第082話
十月十日、火曜日。
休日の倖枝は、昼下がりにショッピングモールを歩いていた。衣服や食料品等の日常的な買い物の他、舞夜の誕生日プレゼントを購入するためである。
館での宣言から悩み続けるも、やはりぼんやりとした影すら見えなかった。
この場合、倖枝は消去法で考えていた。衣服や宝飾品を舞夜に贈ったところで、よほどのブランドでない限り霞むのは分かっている。選択肢から真っ先に消えた。いっそ形に残らない食べ物や生花、石鹸等をと思うも、形として残したいと思った。
これだけ狭まれば――いや、これだけ狭まったからこそ、難しくなった。
途方に暮れた倖枝は、休憩がてらモール内のカフェに入った。平日のためモール内同様、空いていた。
いつの間にか過ごしやすい気候になり、秋へ移ろいを感じていた。温かいカフェラテが美味しい季節になっていた。
窓辺の席で暖かい陽射しを浴びながら、スプーンで表面のフォームミルクを弄んだ。
舞夜はこの誕生日で、十八歳になる。自分の時とは違い、法的に成人扱いになるのだと倖枝は改めて思った。
とはいえ、倖枝は十八歳の時には既に働いていた。当時は、まだ少ない給料で咲幸のオムツやミルク等の育児用品を最優先に考えていた。
次点で、営業職として、安物であろうと替えのスーツが欲しかった。機能面は二の次で、ビジネスマナーとしての腕時計を購入したことも思い出した。カフェでのんびりとした時間を過ごしながら懐かしさに浸り、自然と笑みが漏れた。
ふと、携帯電話のインターネットで、現在の成人式について調べた。成人年齢が十八に引き下げられとも、一般的には二十歳で行うままらしい。倖枝はどこか解せないが、受験生への配慮としては納得した。
倖枝は成人式に参加していない。しかし、十八歳で既に成人した気で居た。その意味では、舞夜や咲幸に近いかもしれないと思った。
舞夜にとって成人式はまだ先だが、倖枝にはこの誕生日が『成人』の印象を強く与えていた。だから、誕生日というよりも、成人としての贈物を渡したいと考えた。
倖枝は十八歳当時、舐められまいと外観で『社会人』や『営業職』を着飾った。
スーツ、腕時計、鞄、パンプス――それでも、ひとつ大きく見落とした点があった。恥ずかしかったことを、苦い思い出として覚えている。
十八歳になった舞夜が大学生、もしくは月城の経営者として、同じ轍を踏むとは思えない。しかし、念のため先人の過ちを伝えたかった。
――それを誕生日プレゼントとして贈ろうと思った。
おそらく、このモールで購入と名入れは可能だろうが、商品の種類は限られるだろう。あのような高級ネックレスを貰ったのだから『これ』でも、なるべく高級なものを返したかった。
そうと決まれば、インターネットの通信販売で探す方がいい。倖枝はカフェラテを片手に、携帯電話を操作した。
やがて、目当てのものを見つけた。オプションで名入れとギフトバッグを選択した。そして、受け取り日時を、咲幸の居ない一週間後の午前中に指定し、購入手続きを済ませた。
抱えていた大きな悩みがようやく解消され、倖枝の気分が晴れた。舞夜にとっては些細なものに違いないが、この気持ちが伝わればいいと思った。
*
十月二十二日、日曜日。
舞夜の誕生日前日だが、仕事の繁忙日であるため、倖枝には意識する余裕が無かった。舞夜の存在が頭の隅にすら無かった。
その存在を思い出したのは、ようやく落ち着いた午後五時過ぎであった。
倖枝はHF不動産販売の店長席に座っていると、携帯電話に知らない電話番号から着信があった。
「はい。もしもし?」
店の備品扱いである仕事用のではなく、個人用の携帯電話だが、仕事絡みの内容だろうと思った。何気なく応えた。
『あっ、すいません……。つきしろまや、さん……の保護者の方でしょうか?』
知らない男性の声だった。舞夜の保護者と言われたことよりも、舞夜の名前が読み上げるような口調で出たことが、倖枝に不信感を与えた。
正面の席で夢子が仕事をしているため、倖枝は席を立ち、給湯室に入った。
「そうですけど……。舞夜に何かありましたか?」
保護者というわけではないが、近い存在ではある。それに――どういうわけか、わざわざこの携帯電話に連絡していることから、敢えて否定しなかった。
『何かあったというよりはですね、実は――』
その先の言葉に、倖枝の瞳が大きく見開いた。まさに寝耳に水であり、焦燥が込み上げた。
