第113話 殺魔武士
「では、被告イリスウーフに問う」
薄暗い法廷の中、低く、しかし澄んだ声が響く。
「なんなりと」
それに応えるは、これまた澄んだ、こちらは高い女性の声。
「いくら重大な事件であったと言えども、既に事が起きてから三百年の時が経っている。その後の被告の生活態度は品行方正、まあ、ほとんどは寝ていただけのようですが……」
中央にある裁判官達の方からは「ハハハ……」と笑い声が漏れた。その声を聞いて、検察側の男、デュラエスは満足げな笑みを浮かべる。弁護側の席には誰もいない。
茶番である。
この場を支配しているのは七聖鍵、“聖金貨の”デュラエスなのだ。検察側と裁判官には和やかな空気が流れ、しかしその空気はおぞましい悪意のかたまりとなって被告只一人に水銀のように重く注がれるのだ。
デュラエスは人差し指をぴん、と立て、イリスウーフの方を睨みながら言葉を続ける。
「三百年前の虐殺の渦中にあった凶器、『魔剣野風』。これを差し出し、人類に対しもはや敵意無しと確認できれば、この件には執行猶予を付けることを提案いたします」
「やはり、それが狙いですか! 回りくどい手を!!」
「被告は不規則発言を慎むように」
デュラエスとは違い、イリスウーフの発言に裁判官の反応は冷たい。
「あなた達のような邪悪な意図を持った人たちに、野風は渡せません」
「ほう、では罪を償う道を選ぶか?」
「も、もちろん……」
言いかけて、イリスウーフは被告席の壇にもたれかかるように倒れる。額には汗が浮かんでいる。息が荒い。三百年前の人物であるとはいえ、生きた時間はまだ小娘と言っていい長さ。幼い少女にはその重苦しい空気が耐えられないのか、それとも死の恐怖に怯えているのか。
「それで気が済むのなら、わたしを処刑すればいい……!! だが、決して野風は渡さない……ッ!!」
しかしその強い決意の瞳に法壇の裁判官たちも狼狽えているようであった。
その時、光を取り込むための天井にある窓のガラスに鳥がぶつかった。
「小鳥か……愚かな。ガラスに気付かなかったようだな……」
デュラエスは天窓を見てから、視線をイリスウーフに戻す。
「これは教訓だよ、イリスウーフ。人の領域に踏み込もうとしなければ鳥も窓にぶつかるなどという愚は犯すまい」
「……私は、そうは思いません。窓を開けてくれる人もいるはずです」
デュラエスは彼女の言葉を鼻で笑い、検察側の席に着いた。
「強情なお嬢さんだな」
席に座ると、隣に座っていたガスタルデッロがニヤリと笑って話しかけた。
「ああ。これで奴の死刑は確定だ。野風の探索が振出しに戻るのは癪だが……」
しかしその言葉をガスタルデッロは遮る。
「野風の場所なら目処がついている」
その言葉にデュラエスは目を剥く。
「なにしろ野風の制作者であり彼女の兄であるワイウードと私は懇意だったのだからな……今回の裁判でそれが確信に変わった。いずれにしろ、刑が執行されてからでよい」
――――――――――――――――
町の南の外れ。
旧カルゴシアの町との境のあたりになる。
その一角に刑場は設けられている。
どうせ人の寄り付かない呪われた地ならば、刑場もそこに押し付けてしまえという事だ。分かりやすい。しかしその人の寄り付かない刑場に今日はやたらと人が多い。理由は簡単、公開処刑が執り行われるからだ。
もちろんイリスウーフさんではない。しかしその公開処刑場に私達メッツァトルが全員集まったのには理由がある。普段ならばそんなことはないのだが、今日の処刑、カルゴシアの騎士団「鬼のシーマン's」が警護につくという噂を聞きつけたからだ。
「それではこれより、強姦殺人犯ラビドの死刑を執り行う!」
そう言って刑務官が罪状を読み上げる。この人は「首切りアーサー」ではない。
どうやら今日処刑が行われる犯罪者はこの間のスタンピードの際に混乱に乗じて強姦殺人を犯した男で、前科もあるらしい。罪状が読み上げられると五十人ほどの集まった市民達から罵声が投げかけられる。
この娯楽の少ない町では、公開処刑というのは数少ない市民の楽しみなのだ。
正義というのは、貧乏人向けの娯楽だ。
他に何も楽しみが無く、誇るものもない貧乏人たち。誇れるのはせいぜい「自分は悪人ではない」ということくらい。
そんな人たちが夢中になるのが「正義」だ。「正義」になっている間はどんな非道な行いも許される。だからこそこれから死をもって罪を償う哀れな罪人の最期に耳に入る言葉を聞くに堪えない罵倒にすることだって何の躊躇もない。何しろ正義なのだから。
しかもこれからその悪人が首を落とされるのだ。無様に命乞いをしながら。
集まった市民達は、自分が抱えている問題も、やらなきゃいけない仕事も忘れて、腹の底から「ざまぁ」と叫ぶ。近いうちにこの好奇の目がイリスウーフさんにも向けられるのかと思うと、耐えられない。
それにしても……
カルゴシアの騎士団が警護につくと聞いてきたのに、それらしい人物が全くいない。思い浮かべる騎士、馬に乗っていて、白銀の全身鎧に身を包み、ランスや家紋の入った大盾で武装した人達。
騎士道を重んじ、見目麗しい姿で剣を振り、夫人との禁じられたロマンスに身を焦がす色男……そんなイメージに値する人は、少なくとも視界に入る限りの場所には全く存在しない。もしかしてガセつかまされた?
いや、警護はいる。確かに刑場を取り囲むむつくけき男どもが。……ちょっとむくつけすぎる。
筋骨隆々たる体。
鎧は着ていない。みな普段着なのか、バラバラの服装。そしてその服では隠すこともできないはち切れそうな筋肉。ベルトと剣は携えているものの、みな無精ひげを生やしていたり、顔に傷があったり、騎士というよりはどこぞの野盗か傭兵かといった風体だ。
まさかこの人達が騎士? そんなまさか。この人達は土壇場にいる犯罪者の仲間かなんかなのじゃ……?
こいつらが仮に騎士だとしたらカルゴシアって相当なアレだよ? アレな地域だよ? っていうか警護の仕事だってのになんで誰一人として鎧を着てないの? 鎖すら着込んでなさそうなんだけど?
「や、やっぱり噂通り、カルゴシアの騎士団が出てきたね」
ドラーガさんの服のあわせから顔を出してクラリスさんがそう言った。
うそでしょ? この小汚い男たちが騎士団だっての!?
「し、シーマン家の騎士は馬に乗っていない者も多く、そのため、騎士じゃなく武士と呼ばれることもある。
ば、化け物じみた力で、悪魔をも縊り殺すことから
そんな時だった。クラリスさんに気を取られてた私達の視線の外、刑場の方から大声が聞こえた。
「待て!! 逃がすな!! 受刑者が逃げるぞ!!」
その時、たしかに騎士団の男たちの顔には笑顔が浮かんでいたのだ。
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