第93話 聖女ティアグラ

「ティアグラ様、ティアグラ様」


「どうしました、アッラ?」


 アッラと呼ばれた中年女性。この孤児院の運営責任者でもある。二人の外見を比べると、ティアグラの方がいくらか若いように見える。しかしアッラはこの孤児院出身の子供であるが、彼女が小さい頃からティアグラは孤児院の経営者であった。


 不思議な事ではあるが、アッラが問いたいことはそんな事ではない。


「ヴァネン達は、どういたしましたか?」


 アッラがそう尋ねると、ティアグラの顔に影が差し、瞳には涙をにじませた。我も我もとティアグラに話しかけていた子供達も、そのただならぬ雰囲気に押されて声を落とし、重苦しい表情となった。


「ごめんなさい、アッラ。なかなか言い出せなくて。本当は『様子を見に来た』なんて嘘なの。彼らの最期を伝えるために今日は来たの」


 目を伏せてそう呟くとまつ毛の長さが一層強調され、潤んだ瞳は神々しいとまで思えるほどに美しい。


「ティアグラ様、『最期』とは、まさか……」


 アッラは子供たちの方に向かって話しかける。


「あなた達、大切なお話があるから中に……」

「いえ、彼らにも聞いてもらった方がいいわ」


 人払いをしようとするアッラをティアグラが止めた。ティアグラはアッラではなく、子供たちに向かって話し始める。


「ヴァネン、ウルフラ、スーリィ、ヴィッケレの四人は……亡くなりました」

「そんな……!!」


 アッラが両手で口を押えて悲鳴を押し殺し、顔色が蒼白になる。子供達も事態を理解したようで、息を呑み、泣き出す者までもいる。


「……そ、それは、昨日のモンスターの襲撃によって……?」


 涙をこらえながらアッラがティアグラに尋ねる。しかしティアグラは逡巡するような仕草を見せてからかぶりを振った。


「それとは別の件になるのですが……ヴァネン達は、別の冒険者との戦いに敗れ……」


「そんな! 冒険者が冒険者を殺したって言うんですか!? いったい誰が!!」


「それは……言えません。

 言えば、『仇を討ちたい』という者も出てくるかもしれません。冒険者にもなっていない子供たちに憎しみの負の連鎖を引き継がせるわけには参りません」


 空気が一層重苦しくなる。一番小さい子供たちでさえ、思っていることは同じだった。


 「仇を討ってやる」


 しかしそれをティアグラは許さないと言ったのだ。


「その上で、何故私があなた達にこのお話をしたか、分かりますか?」


 文の形としては問いかけではあるが、しかしティアグラは彼らに問いかけているつもりなどない。続けて彼女は口を開く。


「もし、ヴァネン達のように冒険者になろうと考えているのなら、考え直してほしいからです」


 アッラも子供達も、誰もが予想していない言葉であった。当然ながら、その場にいる誰もが、ティアグラが当代最高の冒険者パーティー、七聖鍵の一員であることを知っている。


 そして実際に孤児院を『卒業』した子供達の多くが七聖鍵に憧れて冒険者を志していることもだ。


 孤児院が無ければ、子供たちは恐らくは路上で野垂れ死んでいるか、もしくは日銭を稼ぐ方法も無く、盗みを繰り返して糊口を凌ぎ、いずれは衛兵に捕まって牢屋送りになるか、市民に捕らえられて私刑に会うのは自明の理である。


 それゆえ子供達は一人の例外もなくティアグラに感謝し、憧れ、心酔している。


 そのティアグラ本人から「冒険者になどなるな」と言われたのだ。


「僕は」


 一番年嵩の、十五歳くらいの男の子が口を開いた。


「それでも僕は、冒険者になりたい。冒険者になって、ティアグラ様を、七聖鍵をお支えしたいです!」


「ダメよ! 危険だわ!!」


 強い口調で返すティアグラ。その表情は真剣に怒っているように見える。彼女がそう言うと、今度は別の、やはり年長者の少女が口を開いた。


「ティアグラ様はいつもおっしゃってるじゃないですか、自分の生き方は、自分で決めるんだ、って。私は、いや、私だけじゃない、ここにいるみんなです。この孤児院が無ければこんなに大きくなるまで生きてはいられなかったと思います。だから、冒険者になって、少しでも恩返しがしたいんです!」


「キールエ……」


 ティアグラは少女の名を呼んで、涙を流した。


 少女は自分の胸の奥に熱いものが燃えているのを感じた。使命感だけではない。


 ティアグラが経営している孤児院はここだけではない。国中に両手の指では足りぬほどの施設を抱えている。その内の一つの孤児院でしかなく、特別目立つ子供でもない自分の名前をまさか憶えているとは思わなかったのだ。


「私は……あなた達の親になったつもりでいました。けれど、親失格ですね。子供を危険な目に合わせるようでは」


「それは違います」


 ティアグラの言葉に今度は最初に意思を表明した男の子が答える。


「一人立ちできるまで育てて貰えば、子は親を支えるものです! 僕は、ティアグラ様に恩返しがしたいのです!」


 少年の声と共に、他の子供達からも我も我もと声が上がる。ティアグラは涙を指で拭い、笑顔を見せた。


 滑稽なやり取りである。


 子供達は「我こそはティアグラの忠実なしもべだ」と、「母に愛される資格のあるのは自分なのだ」と、その命を差し出して必死に主張しているのだ。


 バタン、と馬車の扉が閉められ、ティアグラは小さくため息をつく。薄暗い車内から中年男性の声がかけられた。


「どさくさに紛れてヴァネンまでメッツァトルのせいにするとはな」


 その言葉にティアグラは思わず噴き出してしまう。


「ちょ、ちょっとやめてよデュラエス。笑わせないで。外にまで笑い声が聞こえちゃうじゃないの」


 先ほどまで涙を流していたティアグラは笑いを堪えながら馬車内の椅子に座った。


 「ヴァネン」とはセゴー転生の際にその体を提供した青年の名である。その他の三人、ウルフラ、スーリィ、ヴィッケレとは前回のメッツァトルのムカフ島ダンジョン探索時に出口付近でアルグス達を襲った冒険者の名。


 手槍でアルグスを追い詰めたのがウルフラ、そのウルフラごとアルグスを刺殺しようとしたのがヴィッケレ、あと一歩のところで魔法の詠唱を止められてトルトゥーガに両断されたのがスーリィである。


 彼らはこの孤児院の『卒業生』であった。しかし薬物によって判断能力を失っていたのでもなければ魔法によって洗脳されていたわけでもない。正常な精神状態を保っていながら、自ら危険な、命を失うことを前提としたような作戦に参加したのだ。


「しかし便利なものだな。いざという時に自ら喜んで命を差し出す『奴隷』共がいるというのは」


「あら、みんながみんなそうじゃないわ。なんだかんだ言って『奴隷』になるのは6割から8割くらいよ。それにあなたの資金がなければ孤児院の経営もできない。あなたには感謝してもしきれないわ」


 先ほどから柔らかい笑みを浮かべているティアグラ。対照的にデュラエスは終始無表情で眉間に皺を寄せたままだ。彼の険しい表情はいかなる時であれ変わることはない。


「では、投資分の働きを見せてもらおうか」


 デュラエスは懐から出した金貨を眺めながらそう言った。

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