第60話 賢者モード

「どうだ?」


 ムカフ島ダンジョンの最奥部、イリスウーフが石の姿で眠っていた玄室。


 その玄室の中で火を焚き、炙った「何かの肉」を噛みちぎりながら四天王の一人、カルナ=カルアはダークエルフのビルギッタに尋ねた。


 ビルギッタは黙し、目をつぶってダンジョンの床石に耳を当てている。


 やがて彼女はゆっくりと床から耳を離し、立ち上がって彼の問いかけに答えた。


「やっぱり何者かがまたダンジョンに入り込んだみたいね。ここのところ連日ね。厄介な連中だわ、冒険者ぼっけもんって」


「はぁ……弱り目に祟り目ってやつだよ……ただでさえイリスウーフを失って、七聖鍵からも見捨てられかねないっていうのに。もう駄目だ、カルゴシアからは手を引こうよ」


 玄室の端で、狼男ライカンスロープのヴァンフルフはしゃがんで頭を抱える。元来臆病で悲観的な性格の男である。早くも自分達の企みが潰えてしまったと諦めきっているのだ。しかしビルギッタはニヤリと彼に微笑みかけた。


「そうでもないわよ。運が向いてきたかもしれないわ」


 明るい表情を見せたビルギッタに魔族のカルナ=カルアも怪訝な表情をする。彼はヴァンフルフのように悲観的な性格ではないものの、しかし悪い事が重なる今の状況にへきえきとしていたのも事実だった。


「どういうこった? ビルギッタ。

 苦労してイリスウーフを見つけたものの、結局逃げられちまったんだぜ? もうこっちにゃ手札がねえ。ヴァンフルフの言うとおり七聖鍵には俺らと組むがもうねえんだ。

 いつ切られたっておかしくねえ。ダンジョンに入ってきた奴ってのももしかしたら俺達を始末するために七聖鍵が送り込んだ刺客じゃねえのか?」


「そのダンジョンに入ってきた奴らってのが勇者アルグスだとしたら?」


 この言葉にカルナ=カルアはしばし考えこむ。


「根拠は……?」


「奴の盾に仕込んである特徴的な玉軸受けの音、あんなもんをダンジョンで使ってるのは奴以外にはいないわ」


 玉軸受けとは、転がり軸受の一種である。転がり軸受とは簡単なものであればエジプトのピラミッド制作のための巨石を運ぶときに使われた、下に敷かれた丸太がそうであり、その発展型である。


 回転体の軸受けの部分を中空にしてあり、中に金属製の球を仕込んで回転抵抗を極限までおさえたもの。軸受け、球、ともに高い加工精度が求められ、高価なため、この世界ではまず使われないオーバーテクノロジー割に合わない加工品である。


 カルナ=カルアは天井に視線を彷徨わせながら記憶を手繰る。リッチのブラックモアが言うにはイリスウーフはアルグスの一行と共にダンジョンを脱出したという。と言っても今現在、当のブラックモアがここにいないのだが。


「人数は6人。ただ、なぜか途中で二人が止まって、残りの4人がこちらに真っ直ぐ向かってるわ」


「ってことは……おそらく残った二人がイリスウーフと、その護衛か」


「その通りよ」


 まさかダンジョンにちん〇ん挟まれて身動きが取れないアホがいるとは思うまい。


「ちょっと待ってよ!!」


 しかしヴァンフルフが待ったをかけた。


「今こっちに4人が向かってるんでしょ!? 3対4じゃん! 多勢に無勢だよ! しかもその中には絶対にアルグスいるだろうし! ボク二度とアルグスとは戦いたくないよ!

