第61話 引き返そう

「どうしました? アンセさん。立ち止まって……」


 急に立ち止まって天井を見つめて何か考え事をしているアンセさんに気付いて私は声をかける。どうしたんだろう? 何か敵の気配にでも気づいたのか。


「その……」


 どうしたんだろう。何か言い淀んでいるようだ。いつも冷静なアンセさんが……いや、そうでもないか。どっちかというとこの人力押しで脳筋だよな。魔法職なのに。


「どう言ったらいいのか……」


「どうしたんですか? 何か嫌な予感でも……?」


 こんなに悩んでいるアンセさんを見るのは初めてかも。いつもは決めたら一直線、って感じで迷いの無い人だから。


「ドラーガとクオスが気になって……」


 その言葉に周囲を慎重に警戒していたアルグスさんもこちらに振り向いた。彼が二人の事にかなり後ろ髪を引かれていたのは分かっている。ダンジョンとウコチャヌプコロして動けなくなってしまったクオスさんを一人にするのは不安だし、正直言ってドラーガさんが一人ついていたって物の数にはならない。


(あの二人……まさかとは思うけどなんかえっちな事とかしてないでしょうね……)


 眉間にしわを寄せ、腕組みをして悩んでいるアンセさん。いったい何を考えているんだろう。組んだ腕に強調される巨乳も格好いいし、眉間にしわを寄せた真剣な表情も格好いい。いいなあ、美人さんは。私もああなりたかった。


(もし二人がウコチャヌプコロをしていたとしたら……絶対に見逃したくない……)


「どうしたんだ、アンセ」


「そ、その……うまく言語化できないんだけど、いやな予感がして……」


(いや、状況からしてかなりの高確率で二人はウコチャヌプコロしてると見ていいわ。っていうかもう絶対してるわ。なんてこと! そんなことに考えが及ばなかったなんて! このアンセ、一生の不覚!!)


 みるみるうちにアンセさんの表情が青ざめていく。状況はそれほどまでに悪いんだろうか。私も不安な気持ちになってきた。ドラーガさんはどうでもいいけどクオスさんの身にもしもの事があったら……


「ごめん、アルグス! 私やっぱり戻るわ。二人を見逃すなんてできない!!」


 ん……? 「見過ごす」じゃなくて……? まあいいか。言い間違いかな。


「いや……僕もどうかしてた。いくら依頼があるとはいえ、仲間を置いて先を進むなんて、僕らしくなかった……」


(え? アルグスも二人のウコチャヌプコロに興味があるの? 腐男子ってやつ?)


「誰かが背中を押してくれるのを待っていたのかもしれない……ありがとう、アンセ」


「そ、そう……そういうことなら」


 アンセさんは笑みを浮かべて、自分のポーチをごそごそと漁り出した。取り出したのは一冊の古ぼけた薄い本だった。ページの端はボロボロになっていて、相当読み込んだのだろうということが伺える。


「私がこの道BLにはまったきっかけになった本よ。大丈夫、初心者にも抵抗なく読めるライトな奴だから」


「『君を繋ぎとめるためのただ一つの方法』……? なんだこれ? 小説か……? ドラーガとクオスを助けに戻るって話じゃなかったの?」


「あ! そう! そうよ! 間違えた!! さあ、二人を助けに行きましょう!!」


 そう言ってアンセさんは小説をひったくって再びポーチの中に突っ込んだ。何をどう間違えたらそうなるのかよく分からないけど、とりあえず私達はアンセさんを先頭に、来た道を引き返していった。



――――――――――――――――



「近づいているのは三人……ただ者じゃない雰囲気です。うち一人は床石に爪の先が当たる音がします。多分、以前に戦ったヴァンフルフかと」


 先ほどまで彼女のちん〇んの刺さっていた壁に耳を当て、クオスがそう言った。それを受けてクラリスが二人に小さい声で話しかける。


「だ、だったら、多分四天王のカルナ=カルアとビルギッタだと思う。格闘術の使い手の魔族と、ダークエルフの魔導士」


 どうやら隠し通路を通ってアルグス達をスルーしてこちらに強襲を掛けようというつもりのようだ、と三人は予測する。ドラーガの表情が苦悶に歪む。敵の目的が分からないが、この三人に対抗する有効な手段が思いつかないのだ。


「敵の姿が見えたら私が暗闇ダークネスの呪文で視界を奪います。黒い霧が出て敵も味方も視界が奪われるので、ドラーガさんは身を伏せてください。あとは私が……」


「何とかする、とでもいうつもりか? 相手のダークエルフってのはお前と同じで視覚以外の感覚が鋭敏なんだろう? それに狼男もいる。視界が奪われれば不利になるのはこっちだぜ」


 睨みつけるドラーガにクオスは笑みを見せた。しかしその笑顔が強がりであることは誰の目にも明らかだった。眉根があがり、額には汗が浮かぶ。だがそれでも、彼女は言うのだ。


「大丈夫です。私にはダンジョンで鍛えられたとっておきがありますから! ドラーガさんは自分の身を守ることだけ考えて……」


「チッ……」


 ドラーガはいたたまれなくなって彼女から目を逸らした。そして通路の先を見る。クオスが予想した敵の出現予想地点。彼にできることは何もない。土下座による同情を誘う手など、通用する望みの薄い相手だ。


「来ます……!!」


 クオスがそう口にした。タイミングと、おおよその場所はなんとなく把握しているものの、しかし詳細な場所までは把握できていない。しかしその時、タイミングよく、なのか悪く、なのかは分からないが、通路の向こう側から近づいてくる人の気配があった。


「ドラーガさん! クオスさん、抜けた……あ、いや、脱出できたんですか!?」


「マッピさん!? 下がって、敵が来る!」


 とっさにクオスが叫ぶ。マッピを先頭にアルグスとアンセ。しかし一度通った道だからか、油断しきっている。唐突なクオスの叫び声に三人は硬直して立ち止まったが、その時、両者の間の通路の壁がズズズ、とせり出し、ごとり、と地に倒れた。


 中から現れたのは三人。


 見覚えのある獣王ヴァンフルフ、すぐ後ろから出てきたのはダークエルフの女と魔族の男。三人ともまだこちらの状況は把握していないが、マッピたちが現れたことで一瞬クオスの対応が遅れた。


「夜の貴公子ユーノスよ。そなたの領域を我に貸し与え給え、ダークネス!!」


 クオスの手のひらから黒い霧が勢いよく噴き出す。元々ドラーガの頼りない照明魔法でほのかに明るかったダンジョン内がみるみるうちに暗闇に包まれていくが、しかしその前にヴァンフルフが異変に気付いた。


「あ、あれ!? 違う!! イリスウーフじゃ……」


 ヴァンフルフが後ろを向いて仲間に状況を伝えようとする。しかしそれと同時に彼の足元に何かがしがみついた。視線を逸らした一瞬の出来事であった。


「許してくださいいいぃぃぃ! 悪気はなかったんですう!! どうか! どうか! イリスウーフも返しますからああぁぁ!!」


「わっ!? ちょっ、はなせ……」


「おい! 何が……」


 隠し通路から飛び出してきた三人の魔族は、突然足にしがみついて泣きじゃくるドラーガに気を取られ、全く周囲の状況を把握することなく暗闇の中に飲まれていった。

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