第115話 死刑当日

 アーサー・エモンはゆっくりとコーヒーを口に運び、カップの中のそれを飲み干すと、かちゃりと小さい音をさせてソーサーの上に置いた。


「これでよし」


「おとうさん、今日は朝ご飯いいの?」


 まだ十歳くらいの彼の子供がそう尋ねる。


「ああ……今日は『お仕事』だ」


 彼の息子は、父親の『お仕事』を知らない。もちろん表向きは鍛冶屋という事になっており、自宅に併設の仕事場にはそのための道具が一式揃っていて、普段はそこで細々と仕事をしているのは知っているのだが、しかし彼が『お仕事』という時は別の場所に出向いていって、何か別の事をしているのだ、という事しか知らない。


 そう、彼が処刑人イクスキューショナー、首切りアーサーだという事を知らないのだ。


 彼は、『お仕事』のある朝は朝食を取らない。感覚を鋭敏にして、万に一つも手先が狂ったりしないように。そして血の匂いに吐き出してしまうことが無いように。


 親から受け継ぎ、もう二十年も続けている仕事だ。今更吐くなどありえない。しかしそれでも万難を排して臨むのだ。それが人一人の人生を終わらせるという『仕事』の重みなのだと信じているから。


「仕事」の日は気が重い。それはいつもの事であるが、今日はいつにもまして。なぜなら今日の死刑囚はまだ年端もいかない娘だと聞いたからだ。


 死刑囚の罪状についてはいつの頃からか彼には知らされないようになった。知れば手先が狂うことがあるかもしれないという心遣いからによると言われる。


「行ってくる。いい子にしているんだぞ」


 ぽん、と息子の頭の上に軽く手を乗せてから、彼は刑場に向かった。



――――――――――――――――



「ま、前よりも多いですね……」


 思わず私の口から声が漏れる。緊張感から何か喋らずにはいられなかった。しかし隣にいるアルグスさんからは応えの言葉は聞けなかった。


 三日前、強姦殺人犯の処刑が行われたのと同じ刑場。しかし警護についている騎士の数は倍ほどもおり、そしてやじ馬に至っては三倍ほどもいようか。とにかくすごい数だ。


 前回の処刑が「ひえもんとり」によって惨憺たる結果となり、人々の心に恐怖心を植え付けたというのに、懲りない人達だ。


 いや、常識的に考えればここにいるほとんどの人達は前回の惨劇を知らないのだろう。


 そしてやじ馬が多い理由についてもなんとなく推測はつく。ほんの一か月ほど前に町が襲われて、噂ではその件と何か関連があると思われている人物。今一番この町でホットな人物だ。


 だが、この民衆は味方に付く。


 そう。そのためにこの数週間必死で粘り強く市民達を説得し、一人一人誤解を解いて回ったのだ。


 あとは、暴力ではなく、なるべく穏便に、騎士団を刺激しないように……イリスウーフさんを取り戻す……できるのか?


 「ひえもんとり」の件以来、正直言って私はこの狂犬集団をまともな人間として見ることができない。同じ人間とは思えないのだ。


 その騎士団「鬼シーマン's」の数も今日は前回の倍ほどいる。今度も鎧は着ていないものの、その内の半数はタワーシールドを手にしている。彼らが一体どう動くのか。


「来たよ、イリスウーフだ」


 アルグスさんの声にハッとして顔をあげる。


 いつもの黒いドレス。愁いを帯びた美しい顔。


 いつも隣で見ていた者なのに、今は手の届かない場所にある。後ろ手に両手を縛られ、突き飛ばされるように押されてよたよたと歩く。随分とやつれているように見える。満足に食べさせてもらってないのだろうか。


 まあ彼女が満足するまで食べさせるのは至難の業だけど。


 こんな時に、ドラーガさんは一体どこに……私達は現在、メッツァトルがドラーガさん以外は一人もかけることなく、そしてクラリスさんも揃っているというのに、ドラーガさんだけがいない。


 「必ず助ける」とか言ってたくせに、まさかとは思うけどこの間の「ひえもんとり」に恐れをなしてバックレた!? 私だって足が震えるほどに恐ろしいけど、我慢してここに立っているというのに。

 そして、イリスウーフさんは、もっと怖い筈なんだ。


 刑場は一段上がった木の舞台が設えてある。人が集まっても確かにそれを視認できるように。


 そして、数人の刑務官と共に壇上の上に上がっていたイリスウーフさんの後から一人の男が登ってきた。頭からすっぽりと、ズタ袋に目の部分にだけ穴をあけた覆面を被った、大柄な男。


 右手には大きな斧を手にしている。「首切りアーサー」だ。その異様な風体が視界に入ると、市民達からは「おお……」と恐怖とも感嘆ともつかない声が漏れる。元々色白なイリスウーフさんの顔色がさらに蒼白になる。そして巨大な斧に視線をやる。遠くとも、恐怖と絶望に瞳孔が開くのが分かった。


 そして最後に壇上に上がってきたのは黒装束に身を包んだ身なりのいい、おそらくは裁判官と思しき男、それに……


「まだ心を改める気はないのか、イリスウーフ?」


 七聖鍵のデュラエス。奴が立ち会うのか。


 荒い息遣いが隣から聞こえる。アルグスさん、アンセさん、そしてクオスさんとクラリスさん。


 緊張と恐怖を吹き飛ばすように、アルグスさんが大きく深呼吸を、三回した。


「行くぞ」


 刑場の真正面の、少し下がったところに私達は位置していた。先に場所取りをしていた市民達を押しのけようとした時、彼らから大きな歓声が上がった。


「殺せーッ!!」

「悪魔の化身め! 地獄に落ちろ!!」

「ここは人間の町だぞ! 化け物の忘れ形見め!!」


 私だけじゃない。みんなの顔が絶望の色に染まった。市民たちの罵声は続く。


「三百年もたてば逃げ切れると思ったか!」

「人面獣心のクソ野郎!!」

「いけーっ、淫売の息子!!」

「なめるなっ、メスブタァッ!!」


 ……おかしい、こんなはずじゃ……市民は私達の味方のはずじゃ……


 その時、たしかに、壇上のデュラエスがにやりと笑った。こちらを見下ろしながら。


 まさかとは思うけど、この市民は全員が彼の仕組んだサクラ? いや、数人でもいれば十分なのかもしれない。最初の数人が大声で罵倒すれば他の市民たちは付和雷同に流れにおもねるかもしれない。


 ……もしくは、最初っから市民はこの処刑に正義があるかどうかなど、どうでもよかったのかもしれない。思い出した。これは彼らにとってはただの娯楽なんだ。


 そうだ。今までの処刑とは違うんだ。前回の処刑とは。


 今日の死刑囚は前回のような薄汚い中年男性ではない。


 美しく、儚げな、年若い女性なのだ。尋常であればとてもではないが自分達の手の届かない、貴人の如き見目麗しき少女。それが貧民と同じように血を噴き出し、当たり前に死ぬ。


 うまくいけば「ひえもんとり」が行われるかもしれない。


 自分達よりも遥かに高尚に見える生き物が、最低最悪の殺され方をするのだ。これほどの見ものはない。


 ……許せない。


 一番恐れていたこと。娯楽として人の死が消費される。そしてその好奇の目がイリスウーフさんに注がれるのだ。

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