第62話 手首並み

 夜の闇よりもなお暗い漆黒の霧の中、クオスは目を閉じ、精神を集中してから弓に矢を番える。


 そして口の中で舌を上あごに張り付けてから下あごの内部に叩きつける。


「コッ」


 クリック音がダンジョン内部にこだまする。


 すでに黒い霧は周囲を包んでおり、三人の魔族はもちろんの事、クオスも、マッピ達も闇の中に包まれている。


 魔族を挟んだ向こう側で、矢筒に手を伸ばすクオスに気付いたアルグスが盾を構えてマッピとアンセを自分の後ろに移動させる姿が最後に見えた。


 こういう時の対処法がさすがによく分かっている。


 闇の中、近くだけではあるものの、彼女にはどこに誰がいるのか、手に取る様に分かっていた。


 半身に構えているのは弓を引くためだけではない。右耳と左耳の位置と対象物の距離を変えることでより立体的に「反射音」を確認するためである。


 反響定位エコーロケーション……クジラや蝙蝠が対象物の位置を確認するために使用することで有名であるが、これは決して人にも不可能な技術ではない。


 常人でもほんの3か月程度の訓練でその技術を手に入れることができるのだ。ましてや聴覚に対し鋭敏なエルフであれば。暗闇の中で活動することの多い冒険者ぼっけもんであるクオスがこの技術に目を付けないはずがない。


 彼女には敵がそこにいるか、だけではない。視覚情報だけでは得られない貴重な情報、対象物の素材までもが手に取る様にいるのだ。


 指示通り、ドラーガは相手の足元でうずくまっている。


 彼女は先ず第一の矢を、スピードが速く、逃せば厄介な獣人に放つ。


「グァッ!?」


 声の具合から相手のダメージを推定する。どうやら内臓を傷つけるには至らなかったようだ。冷静に落ち着いて、彼女は次の矢に手を伸ばす。


「ヘルファイア!!」


「!?」


 とっさにクオスは壁にへばりついて炎の魔法を躱す。詠唱がなかった分威力は控えめであったが危ういところであった。


「おいビルギッタ! ぶっ放してんじゃねえよ! イリスウーフを燃やしちまったらどうすんだ!!」


 若い男の声が聞こえる。幸いにしてダークネスの呪文は闇を呼ぶのではなく黒い霧を呼び出す魔法であり、炎の魔法をもってしても視界を奪ったままであった、しかし人の気配がクオスに近づいてくる。慌てて矢を弓に番えなおそうとするが……


「うるさい! ちゃんと加減してるわよ!!」


 もはやクリック音を出すまでもない。手の届きそうなほどに近づいている。闇の霧の中、何者かの手が振り下ろされるのを感じた。霧の中、残った少しの炎の光を受けて、輝く物が奔る。


「キャッ!!」


 それは鋭い爪のようであった。それが振り下ろされ、彼女の弓矢を切断し、服を引き裂いた。クオスは急いで腰のベルトに差していたナイフを抜こうとするが見つからない。どうやら何者かの鋭い爪でベルトごと引き裂かれてしまったようだ。


 しかも思わず悲鳴を上げて自分の場所を知らせるという失態までおかしてしまった。アルグス達は闇の向こう。助けは見込めない。暗闇の中で最も行動を制限されないヴァンフルフがドラーガの泣き土下座によって足止めされているのがせめてもの救いではあるが、しかしこの状況はクオスにとって『詰み』にも等しきもの。


「爪で傷つけるなよ!」


 男の声が聞こえたと同時に、何者か、どうやら女性の手らしきものがクオスを掴んだ。


「腕を掴んだわ!! 逃げるわよ!!」


「キャァッ!!」


 女とは思えないような強い力にクオスは思わず悲鳴を上げる。


「まっ、待って! コイツっ!! いい加減放せ!!」


 どうやらヴァンフルフはまだドラーガにしがみつかれているようであるが、しかしクオスは引っ張る力に抵抗するすべがない。このまま闇の霧を出て、明るい場所にまで出てしまえば終わりだ。イリスウーフでないことに気付いた魔族は彼女をどうするであろうか。


 人質にとるのか、それとも腹立ちまぎれに始末するのか。どちらにしろ、その選択肢を選ぶのはクオスではない。彼女を引っ張っている魔族の女なのだ。


「ぷはっ! やった! 霧から抜け出た!! このまま走って逃げるわよ! ヴァンフルフ! あんたいつまでももたもたしてるなら置いてくからね!!」


 そう言ってダークエルフのビルギッタは後ろを振り向き、そして気づいた。


(誰だコイツ……!? イリスウーフじゃない。エルフの女? なぜこんなところに?)


 ちん〇んを挟まれていたからである。


(何かおかしい。もう一人は男だった……ということは、二手に分かれて残った方にいたのは最初からイリスウーフじゃなかった……? こんなところで、こいつは何を!?)


 ナニを挟まれていたのである。


(まさか、隠し通路の事も、残った方を強襲することも、最初からすべて見抜かれていたという事!? そこまで気づいて待ち構えていたの!?)


 だからちん〇んを挟まれて身動きが取れなかっただけである。


 しかしビルギッタはそこである異変に気付いた。


 奇妙なことに、クオスは両手がだったのだ。おかしい。そんな筈はない。なぜなら自分が彼女の手首を握って引っ張っているのだから。


 だったら、自分が握っているは一体何なのか……違和感の正体を確かめるべく、ビルギッタは視線を下ろし、自分の握っているソレを直視した。


「ひきゃああああぁぁぁぁああぁぁ!!?!!?!?!?!??」


 ビルギッタは驚きのあまり腰を抜かし、地面に倒れ込み、噴水のように涙を噴き出しながらがっつり握っていた右手をプルプルと振り回す。


「なんてもん握らせんのよおおぉぉぉおお!!」


「そ、そっちが勝手に握ったんじゃないですか!」


 その時、霧の中からもう一人、若い魔族の男、カルナ=カルアが出てきた。


「チッ、人違いか!! おいビルギッタ! こいつを人質にとってイリスウーフを取り返すぞ!!」


 カルナ=カルアはクオスの前に回り込み、彼女の襟首を掴みながらその鋭い爪を見せる。


「オイ!! 死にたくなかったらおとなしく……」


 そして、視界の端でブラブラと動いている肌色の奇妙な違和感に気を取られ、そちらに視線を落とした。


「でかああああぁぁぁぁああぁぁぁッッッ!!!!」


 カルナ=カルアは腰を抜かして尻餅をつき、あまりの恐怖に涙を流しながら力の入らない足を引きずって後ずさりする。


「ひっ、ヒイィィィ……お、お助けえぇ……」


 ビルギッタとカルナ=カルアの二人はガクガクと笑う膝で何とか立ち上がり、走り、転び、また立ち上がり、ほうほうのていで泣きながら逃げて行った。


「し……失礼な……人を化け物みたいに……」


 クオスは涙目になり、真っ赤な顔で四苦八苦しながら自らの分身をなんとかしてホットパンツの中に収めたのだった。

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