガさんは「ティアグラがすべて悪い」と言っていたけど。
私は取り巻き達を引き連れて現れたティアグラの方を見る。彼女は冷たい目でクオスさんと、そしてアルグスさんを見つめている。その表情から考えを伺い知ることは、できない。
(クオス……思ったよりも使えない奴ね。一人も始末できていないじゃない。素性を現して戦えばやれただろうに、この調子だと殺してから素性が分かった、ってところか)
一瞬ティアグラの顔に笑みが宿ったような気がした。
(まあ、せいぜいアルグスの心に罪悪感を植え付けるのに利用させてもらうとするか)
「裏切り者は許さないっていうことかしら? かつての仲間に、ひどい仕打ちをするものね、メッツァトルは」
「てめぇ……」
ドラーガさんが眉間に皺をよせ、怒りをにじませる。彼がここまで怒りをあらわにするのは初めて見た。アルグスさんは跪いたまま、クオスさんの亡骸を見つめて何かぶつぶつと呟いている。
この女、やっぱり人間の女性に姿を変えたクオスさんを囲い込んでいたのか。
だからあれほど「エルフのクオスという人物は知らない」と念押しするように言っていたんだ。人をあざ笑うように。
彼女の隣にはまだレタッサさんが控えている。気づいて、レタッサさん。その女の悪辣さに。いや、レタッサさんだけじゃない。仔細は分からずとも、周りの衛兵達も事のあらましは分かったはずだ。
転生法の事を知らなかったとしても、その悪魔が、メッツァトルのメンバーを言葉巧みに操り仲違いさせ、殺し合わせたのだという事を。自分達はそんな奴に使われているのだという事を、その意味を考えてくれるだろうか。
「ゆるさない……」
それは、恐ろしく感情の欠如した声のように聞こえた。
ゆらりと立ち上がるアルグスさん。ぎろりとティアグラを睨みつけるのだが、しかしその表情にも怒気は感じられず、目の焦点もあっていない。
ただただ、呆然自失。自分を見失っているように見える。大丈夫なんだろうか、彼は今、戦える状態なんだろうか。
「許さないから何だっていうの? 私の事もクオスさんみたいに殺すのかしら? 私はただ、自分の屋敷に不法侵入した賊どもを追っていただけ……」
「あああぁぁぁッ!!」
いつもの左手ではない。怪我をしているのか、左手はだらりと垂れ下がったまま、右手でトルトゥーガと振り回す。
「キャアッ!!」
全く交渉の余地も、会話の隙も無いとは考えていなかったのだろうか。ティアグラは体勢を崩し、トルトゥーガは彼女目がけて飛んでいく。直撃はしなかったものの、周囲の建造物を粉々に破壊した。
「よくも! よくもクオスをぉッ!!」
既に彼は錯乱状態にあると言っていいのかもしれない。それともいつもは左手で扱っているのに右手だからなのか。
狙いも無茶苦茶、スタミナの配分も何もない。やたらめったらにトルトゥーガを振り回し、周囲の建物を粉々に破壊し尽くしていく。私達ですらそれから逃げるので精いっぱいだ。
このままでは瓦礫に飲み込まれてしまう。私はクオスさんの遺体を抱き上げて、みんなと一緒に安全な場所まで逃げる。
「どこだ! どこに逃げたティアグラ!!」
虎の尾を踏むとはこういうことを言うのだろうか。アルグスさんはまるで周りの物が見えていないかのように無茶苦茶にトルトゥーガを振り回して破壊の限りを尽くしている。
「あんな攻撃が長くは続かない。スタミナが切れたらマッピ、お前が行って説得しろ」
なんと? ドラーガさん? 私にあの化け物に突っ込んでいけと? 自分で行けよ。
「いいか、マッピ。これはお前じゃないと出来ない事なんだ」
私じゃないとできない……それは、いったいどういう事だろう。
「あの……あれだ。その……なんだ、お前、アレじゃん」
何も考えてなかったなコイツ。自分が行きたくないだけか。
「俺が行こう」
ぽん、と誰かが私の後ろから肩を叩く。その声に振り向くと、そこにいたのは水色のワンピースを着た男性。
「まだ持ってたんですかそのワンピース……っていうかなんでそれ着てるんですか! 今日会った時に着てたチュニックはどうしたんですか!」
「アルマーに『着替えを出してくれ』と言ったらなぜかこれしか持っていなくて……時間がない。今そこはスルーしてくれ」
ほんっとコイツ、出てくるたびにさァ……クオスさんの遺体を抱えていなければ股間を蹴り上げてやるところだけど、命拾いしたな、イチェマルクさん。
「俺の能力ならすぐにでも行ける。それに、レタッサを助け出さなければならん」
そうだ。結局クオスさんを助けることは出来なかったけれども、まだ私達はレタッサさんを助けなければ、「孤児院」の「卒業生」のみんなを助けなければならないんだ。レタッサさんはさっきの周囲の建物の崩壊に巻き込まれてティアグラと共に行方不明だ。捜索するにはまず荒れ狂うアルグスさんを止めないと。
イチェマルクさんは振り返るようにアルグスさんの方を向くと、すぐさま全速力で走って移動していった。
「本当に……本当に、これがクオスなの?」
クオスさんを抱きかかえている私にアンセさんが「信じられない」といった表情で尋ねてくる。
私だって、信じられない……いや、信じたくはない。それでも……
「俺が……もっと早く気付いてやるべきだった」
ドラーガさんが自責の言葉を吐く。珍しい、というか初めて聞いた。この人でも「自分が悪い」と思うことがあるのか。
でも正直私達にも責任はある。クオスさんが自分の性別に悩んでいたことは知っていたのに、どこか笑い話の様に受け止めていた。真剣に考えていなかったと言ってもいいかもしれない。
そしてそんなところに「転生法」を携えてアルテグラが現れた。
おそらくは今までの人生で何度も憧れながら、しかし「そんなことは無理だ」と押しとどめていた欲望。
「女性に生まれ変わりたい」
諦めていたからこそ、無理だと思っていたからこそ、不意に現れたその「チャンス」に容易に魅入られてしまったのだ。クオスさんは。
そして、私達はそれに気づいてあげることができなかった。
あの会食の時にクオスさんの異変に気付いていれば、こんな事態は避けられたのかもしれない。
そしておそらく、転生法を実行したクオスさんは落ち着いて考えて、自分の犯してしまった過ちにようやく気が付いた。ネガティブな彼女の事だから、きっと一人で思い悩んだことだろう。
そんな時にティアグラが現れて、彼女の弱みに付け込み操っていたのだろうという事は容易に想像がつく。
ティアグラ、あいつを私は絶対に許すことができない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます