第92話 納得がしたいんだ

 ゆっくりと、ゾラは仰向けに寝転んだまま目を開いた。


 まだぶすぶすと彼の身体からは煙が上がっている。


 日が落ちて、月明りだけが私達を照らす中、辺りにはもう沙羅曼蛇サラマンダーの精霊達はいない。


「ま……負けたのか、俺は……」


 ゾラはゆっくりと眼球の動きだけで辺りを見渡す。おそらくはもう、首を持ち上げる力すら残っていないのだろう。


「無理しないでください、すぐに回復しますから」


 私がそう声をかけて治療をしようとすると、ゾラはしかしそれを制止した。


「いい……このままで……このままで十分だ」


「十分って、何とか火は消しましたけど! このままじゃ死んでしまいますよ! ゾラさんは今危険な状態なんです!!」


「本人がいいって言ってんだろ」


 私が反論しようとするとドラーガさんも私を止めた。敵だから死んだってかまわないって、そういうことなの!? 実際アンセさんも危険な状態だった。体中が重度の火傷だらけの状態で、今は私がヒールをかけて危険な状態は脱したけど、それでもまだ体力を使い果たして休んでいる状態だっていうのに。


「……俺は今、気分がいいんだ……三百年生きてきて、こんな気持ちは初めてだ」


 ゾラの口からは意外な言葉が吐かれた。


「この際だから言ってみろ」


 ドラーガさんが言葉の続きを促す。


「お前ら七聖鍵の本当の目的はなんだ」


 何を言ってるんだ、この人は?


「本当の目的って、それはさっきガスタルデッロ達から直接聞いたじゃないですか! 魔剣野風を使ってオクタストリウムを手に入れるって、アカシックレコードを手に入れるって!!」


 だが私の言葉にドラーガさんはスッ、と手を上げてそれを制止した。


「国を手に入れる? ドラゴニュートの復興? そんなくだらない目的のために人は三百年も生きられねえよ」


 その言葉を聞いてゾラは「フッ」と力なく笑った。ドラーガさんはさらに言葉を続ける。


「なんとなく『推測』することは出来るが、だが『知る』事はできねえ。なぜなら俺は所詮三十年くらいしか生きてねえからな。三百年も生きたお前らの気持ちは本当の意味では分からねえ」


 そう言ってドラーガさんは懐の中にいたクラリスさんをつまんで、息も絶え絶えのゾラの隣に置いた。


「三百年もの間、転生までして不自然に生にしがみついて、それほどまでにお前らがしたいことはなんだ? 何が本当の目的だ?」


「俺……俺達は……」


 ゆっくりと、ゆっくりと口を開く。


「ただ、納得がしたいんだ」


 彼の口から放たれたのは、その言葉だけだった。


「そうか……」


 しかしドラーガさんにはその言葉だけで十分だったようだ。


 私には分からない。闘って、憎しみ合って、こうやって殺されることが彼の『納得』できる内容だったんだろうか。でも、彼がアルグスさんやアンセさんを見る目に『憎しみ』があったのか、と言われると、それも少し違う気がしないでもない。


「こうやって……望み通り強い者と戦って、破れ、仲間達に囲まれて最期を終える……なかなか捨てたもんじゃなかったぜ? 俺の人生もよ」


 仲間達……彼は確かにそう表現した。敵対し、自分を殺す、私達の存在をそう表現した。


「クラリス……俺は」


 辛そうな表情で何とか首をまわして、目の前のクラリスさんにゾラは話しかける。


「うん、わ、分かってる……」


「ああ、俺はもう……復活は望まねえ。このまま……死なせてくれ」


 それだけ言うと、ゾラの身体から、カクン、と力が抜けていくのが感じられた。


 狂犬と呼ばれていた人間とは思えないほどの、穏やかな死に顔だった。体力の回復したアンセさんがゆっくりと、彼の瞼を撫で、瞳を閉じさせた。


 人形の表情なんてよく分からないけれども、クラリスさんは暫く悲しそうな、なんとも言えないよな表情でゾラの顔に両手をつけて彼の顔をじっと見ていた。



――――――――――――――――



 カルゴシアの町を襲ったモンスターのスタンピード。その大事件の起こった次の日に当たる。


 カルゴシアの町の外れ、西側はムカフ島から離れた位置にあるためモンスターの襲撃の影響も少ない。


 小さな孤児院。


 そこに、貴族が使うような豪華な馬車が停まっていた。御者は特筆すべきこともない普通の中年男性であったが、その警護についているのはいずれも容姿の整った美丈夫ばかりであった。


 馬車の戸が開き、美しい青年にエスコートされて降りてきたのは金髪の、白いドレスに身を包んだ美しい女性……“聖女”ティアグラ。


「わざわざこんなむさくるしいところに足をお運びいただき、ありがとうございます。ティアグラ様」


 慇懃に礼を尽くし、ティアグラを迎えるのは孤児院の責任者である中年の女性。彼女に対し、ティアグラは穏やかな笑みを浮かべて返答する。


「カルゴシアの町があんな大変なことになったと聞いて、私もいてもたってもいられなくて、心配になって様子を見に来たの。でもよかった。この辺りはどうやら被害は少なかったようですね。子供たちは皆怪我などしていませんか?」


 中年女性は後ろを振り返ってからティアグラの方に向き直り、答える。


「あの通り、みな無事でございます」


「よかった。みんな、心配したのよ」


 そう言ってティアグラが笑顔を浮かべながら後ろに控えていた十数人ほどの子供達の方へ歩み寄る。年の頃は5、6歳くらいから成人近い年齢まで様々であるが、聖女と呼ばれるティアグラに対して羨望の眼差しを向けていることだけは共通している。


 シーマン家の治世は安定しているとはいえ、領主同士の小さな小競り合いやら従わない豪農への武力懲罰などのぽつぽつとした戦は絶えないし、規模の小さな村が野盗や傭兵に襲われるような物騒な事件など日常茶飯事。


 そんな事件で家を焼け出されたり、親を失って路頭に迷う子供たちは後を絶たないのはどこの町でも同じである。


 オクタストリウムの主だった都市には、そんな身寄りのない子供達を保護するための“聖女”ティアグラが運営する孤児院がある。ここはカルゴシア周辺の孤児を保護するための、そんな施設の一つである。


 子供たちが駆け寄ってくると、ティアグラはドレスが汚れることもいとわず、地面に膝をつき、子供達を抱きしめ、話を聞き、慈しむ。その姿はまさしく『聖女』であった。

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