第114話 ひえもんとり

 首切りアーサーと思しき人物は受刑者より先に刑場に登っていた。


 覆面を被った筋骨隆々たるその男は「受刑者が逃げた」というその叫び声に後ろを振り向いたけど、それ以上の動きは見せなかった。それは恐らく「彼の仕事ではない」のだ。


 私達の目の前でこんな不手際が起こるなんて思ってもみなかった。受刑者の逃亡、公開処刑に於いて最も避けなければならない事であり、そして同時に……


「ちょうどいい、お前らがやろうとしてることのデモンストレーションじゃねえか。高みの見物を決め込もうぜ」


 ドラーガさんがニヤリと笑みを浮かべてそう言った。「お前らが」じゃないですよ、お前もやるんですよこのクソ賢者。


 しかし言っていることは正しい。土壇場からの死刑キャンセル逃亡。通称ドタキャンをキメた場合、その成功率はどの程度なのか、そしてこの山賊にしか見えない騎士団はどの程度の力を持っているのか。それが目の当たりにできるのだ。


 しかし、騎士団の反応は鈍かったように見えた。最初は。


 騎士団の男たちは「受刑者が逃亡した」という言葉に笑みを見せたのだ。そしてその後の行動はもっと異様な物だった。おそらく処刑を見物に来た市民達ですらそこまでの惨劇は望んでいなかっただろう。


 騎士団の男たちは、笑みを浮かべたまま、ベルトを緩め、剣を外して素手になったのだ。


「ひえもんとりじゃぁッ!!」


 大型肉食獣の咆哮のような野太い声。それに呼応するように騎士団の男どもが「オウッ!!」と叫ぶ。それは地響きのように刑場に響き渡った。


 それと同時に刑場をぐるっと取り囲んでいた騎士団の男たちは一斉に駆け出す。


 刑場の警護には少し不自然なところがあった。


 土壇場の裏側、舞台裏に当たる部分には柵が立てられているものの、警護の騎士は立っておらず、コの字型に取り囲んでいたのだ。まるで「ここから逃げてください」と言わんばかりに。そしてまさにその通りに受刑者は逃げ出した。柵を乗り越え草むらを駆ける。


 それを追う喜色満面の顔の騎士団の男たち。全員素手だ。何故?


 もしかすると受刑者を傷つけずに取り押さえ、確実に刑を受けさせるためだろうか。受刑者はあくまでも指定された刑を受けることで罪を償うことになる。如何に「死亡した」という結果が同じであっても、厳密には受刑して死亡したのと、逃亡するところを切り捨てるのとでは違うのだ。


 しかし……何かおかしい。何かがおかしい。楽し気に受刑者を追う騎士団の男達には、そんな「法の執行者」たる厳正な顔は見えないのだ。


「た……たすけ……」


 私達も騎士団を追って遠巻きに移動する。死刑囚からはそんな声が漏れ、私達の耳にかすかに聞こえた気がした。


 とうとう、伸び放題のざんばら髪に騎士団の男の指が絡む。すごい速さだった。もしも鎧や鎖を着込んでいれば、こうはいかなかっただろう。



 指一本でも絡めばもう後はない。少しでも速度が落ちれば次は服に指が絡み、手首を掴み、脚を掴み、オオカミの狩りのように引き倒される。


 これで終わりだと思った。連れ戻されて刑を受けさせられるのだと。だが違った。私が甘かった。


 騎士団の男たちが死刑囚の皮膚を掴む、肉を掴む。爪で引き裂き、歯で齧りつく。これはいったい!? 何が起きてるの!!


 目玉がえぐられ、歯を引き抜かれ、口を裂かれ。あっという間に逃亡した死刑囚は肉のかたまりへと変貌していく。血生臭い内臓の匂いが漂い、市民達からは悲鳴が聞こえる。当然だ。彼らが見たかったのはこんなものじゃない。


 それにしてもいったい何が起きているのか。山賊に見えた騎士団の男たちは、実はそのどちらでもなく、屍食鬼グールだったのだろうか。


 そうこうしているうちに騎士団の男たちの中央にいた者が何か赤い物を天に掲げて大声で叫んだ。


「ひえもんとりもしたッ!!」


 その言葉に騎士達は「おおっ」と声を上げ、そして歓声でもってその男を讃える。私達は訳が分からず、市民たちの中にはあまりの恐ろしさに腰を抜かして這って逃げ出そうとする者、胃の内容物を吐き出す者、失禁している者までいる。


「こ、これが、『ひえもんとり』よ……」

「え!?」


 クラリスさんの言葉に私は思わず驚嘆の声をあげる。この地獄の饗宴に正式名称があると?


「ひ、『ひえもん』とは、カルゴシアの言葉で『生臭い物』という意味で、シーマン家に伝わる奇習。

 も、元々は受刑者を走らせ、見事騎士団から逃げきれば無罪、捕まればあの通り……」


 あの通りって……嘘でしょう? 人の所業とは思えない。いやまず意味が分からない。


「ひえもんとりで捕まれば、素手によって腹を破られ、い、生きながらにそのきもを取り出される」


 意味が分からない。肝を取り出す意味も、それを素手でやる意味も。


「す、素手でやるのは、騎士達が互いを傷つけないため。そうやって生き肝を奪い合う競技を通して、騎士の勇猛さを磨くらしい。

 さ、最近は中央からあまりに残虐だと非難されて、と、取りやめていたらしいけど、どうやら偶発的な受刑者の逃亡にかこつけて、つ、続けていたのね……」


 マジで?


 いや、マジでって言うかこの目で見ちゃったんだから疑いようもないんだけどさ。


 死刑囚の人もこんなことになると知っていれば逃げたりしなかったろうなぁ……


 え? ちょっと待って? もしイリスウーフさんが刑場から逃げ出すようなことがあれば、彼女がこんな目にあうっていう事? 冗談じゃないよ!


「マッピ……マッピ」


「えっ、ハイ?」


 アルグスさんが私の名を呼んでいた。


「服の裾……いつまで掴んでるの……」


 気付けば、私は恐怖のあまり隣にいたアルグスさんのシャツの裾をぎゅっと掴んでいたのだ。そうだ、私は恐怖しているのだ。余りの事態に自分の感情にすら気付けないほど緊張していた。


 イリスウーフさんだけじゃない。


 私達も、死刑囚を逃がそうとすれば「ひえもんとり」の餌食になる可能性があるんだ。


「う……うぇ……」


 クオスさんが涙を流しながらえづいている。仕方ない、それほどの恐怖だったのだ。


「わざわざ今日の処刑に騎士団をつけたのも、ひょっとすると受刑者に逃げられたのも、全部仕組まれたことかもな」


 ドラーガさんが腕組みをしながらそう言う。


 なるほど確かにその可能性はある。そしてそれは十分に効力を発揮したのだ。私達の心の奥深くに恐怖心を受け付けるという効果を。


「フン、まっ、いよいよとなったらこの俺様が出るしかねえな」


 ドラーガさんの余裕の笑みに何か根拠はあるのだろうか。

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