唐揚げと雨


 十一月十日 水曜日 天気 雨

 お母さんと水族館に行ってきた。久しぶりの水族館だった。ペンギンとアザラシが可愛かった。そして、ラッコ。ラッコが居た!(彼のメモのラッコのイラストを思い出しちゃった。冬本くんもラッコが好きなのかな。)

 前にニュースで、日本国内の水族館では、片手で数えきれるほどの頭数しか飼育されていないと報じられていたから、実際に自分の目で見られて良かった。ラッコの水槽前に張り付く私を、お母さんが笑って見ていた。

 ラッコ、可愛かったなあ。当たり前だけど泳ぎも速い。

 海で暮らしていく強さもきっとあるんだろうな。

 給餌の場面も見られて、イカとかホタテやエビを食べていた。それから氷も食べてた。ラッコに知覚過敏とかあるのか知らないけど、あんなにガツガツ食べれるんだからすごい。

 二頭居て、どちらも女の子だった。今後繁殖が進んで、昔のように多くの施設で見ることが叶えばいいのに。いつの日か、また新しいラッコの子が来てくれますように。

 ラッコが可愛かったことを、文章と写真で、冬本くんに送った。

 よかったじゃんと淡白な返事だったので、私は急いで、めちゃめちゃ可愛いんだからねと力説した。すると、今度一緒に行くかと誘ってきたので、私はその内容が送られてきたとき、硬直して画面をまじまじと見つめてしまった。


 来週、水曜日。

 たのしみだな。



 十一月十一日 木曜日 天気 雨

 昨日に引き続き雨が降っていた。そろそろ傘を買い換えたい。でもピンとくるものがないから、ずっとビニール傘を使っている。

 本当は嫌なのに、でもなんとなくつかってる。

 今日は冬本くんとは一切連絡を取らなかった。けれど、安心感がある。携帯電話の電話帳を開けば、彼の名前と電話番号がちゃんと登録されているから。

 高校卒業後のひたすら彼のことを、想って、おもって、出口のない片想いをしていた十一月九日までの私よりも、ずうっとマシだと思えた。

 雨といえば、恒例の数学を教えてもらう時間が終わったあとに、雑談をした日があった。話のテーマは、それぞれの好きな食べ物だった気がする。私が知りたかっただけという、エゴ丸出しのおしゃべり。


「俺は、なんだろ。間中は?」

「私は鶏のから揚げ!」

「間中、意外に渋いな。」

「そうかなぁ。唐揚げって美味しいじゃん。」

「なんか女子ってよくパンケーキとかクレープとかアイス好きなイメージあんだけど。」


 鶏のから揚げと言った私を、彼は渋いと評価した。たしかに女子グループのみんなはSNSに写真映えするようなスイーツを食べに行ったりしている。

 パンケーキは当時流行っていた。生クリームがタワーのように山盛りになっていて、ベリー類が添えてあるタイプのもの。


「でも私は鶏のから揚げが一番好きなの。お弁当に沢山入ってるとテンション上がるもん。」

「へぇ。」


 私達が通っている高校では、学食と購買があったけれど、弁当持参も許可されていた。登校途中にコンビニエンスストアで、お昼ご飯となる弁当やパンなんかを買ってくる生徒もいた。母親が作ってくれる弁当を私は毎日持ってきていた。彼は、毎日学食だった気がする。


「お母さんの作った唐揚げ、すごく美味しいんだよ。」

「へぇ。」

「あ、興味無いんでしょう。」

「いいや、違う。」

「じゃあなぁに。」

「なんでもない。言わねぇよ。」


 あ、雨だ。冬本くんが窓を指差し、強調して言ったのですぐに私の意識は逸れた。ざあざあと音を立てて、空から透明な粒が降っていた。

 雨脚が酷くなる前に帰ろうかと提案すると、彼は頷いた。どんよりとした外の薄暗さ。くっきりとした灰色に染まる教室には、別の感傷が漂っていた。その正体を当時の私は理解することは出来なかった。でも、今ならば、分かる。

 私は彼を傷つけていたんだ。


「間中は家で料理とかすんの。」

「うーん、時々する。」

「オムライスとかカレーライスとか作れんのか。」

「作れるよ、一応ね。」


 昇降口を目指して廊下を歩いた。つかず離れずの間を保ったまま、二人は肩を並べていた。


「おまえ、傘あんの?」

「うん。ちゃんと持ってきてる、折り畳み傘。」


 動作に合わせて揺れるスカートのひだひだ。

 彼の髪の毛の先っちょが、ぴこぴこ踊ってる。

 私達の関係性はクラスメイト、それなりに仲の良い。

 だけどお互いのプライベートの奥底までは知らない。

 上っ面を指先でなぞるだけのクラスメイト、仲良しごっこにそっくりだった。

 詳しい心の分析など出来るわけがない二人だった。

 内履きから、こげ茶のローファーを履き替えて、冬本くんと外に出た。容赦なく雨粒が地面に叩きつけられていた。


「ひゃー、すごい雨。」


 駐輪場まで一直線、傘は差さなかった。

 彼が心配そうに、大声で傘差せよと言ったけれど、無視してそのまま雨を浴びた。なんであのとき、そうしたのかなんて理由は全く分からないんだけれど。でもそうしないと気が済まなかった。高校時代の青春みたいに感じていた。あの雨に濡れていた日の私は、子どもじみていた。人と違うことをして満足感を得ている生物だった。

