第124話

 十六歳――高校二年生の月城舞夜は、学校の廊下で椅子に座っていた。

 七月であるため、放課後の時間帯でも暑かった。部活動に励む生徒の声と共に、セミの鳴き声が聞こえた。

 隣には、父親の秘書が座っていた。担任教師を交えての三者面談にも関わらず、父親本人が来ることは無かった。

 忙しいのだから、仕方ない。昨年もそうだった。舞夜の成績は良くもなければ悪くもないので、必ずしも本人が来なくとも構わなかった。

 中学生の頃は、まだ『母親』が来ていた。だが、それはもう舞夜にとって遠い昔の記憶であり、いつの間にか秘書の同席にすっかり慣れていた。


 待ち時間に退屈していた舞夜は、椅子に浅く座り、脚を広げて伸ばした。意図的に行儀の悪い態度を取った。

 だが、秘書からは何も注意を受けなかった。父親同様『無関心』を感じた。

 期待したわけではないが、なんだか退屈だった。

 そんな時だった。一組の母娘が目の前を横切ろうとしたため、舞夜は伸ばした脚を戻した。


「それじゃあ、部活に戻るね」


 生徒の方は、嬉野咲幸だった。部活動から一時的に抜けて、三者面談に参加したのだろう――着崩れた学生服姿から、慌ただしさを感じた。

 咲幸とは一年生の時からクラスが違う。こちらの存在を咲幸が知っているのか分からないが、舞夜は咲幸を昨年から注目していた。

 いや、憧れていた。

 かつては、放課後の運動場で短距離トラックを幾度と走っていた。普段の柔らかな雰囲気とは裏腹に、緊張感と気迫、そして執念を持っていた。

 自分も咲幸のように必死に足掻けば、母親を失うことは無かったのだろうか――走る姿を教室から眺め、そのように思っていた。

 自分に無いものを持っているからこそ、咲幸に惹かれていた。

 その気持ちは現在も変わらない。咲幸が目の前を横切るとなり、舞夜は素っ気なく俯いた。


「ちょっと、さっちゃん――先生の注意、ちゃんと聞いた? 授業中に居眠りしたらダメじゃない……」


 そして、咲幸に続いてもうひとりが横切った。

 少し苛立ったような声と、言葉の内容から、咲幸の母親であると理解した。

 ただの興味本位だった。どのような人物なのか気になり、舞夜は顔を上げた。

 母ではなく、姉だと思った。それほどまでに若い女性だった。

 しかし、舞夜の中でその第一印象はすぐに潰える。

 心配し――だからこそ叱る姿は、間違いなく母親だった。姉妹であるならば、ここまで親身になれないと思った。


 自分の母親は、正しい方向に導くことを放棄した。無関心の末に、遠くへ離れた。

 だから、舞夜にとって『叱る』という行為は、強い愛情と母性を感じた。

 羨ましかった。まさに理想の母娘像だった。


「聞いてたよ。これからは授業、ちゃんと起きるって」


 咲幸からは全く反省が見られないどころか、緩みきった様子で母親に微笑みかけた。

 学校では同級生に対し面倒見の良い存在なので、誰かに甘えている姿を舞夜は初めて見た。母親が咲幸にとって甘えられる存在なのだと、理解した。

 そして、二面性とも呼べる咲幸の負けず嫌いな部分を、この母親は知っているのか――疑問だった。


 だから、付け入る隙に見えた。

 一見すると仲の良さそうな母娘だが、見方によっては不自然だった。互いに何かを隠しているように感じた。

 そこに自分が入り、ふたりの間を持つのなら――三人で家族になれないだろうか。舞夜はふと、そう思った。


「本当かしら……。しっかりなさいよ」


 母親は咲幸の様子に呆れていた。

 若いだけでなく、舞夜にとって綺麗な女性だった。スーツ姿が、とても様になっている。

 舞夜は自分の母親として欲しいと思うが、きっと夫と呼べる人間がいるのだろうと――この場では、所詮は叶わぬ夢だと自嘲した。


 一度は夢を諦めた。それでも、舞夜が興信所に咲幸の母親の身辺調査を依頼したのは、ただの興味本位だった。

 二学期が始まった頃、報告書が手元に届いた。舞夜は自室のベッドで仰向けになり、目を通した。


「うれしのさちえ……倖枝さん」


 まずは、名前を知ることが出来た。三十四歳という年齢には驚いた。

 報告書には、彼女の壮絶な半生が綴られていた。

 十六歳で咲幸を身ごもり、十七歳で出産。高校を中退後、現在は不動産屋の支店長にまで上り詰めている。

 そして――未婚だった。不倫関係の女性は居るが、特定の人物とは交際をしていない。

 父親の死をきっかけに実家から賃貸マンションに引っ越し、咲幸とのふたり暮らしを始めたばかりだった。咲幸が財産相続のため祖父母の養子縁組に入っているため、咲幸と戸籍上は姉妹だった。


 報告書を読み終えた時、舞夜の中に希望が芽生えた。

 なにも、諦めることはない。幼少の頃に読み聞かされた童話の『魔女』のように――必ず『姉妹』を手に入れてみせる。手の届く位置にあるのだ。

 舞夜は、大きな野望ゆめを持った。


 かつての母親と決別、そして彼女との思い出を守るため、古巣やかたの奪還も組み込んだ。

 舞夜がそれらの目論見シナリオを立て、実行に移す頃には、すっかり秋が深まっていた。


 十一月七日。

 午後八時、舞夜は自室で真っ赤なドレスに着替えた。目立つ服装を選んだまでだ。

 真っ赤で派手な口紅、ダイヤのイヤリング、パールのネックレス、そしてバニラとシトラスの香水――白色のストールを羽織り、準備を終えた。


「おや? 月曜なのに、パーティーにでも行くのかい?」


 自室を出ると、舞夜は父親と鉢合わせた。


「ええ、ちょっと……。明日の朝には帰ります」


 それだけを伝えると、自宅を出た。父親からは特に、詮索も心配も無かった。

 舞夜が向かった先は、街外れに位置する一軒のバーだった。

 年齢を疑われることが無いと自信を持ち、堂々と入った。曜日のせいか、店内の人気は少なかった。

 舞夜は自然な振る舞いで、カウンター席に腰掛けた。やはり、バーテンダーから怪しまれる視線を向けられなかった。


「モヒート……ノンアルコールで」


 あらかじめ決めていたものを注文した。酒好きということを考慮し、事前に『意味』を調べていた。きっと汲んでくれるだろうと思っていた。

 タンブラーのグラスが差し出され、舞夜は一口飲んだ。緑色に濁ったソーダ水のような飲み物は、確かに爽やかな風味だった。十七歳の舞夜にとってミントは癖が強かったが、飲めないものではなかった。


 薄暗い店内で、グラスに付いた口紅の跡をぼんやりと眺めながら、舞夜はただその時を待った。

 そう。現在から動き出す――ようやく始まるのだ。

 胸が踊る。どす黒い欲望が込み上げ、思わず下卑た笑みが漏れた。

 それを抑えて落ち着いた頃、店の扉が開いた。


 時刻は午後九時五分。

 そして、少女おんなは魔女を迎えた。



(第45章『午後九時五分』 完)


次回 終章『魔女は黄昏に笑う』

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