第33話 正調無刀新陰流三聖句
堂々と、泰然自若に、気負うことなく、まるでそこに在る様に、在らぬ様に。その威容はまるで千の時を生きる巨木の如し。
ドラーガさんは直立の状態から……
スッ、と両膝をつき、腰に手を当てる。
この構えはまさか。
そのまま両手を地面につき、深々と頭を下げた。
DO・GE・ZA
「ごめんなさい」
あれだけ格好つけていて、やることが結局土下座。
だけど、それはこれまで見たドラーガさんの土下座とは一線を画していた。
美しいのだ。
極限まで洗練された所作というものは、たとえ土下座であったも美しいのだ。まるで舞踊を見ているような。武術の達人の型を見ているような。今までの無様な土下座とは全く違っていた。
「偉そうなこと言ってごめんなさい。
私ではあなたの研ぎ澄まされた魔術の肥やしとなることは出来ません。あなた様をただただ不快にさせるだけです。許してください」
― 正調無刀新陰流三聖句 一の句 『謝罪』
― その流れるような美しく 堂々とした所作から放たれる心よりの謝罪は 無刀新陰流の基本にして奥義也
― 必ずや相手の心を打ち その奥底にまで申し訳ないという気持ちを注ぎ込むであろう
「ふざけんな! あれだけ好き勝手言っておいて今更ごめんなさいだと!? いいから立て! 立って戦え!!」
語調は強いが、しかし明らかにゾラは動揺している。そして同様に私達も。
美しい所作と心よりの謝罪。その真摯な姿に心を打たれていたのだ。
ドラーガさんはすっ、と、音もなく上半身を上げる。しばしゾラの方を見据え、そしてまた両手を大地につけたのだ。
「お願いします。助けてください」
その言葉は、涙に震えているようにも聞こえた。
― 正調無刀新陰流三聖句 二の句 『懇願』
― 謝罪と共に組み合わせて使われ 真に「一生に一度」と思える 心よりの願い
― そのへりくだりたる図々しい姿は 相手の心の芯にまで 訴えかける事であろう
「まだ死にたくないんです。あなた様に見逃していただけるだけで、その願いが叶うんです。お願いします。どうか、どうか見逃してください」
その声は涙に震えている。心よりの願いなのだと、誰もが直感的に理解できる。
そしてこの言葉に大いに狼狽えたのは他ならぬゾラだったようだ。
「クッ……なんてなさけねえ……プライドってもんは、ねえのか……」
動揺している……もしかしてこんなにストレートに命乞いをされたことがないのかもしれない。優勢だ。普通に見れば無条件降伏している時点でドラーガさんの圧倒的敗北。でも違う。
「生きる」、それこそがドラーガさんにとっての勝利なんだ。その勝利の前では地に頭をこすりつける事なんて大事の前の小事。そして、この状況に飲まれ、冷静さを欠いているのはゾラの方、がんばれドラーガさん、もう少しだ。
(なんなんだコイツ……? 今まで会ってきたどんな弱者とも違う! 隙を見て逃げるだとか反撃するだとか、そんな意思が一切感じられない。徹底的に「敗北」している! なんていたたまれないんだ!)
ゾラは暫く苦虫を噛み潰したような表情で俯いていたが、しかし顔を上げ、吐き捨てるように言った。
「チッ、行け! もうてめえらに用はねえ!!」
やった、ドラーガさんの勝利だ!
ドラーガさんはしかし今までのようにすぐに態度を豹変させることはしなかった。ゆっくりと、ゆっくりと上半身を上げ、両手を腰に当てたまま、スゥッ、と一筋の涙をこぼし、そして再度両手を地につけたのだ。
「ありがとう……ございます。このご恩は、決して忘れませぬ」
― 正調無刀新陰流三聖句 三の句 『感謝』
― 『有難い』 真に有難いと思う気持ち
― 常ならぬ 有るに難く 尋常にして受けることのない恩義への感謝
― その感謝は必ずや相手の心の内に あたたかい何かを残してゆくだろう
― これら三聖句が無刀新陰流の基本にして奥義である
― 無刀にて争いを収め 敵に克ち 己に克ち 生き延びる
― その思想こそが無刀新陰流の根幹である
「行けッ……」
ゾラは顔を紅くして視線を逸らした。ツンデレかコイツ。
完全勝利だ。見逃されたからと言って決して油断しない。ダメ押しの感謝の言葉で相手を縛り付ける。一分の隙も無い土下座の三連撃。その奥義によってキリシアの七聖鍵の中でもダントツにヤバイ男を見事に退けたんだ。
すぐに私達は荷物を取って早足でゾラのもとを離れてダンジョンの外への道を向かう。
走るうちに自然と笑みがこぼれ、息は弾み、心には希望が満ちる。
すごい! ドラーガさん本当にすごい!
正直もう完全に絶望的状況だと思った。
戦闘が得意じゃない私達三人と、ダンジョンで救助した謎の女性。その前に現れた七聖鍵の狂犬を前にして絶対に助からない状況だと思ったのに、土下座だけで切り抜けるなんて。
いろいろ思うところはあったけれども結果的に言えばドラーガさんの行動は最終的には「自分が生きて帰る」、この一点において全て正しい行動だった。
「ありがとう……ドラーガ」
イリスウーフさんが走りながらドラーガさんに感謝の言葉を述べる。
「フン、ま、ざっとこんなもんさ」
調子コキ過ぎてるなあこいつ、とは思うけれども、まあ終わりよければ全てよし。この絶望的な状況から生きて帰れるんだから私はもう何も文句はない。
ダンジョンの出口近くまで来ると、もう外は朝日を受けて少しずつ空が白み始めていた。
出口には逆光の中、二人の人影が見える。トンガリ帽子の女性と、均整の取れた長身の男性、アンセさんとアルグスさんだ。助かった!
私は荒い呼吸をしながら、思わず瞳に涙を溜めて二人の名を呼ぶ。
「助かった……アンセさん、アルグスさん、今戻りました!」
「良かった、全員無事で戻ったんだな……こちらからは行方が分からないから、どうしようかと途方に暮れてたところなんだ」
朝日を受けて黄金色に輝くアルグスさんが眩しい。
「そうだ、ダンジョンの中で女の人を救助したんです! イリスウーフさん!」
「女性……どこに?」
「あれ?」
私が振り向くと、イリスウーフさんの姿はどこにもなかった。
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