 だけど自分でじぶんの機嫌を取ることは、大人と呼ばれる今よりもずっと上手だったように思う。


 濡れたスカートのひだひだ。

 ブレザーに雨がしっとりと染み込んで、紺色のハイソックスはぐちょぐちょになった。

 ぺったんこになった髪の毛先からは、ぴとぴとと水滴が落ちてった。


「おまえ、風邪引いても知らねぇからな。」


 はあ、と溜息を吐いた冬本くん。彼はいつも、冷静沈着でいた。

 滅多に怒らないし、爆笑するところも見たことがなかった。

 ただ、それは私の目で見る限りのことで、私が知らない彼は数えきれないほどあるんだろう。


「大丈夫。子どもは風の子だから。」


 根拠のない自信。

 一週間経っても、私は風邪を引かなかった。

 自信が確信材料に変化した。

 その代わり数学の小テストは、惨敗だ。



 十一月十七日 水曜日 天気 晴れ

 日記を書くのをここ最近ずっとサボっていた。このところ日常に大きな変化は無し。あ、でも昼夜逆転の生活になりかけている気がする。

 今日は、冬本くんと初めてデートをした。デートと思っているのは私だけかもしれないので、日記のときだけそう書いておくことにする。それくらいは、いいよね。きっと彼がこの日記を見る日は無いから、オッケー。

 待ち合わせは朝十時。家まで迎えに来てくれた。電車で行く気満々だったんだけど、彼は車で来てくれた。

 運転、出来るんだ。思ったことを正直に言ったら、当たり前だろと拗ねた口調で返された。不愉快な気持ちにさせてしまったことを、謝罪した。きちんとね。

 水族館までの道のりはずっと雑談。冬本くんはどんなところで働いているのか気になって聞いたんだけど、なんと、彼もまた勤めていた会社を辞めたんだって。会社といっても彼の前の職場は美容室。つまり、美容師だった。そういえば進路は専門学校に行くと言っていた。夢を、叶えたんだね。どんなきっかけだったんだろう。その夢の、理由。

 あと、彼は最近料理をするようになったと言っていた。揚げ物の油の温度とか、ちゃんと揚がってるのか分からなくて何となく苦手だけどチャレンジしているという話から、徐々に話が逸れていって、高校時代にあった雨の日の出来事の話になった。

 あの時のやり取りなんて、絶対に彼は忘れているだろうなと思っていたから、驚いてしまった。忘れるかっての、ずぶ濡れになってたじゃん、帰り。あ、玲だけね。

 ちゃんと雨に打たれてた私のことまで記憶されていた。恥ずかしい。

 水族館を端からはしまで全部見て回って、最終的に二人ともラッコの水槽前に辿り着いた。ラッコが泳ぐ姿を、閉館時間までぼうっと見つめていた。

 ラッコはたまに私達のところまでやってきて、ガラス面をトントンと手を使って叩いたりした。ほえ、とおとぼけな顔をしたり、もふもふな身体をグルーミングする姿は可愛くて仕方なかった。ガラスで隔てられた海獣と人間の、ちょっとした邂逅。神秘的で、単なる気まぐれ。最高に可愛かった。

 かわいい、かわいい。吐息のように漏れ出る感想を、彼は笑って聞いていた。(お母さんと行ったときも笑われた記憶。)

 お土産にラッコのぬいぐるみを買った。

 部屋のベッドサイドに置いておこうと思う。

 水族館のあとは二人で食事をした。

 彼が予約したイタリアンのレストラン。私だけワインを飲んでしまった。

 赤は苦手だから白にした。素面では、会話がおぼつかなくなる気がして、調子に乗って飲んじゃったけど、久しぶりに飲酒したから、頭のぼうっと具合が、いつもの倍になって、あんまり、会話の内容を覚えていない。とてつもない失態だ。次は、素面に徹する!

 …次があるといいな。



 十一月二十八日 日曜日 天気 晴れ

 冬本くんが家に来た。



「これ。」

「なに、これ。」

「鶏の唐揚げ。」


 冬本くんが作ったのか聞くと、こくりと首を縦に振った。半透明のタッパーに詰め込まれた唐揚げたち。タッパーの入った紙袋を受け取り、困惑してしまう。


「おまえが好きだったなって思って。」


 一体全体、彼はどうしてしまったのだろうか。

 あれほど私と関わることを拒否してきたというのに。

 クラスメイトで、恋人ではない。友達とも言いづらい私に対して、与えようと行動を起こす。思わせぶりもすさまじいところだった。でも、唐揚げは好物なので嬉しいし、彼が作ってくれたというのなら尚更に価値と喜びを感じている。愚かな片想い人間まっしぐらの私も存在していた。


「それ渡したかっただけだから、じゃ。」


 玄関先のやり取りは数分でエンディングを迎えようとしていた。踵を返し、帰路につこうとする彼の上着の端っこを、咄嗟に掴んでしまった。え、と彼が振り返った。え、と私は自分自身の動作に理解しかねていた。二人の、え、が重なった。


「唐揚げ、ありがとう。」

「おう。」

「…あ、あの。」


 この先をどう続ければいいのか分からなかった。答えが一つしか導けないような問題であれば良かった。

 高校生の時の私じゃ、もうない。だけれど変われない、あと一歩が踏み出せない。

 彼が私をもう一度だけ抱き締めてくれればよかった。

 唐揚げの匂いが衣類に染み込んでも構わないから、強く、つよく、抱擁をしてほしい。願望は彼の耳には決して届かないまま、私達は長い間立ち尽くしたまんま。そのまま。


「じゃあな。」


 私と彼の、関係性に、はっきりとした名前が付けられたらどれほど、息がしやすいんだろう。

 唐揚げにんにくが効いててめっちゃ美味しかった。



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