第131話 認知バイアスの妙

「私は、メッツァトルと戦えます」


 強い意思を感じさせる言葉であった。ティアグラは望み通りの言葉をクオスに吐かせることに成功したが、しかしだからと言って笑みを見せるような詰めの甘い女ではない。


「そこまで言うのなら……私は、あなたの事を応援するわ。

 メッツァトルを倒すことで、きっとあなたは第二の人生をやっと踏み出すことができるようになるのね。私はあなたが自分の人生を歩みだすためならいくらでも協力するわ」


 最後にはクオスがメッツァトルと戦う事の支援までも表明する。ここまでくれば自分の行動に疑問を持ったとしても後戻りはできない。


 最初には「返報性の原理」を利用する。


 これは他人から施しを受けた時に、「お返しをしなければならない」と強く感じる人間心理の一つである。


 なんの利害関係もないのにティアグラは無償の心でクオスに接し続けた(ように見せた)ことによって、「何か返さなければならない」と感じ、そして「これ以上迷惑はかけられない」と思い、自らメッツァトルとの戦いを口にした。


 自分を心配してくれるティアグラに無事独り立ちできることを見せ、同時に七聖鍵と敵対しているメッツァトルを倒す。これによって応えようというのだ。


 そして「メッツァトルとの戦い」をクオスが口にするとティアグラはすぐさまそれへの支援を表明した。


 もう後には引けない。「一貫性の原理」という人間心理が働く。


 これは自身の言動に一貫性を持たせたいという心理であり、特に他人に見られているときに強く表れる。社会生活を送る上で人としての一貫性を持つことで他者から高い評価を得られるという考えからである。


 そして罪の意識。


 アルグスがあれだけ転生法を非難していたのに、自分がまさに誰かの若い命を犠牲にして転生してしまったという罪悪感。それを一蹴して新しい人生を始めようというのならば、メッツァトルを亡き者にして、どこか遠くで新しい生活を始めるしかないのだ。少なくともこの時のクオスはそれしかないと思っていた。いや、いた。


 もちろんこれらの原理は誰にでも有効なわけではない。


 例えば他人からの好意を受けても全くお返しをしない奴もいるだろうし、自らの言動の一貫性の無さなどに頓着しない人間もいるだろう。ドラーガ・ノートの様に。


 しかし元々メンタルが弱く他人の目を気にし、その上精神的に参っていたクオスにはこの作戦はてきめんであったと言える。


 クオスは実際、見えないように笑みを浮かべているティアグラにも、そのティアグラの部屋を出ていく足音が妙に軽やかであったことにも全く気付かなかった。以前であれば決して見落とさなかった変化だ。


「さてと、次は……」


 クオスのマインドコントロールに確かな手ごたえを感じて、廊下に出たティアグラはうすら寒い笑みを浮かべる。


 しばらく屋敷の中を歩き回った彼女は庭の掃除をしている若い女性を見つけてほくそ笑んだ。すぐに外に出て彼女に近づいていく。女性の方もティアグラの存在に気付いて深く頭を下げる。


「頭を上げて、レタッサ。すいませんね、『ゆっくり休んで』と言ったのに掃除なんかさせてしまって」


「いえ、自分からやりたいと使用人にお願いして掃除させてもらってるんです。何もしてないよりは、何かしていた方が気がまぎれますので……」


 本当のことを言えば何もせず、誰とも話をせず、一人で部屋にこもっていてもらった方がティアグラには都合がよい。クオスの様に。その方がマインドコントロールの効果が表れやすいからだ。しかしそんな気持ちはおくびにも出さない。


「その……」


 ティアグラが自分を見つけてわざわざ庭にまで出てきたことに気付いて、レタッサは申し訳なさそうな表情をする。


「すみません。任務にも失敗してしまったというのに……生活の面倒まで見て貰って……」


「いいのよ。疲れが見えるみたいだし、しばらくはゆっくり休むといいわ」


 「任務」とは、失敗した旧カルゴシア市街でのイリスウーフ奪取作戦の事である。レタッサはティアグラの表情を窺うように顔を見ていたが、目が合うとすぐに彼女の手に視線を移した。


 いったい、どこまで気付いているのか……


 今、レタッサはティアグラを裏切り、ドラーガとイチェマルクの支配下にある。ドラーガからの指示でクオスの捜索を申し付けられると、何か動きを始めるよりも先にティアグラから声がかかった。「疲れているようだから、しばらくゆっくりするといい」と。


 結局、屋敷の中でのクオス捜索もろくにできずに、彼女はこの屋敷で半ば軟禁状態にある。


「それより、考えてくれたかしら?」


 そしてここ数日、ずっとティアグラからあることを「お願い」されている。レタッサは思わず顔を背けてしまった。


「いえ……私は……」


「私にとってあなた達は家族同然なの。特に女の子には、危険な冒険者をやめて、一市民として生きて欲しいの。分かってもらえないかしら?」


 全くレタッサには理解の及ばない展開である。ドラーガの言葉が正しいのなら、ティアグラは表面上「冒険者になるな」とは言っても、ここまで真剣に冒険者をやめるように説得することなどなかったはずなのに。


 彼女の心の中は今、疑心暗鬼の状態である。


 いったいどちらの言葉が正しいのか。


 ドラーガか、ティアグラか。


 どちらが信用できるのか。


 一度天文館に行ってセゴーの姿を遠くから見てみたが、それは確かに幼いころからの彼女の想い人、ヴァネンの姿であった。死んだはずではなかったのか。他人の空似なのか。ドラーガの言う通り「生け贄」にされたのか。それとも何か特別な事情があるのか。


 ティアグラは、ヴァネンはメッツァトルに殺されたと明言したわけではない。それを匂わせるような発言はしていたが、と、レタッサは認識している。


 仮にあれがヴァネン本人だったとして、セゴーがその体を譲り受けたのだとしても、そのためだけに殺されたのだとは限らないのではないか。そうとまで思い始めていた。


 現にイチェマルクは転生はしているが、そのために人を殺してはおらず、偶然亡くなった少年の体を拝借したと言っていた。ならばヴァネンについても同じであり、冒険者としての作戦中に死んでしまった体を再利用したという線もあるのではないか。


 認知バイアスが働いているのだ。


 たとえ情報に齟齬があろうとも、好ましくない結論を遠ざけ、心地よい感覚をもたらす肯定的な感情効果のある事実を信じたがる感情バイアスである。


 レタッサからしてみればポッと出のドラーガや最近まで嫌悪していたイチェマルクよりも、幼いころから尊敬していたティアグラの方を信じたい。


 ティアグラを信じられるという好ましい感情に結び付けられるなら、自分にとって都合のいい推測を信じてしまう。ドラーガのつきつけた「真実」は、彼女にとって、あまりにも苦い。


 このようなバイアスは自分の記憶までも操作する。「好ましい真実」に結びつけるため一貫性バイアスが働き、レタッサが思う「ティアグラのあるべき姿」を作り上げるべく過去の記憶を補正してしまう。


 ティアグラは確かにヴァネンも含め四人が冒険者に殺されたと発言していたが、もはやレタッサはそこには留意していないのだ。


 人は、苦しみに抗うことは出来ても、快楽には容易に抗えない。


 「母であるティアグラを信じたい」という気持ちは、レタッサにとってそれほどまでの快楽なのだ。

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