第32話 戦闘狂

 『狂犬ゾラ』……全身タトゥーの男はそう名乗った。私はその名に朧気ながら覚えがあった。


 その名は確か、キリシア七聖鍵の一人、恐ろしい実力を秘めると言われる魔導士の男だ。その人物がなぜここに。そしてどう答えるのが正解なのか、私が思い悩んでいるとドラーガさんが一歩前に出て答える。


「俺達はメッツァトルのパーティーだ。こっちはあんたなんかに用はないぜ」


 その言葉にゾラはニヤリと笑う。


「おめえにはなくてもこっちにはあるのさ。どうやら”勇者”アルグスは一足先に出て行っちまったみてえだが、メッツァトルの一員に出会えたのは幸運だったぜ。俺と戦え」


 戦闘狂というやつか。理由もなしに戦えというのか。私が恐怖に震えていると、そんなことお構いなしにドラーガさんは瓦礫を上って、しかしゾラの方には行かず、迂回して通り過ぎようとする。イリスウーフさんの手を引きながら。


「足元に気をつけろよ」


 ど、どういうこと? このままスルーするってこと? それにしてもスルーの仕方っていうものがあると思うんだけど、何も言わず、何もせず、普通にスルー出来るもんなんだろうか。しかし置いて行かれてはたまらない。私とクオスさんもドラーガさんに続く。


「ちょ、ちょっと待てお前!!」


 ゾラが慌ててドラーガさんの肩を引く。


「んだよ、まだなんかあんのかよ」


「俺と戦えって言ってんだろうが! 無視する気かてめえ!」


「なんで」


 なんでって……この人純粋に戦闘を楽しみたいだけなんでは……?  そのくらい私でも察せられるけれども、しかしドラーガさんは戸惑う相手が反応をする前に二の句を告げる。


「とりあえずさ、ここ足場が悪いから上まで行こうぜ。そこで話そう」


「あ、うん」


 素直に返事をするゾラ。え? なにこれ? もしかして既にドラーガさんは相手を自分のペースに巻き込んでる?


「おっ、やっぱりまだ置いたままだったな」


 崩落の部屋から外に出てみるとドラーガさんが置いて行った荷物がそのまま置き去りにされていた。ドラーガさんはごそごそと荷物を漁り、何かを取り出す。


「クッキーだ。とりあえずこれでも食って落ち着け。腹減ってると冷静な話し合いもできねえだろ」


「ありがとう」


 またも素直に応じるゾラ。ドラーガさんはそのまま私達やイリスウーフさんにもクッキーを配る。何なのこの流れ。


「んで? なんで俺と戦いたいの? そんなことしてなんか得があるのか?」


 ドラーガさんの問いかけにゾラは急いでクッキーを飲み込んで答える。


「そ、そうだ。俺は強敵との戦いに飢えてんだよ!  アルグスは取り逃がしちまったが、てめえらもメッツァトルのメンバーなら相当な手練れなんだろう! 全員同時でいい、俺と戦いな」

「パス」


 間髪入れずにドラーガさんが答える。完全に虚を突かれたゾラはがくりとバランスを崩す。意外とリアクションが古いなあ。見かけより年いってるんだろうか。


「なん……」

「いいか? 俺達は確かにメッツァトルのメンバーだが、戦闘要員じゃねえ」


 ゾラさんの問いかけが終わる前にドラーガさんは答える。徹底的に相手のリズムを崩していくスタイルだ。


「メッツァトルの戦闘はほとんど勇者アルグスとウィッチのアンセが担っている。そこのエルフは中間距離での援護、まな板は回復担当、黒髪の痴女はその辺で拾った町娘だ」


「じゃ、おめえはなんなんだよ!」


「俺か……俺は……」


 しばし考えてから彼は答える。


「マスコットだな」


 なるほど。じゃあ何にも出来なくても仕方ないわ。


 私は納得したけどゾラはいまいち納得がいかない、という顔で思案している。それを察したのかドラーガさんはさらにたたみかけていく。


「俺の名はドラーガ・ノート。聞くが、お前はこの名を聞いたことがあるか?」


 その言葉にゾラはさらに考え込む。おそらく聞いたことはないんだろう。私も知っている。メッツァトルのメンバーで圧倒的に有名なのはアルグスさんとアンセさん。そのほかのメンバーは正直言ってあまり目立たないのだ。


「き……聞いたことはねえが、しかし最近参加したメンバーかもしれん。メッツァトルのメンバーが戦闘ができないなど考えられん」


「確かにそこの乳無し人ちちなしびとはほんの数日前に採用されたばっかりだがな、俺はもう一年もメッツァトルにいる。それでも名前を知らないってことは……まあ、お察しよ」


 誰が乳無し人だコラ。


 しかしゾラは「むむむむ……」と考え込む。するとイリスウーフさんがドラーガさんに近づいて耳打ちした。


「気を付けて、ドラーガ……この男、普通の人間じゃない……」


 普通の人間じゃないとはどういう事だろうか。たしかに全身タトゥーで特徴的な外見に戦闘狂、普通の人間ではなさそうだ。それとももしかして魔族とか、そういう事だろうか。


「フン、まあいい」


 ゾラが腕組みをしてそう答えた。見逃してくれるんだろうか。しかし彼は右足を一歩引いて半身に構えた。


「もうこの際てめえらの実力は問わん。俺は今日は最高に高ぶってるんだ。このまま戦いもせずにぐっすり眠られねえんだよ!」


「ならこの俺がその高ぶった心、折らせてもらおう」


 唐突に強い言葉をとばすドラーガさんに何か感じ入るものがあったのか、ゾラは若干間合いを広げる。しかしドラーガさんは構えは取らず、胸を張ってこう言い切った。


「いいか、はっきり言って俺の戦闘の技術は二流、いや、三流もいいとこ。俺を殺せば、必ずやお前の名前に傷がつくぞ。それでもいいのか!?」


 五流だろ。


「俺と戦ってもみっともなく鼻水と涙をこぼしながら命乞いするだけだ! お前はそんなみっともない断末魔を見てぐっすり眠られるのか!?」


 なんて情けないんだ。


「黙れ」


 しかしこの言葉はゾラを怒らせるだけに終わった。


「もうどうでもいいんだよ。てめえらが弱ぇなら十分におもちゃになってもらっていたぶるだけだ。おとなしくここで死んでくれや……」


「フッ……」


 しかしドラーガさんは曲がらない。ゾラの言葉を鼻で笑ったのだ。この状況が分かっていないのか?  それともここを切り抜ける秘策が何かあるのか?


「お前は戦えばそりゃ強いだろう……だが、戦いというものは時として大切なものを失う危険があると教えてくれる師や友は、残念ながらお前にはいなかったようだな……どうしてもやるというのならば、俺の真の実力を見せねばならんか……」


 その言葉と共に、空気が変わった。


 少なくとも私はそう感じたのだ。


 半身に構えて軽く膝を曲げ、いつでも飛び掛からんとするゾラ。


 対するドラーガさんはまるで体の中心に一本柱が立っているかのように堂々と、そして体幹のブレなく、直立不動。戦いに備える姿勢にはとても見えないが、しかしすさまじい威圧感を備えていた。


「正調、無刀新陰流奥義三聖句さんせいく、しかと御覧ごろうじろ」

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