 いや~、残念だなあ、せめてブラックモアが居ればなあ~……4対4なら、ボクもやれって言われればやるけどさあ、残念だなあ……」


「あいつは元々戦闘の頭数には入ってねえだろうが!」


「フフ、落ち着いて、二人とも」


 今にも喧嘩を始めそうなカルナ=カルアとヴァンフルフをビルギッタが諫める。


「別に正面から戦う必要なんてないのよ。隠し通路を使って最初の4人は無視してスルー、後ろの二人を強襲してイリスウーフを奪えばいいわ」


 少し考えこんでカルナ=カルアが答える。


「もしこの間みたいに無力化されたら?」


「大丈夫、ブラックモアも言ってたけど、あれはおそらく300年間溜まっていた淀みのような物にすぎない。一度発散されてしまえば何度も使えるものでもないし、ましてや奴の『能力』でもない、と。それを証拠にアルグス達は平気じゃない」


「チャンス、か……」



――――――――――――――――



「もうそっち向いていいか、クオス」


「はい……大丈夫です」


「なんでお前そんな遠い目をしてんだよ」


 クオスがドラーガにケツをしこたま叩かれて派手に痙攣をおこした後、すぐさまドラーガはクラリスに後ろを向くように言われた。


 しばらくしてからドサッと倒れ込む音がして彼はクオスが罠から脱出できたことを理解したが、しかし結局クオスの身に何が起こっていたのかは全く分からなかった。


「先を急ぎましょう、ドラーガさん。アルグスさん達が心配です」


「突然ダンジョンに張り付いて動かなくなってたお前の方が心配なんだけど」


「クラリス先生!」


「せ、先生!?」


 唐突な呼びかけにクラリスは驚きながら聞き返す。どうやら前回の痴漢プレイの発案により彼女の事を大変に尊敬しているようである。


「このダンジョンには魔族の四天王とかいうイタイ奴らがいた筈です。彼らが私達を襲撃する可能性があるのでは?」


「なんかお前急激に知能が上がってねえか? さっきまでダンジョンの壁にヘコヘコ腰振ってた哀しきモンスターと同一人物とは思えねえんだけど」


 賢者ドラーガの疑問も尤もであるが、仕方あるまい。これが賢者モードというものなのだ。クラリスは暫く考えてから、慌てたように応える。


「そ、そうだ! や、奴らイリスウーフを狙ってる。アルグス達が狙われるかも……」


「行きましょう、ドラーガさん!!」


 そう言ってクオスはドラーガの腕を引く。正直に言えばドラーガからすれば行きたくない。クオスに引き留められた時少し「ラッキー」と思っていたのだ。今回の探索はもうここでだべってりゃいいや、と。


 それが今更アルグス達を追いかけなければならないとは。おまけに危険な敵が近づいていることが分かっているのに。


「アルグス達なら大丈夫だって~、こないだのヴァンフルフとかいう奴だって軽く撃退してたじゃねーかよ」


「忘れたんですか、逃げに徹していたとはいえヴァンフルフには傷一つ付けられなかったことを。それが同時に四体もかかってきたら、いくらアルグスさん達でも危ない! 私達のサポートが必要です!」


「さ、三人よ。今、一人いないから……」


 クラリスの唐突な言葉にクオスが立ち止まる。四天王と七聖鍵が協力関係にあることは察していたが、なぜそこまで事情に詳しいのか。当然そこが気になったので尋ねると、クラリスはしばし考えこんでから答える。おそらくはそれが言っていい情報かどうかを悩んでいたのだろう。


「四天王の一人に、七聖鍵のアルテグラが潜り込んで、か、彼らをうまくコントロールしてるから……アルテグラは、今日は地上にいるから、四天王は三人しかいないはず……」


「……よし、帰ろう」


「なんでですか!!」


「いいか、よく考えろ、クオス。四人なら無理でも三人なら何とかなる。俺達にできるのはアルグス達の足を引っ張らないことだ。だから帰ろう」


 ドラーガの問いかけにしかしクオスはツッコミを入れるでも同意するでもなく、ダンジョンの天井を眺めて黙した。何事か、とドラーガが訝しんでいると、今度は壁に耳を当てる。それが敵を警戒している時の彼女の仕草であるということくらいはいかなドラーガといえども分かる。


「どうやらその議論ももう無駄なようです……理由は分かりませんが、敵の狙いはこっちみたいですね……」

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