とはいえ、厳密には保護者ではないのだから、先程の返事を正して知らない振りをすることは出来た。どちらかというと、これは本来の保護者である舞人への案件だった。
しかし、そのように考える余裕は無かった。倖枝にとっては、まるで自分のことのように衝撃的であり、重く受け止めていた。
「わかりました。すぐに伺います」
倖枝は場所を確認すると、通話を切った。そして給湯室を出て、鞄を持った。
「ごめん、春名。ちょっと月城さんのところ行ってくるわ」
館にではないが、舞夜の元に向かうのは間違っていない。そう言い残し、店を飛び出した。
一刻も早く行かなければいけないという思いがあった。焦る気持ちをなんとか抑え込み、自動車を走らせた。
約二十分後。着いた先は、住宅地にあるコンビニだった。
館からも駅からも、遠い場所だった。どうしてこのような所に舞夜が居るのか、倖枝には分からなかった。しかし、そのような疑問は一旦置き、自動扉をくぐった。
「すいません……。先ほどお電話を頂きました……月城の者です」
倖枝はすぐ、レジの女性店員に対し、丁寧に頭を下げた。違和感があるが、便宜を図るため、そう名乗った。
「ああ。こちらにどうぞ」
学生のアルバイトと思われる彼女から、不愛想に店の奥まで案内された。
商品倉庫を抜けた先――従業員の休憩室なのか、ロッカーが見えた――狭い部屋に、ふたりがテーブルに向かい合って座っていた。
ひとりは、コンビニの制服に身を包んだ、穏やかな雰囲気の中年男性だった。おそらく、店長のような位置の人物であり、連絡をしてきた人物でもあると思った。
「この度は娘がご迷惑をおかけし、申し訳ありません!」
倖枝は男性に対し、深々と頭を下げた。
その謝罪に、男性の正面に座っていた少女が振り返った。ぼんやりと見上げる藍色の瞳を、倖枝は怒りを抑えて見下ろした。
「まあまあ……。ひとまず、そちらにお座りください。状況を整理しましょう」
表情に出ていたのか、男性からなだめるように苦笑された。
倖枝は、少女の――舞夜の隣に座り、男性と向き合った。
舞夜はカーキのミリタリージャケットとデニムパンツといった格好だった。普段は滅多に着ないような服装なので、この店の場所といい、倖枝はどこか釈然としなかった。
「娘さんが万引きしたのは、このボールペンひとつ……。そこのバイトが見つけました。防犯カメラの映像は観てませんが、たぶん映ってるでしょう」
万引きという言葉が、倖枝に重く圧し掛かった。
テーブルには、ビニール袋で梱包された未開封の黒色ボールペンが置かれていた。およそ百円の安物だ。
だが、いくら安物であろうと――万引きという行為を舞夜が働いたのだから、こうして呼び出される事態になっていた。
倖枝は信じられなかった。舞夜がこれを欲しがることも、万引きまでしたことも、意図がまるで理解できなかった。
「あんた……これ盗ったの?」
だから、本人に訊ねた。もしも舞夜が否定するならば、どれだけ分が悪くとも、店側と争う覚悟があった。
否定して欲しかった。
「……」
しかし、舞夜は無言で頷いた。気だるそうな様子だった。
倖枝は舞夜の万引き行為にも態度にも、この場で怒鳴りたかった。だが、被害者の前であるため、奥歯を噛み締めて我慢した。
「すいませんでした……。この子の保護者として、お詫び申し上げます」
本人が認めている以上、状況がひっくり返ることは無い。倖枝は再度頭を下げ、謝罪した。
どうしてこんなバカな真似をしたのだろうか。舞夜への怒りが込み上げる中――冷静な部分で、この場の対処を考えた。
舞夜を守りたかった。守らねばならなかった。
倖枝は万引きの処置を詳しく知らないが、謝罪や賠償で済む話ではないと思っていた。立派な窃盗罪であることは確かであり、店側が警察に通報したか否かが、まずは大きな分かれ目だ。
いや、既に通報済みなのかもしれないが――こちらにとっての都合としては、示談で済ませるのが最適な解決策だ。
舞夜に前科を負わせることだけは、どうしても回避しなければならなかった。
おそらく舞夜は初犯であり、被害額としても情状酌量の余地はあるだろう。そこに付け込むしか無いと思い、倖枝は顔を上げた。
「安心してください、と言えば語弊がありますが……私共としましても、なんだか腑に落ちないところがありましてねぇ……。なぁ?」
こちらの意図を読み取ったのか、男性は苦笑しながら腕を組み、視線を倖枝の背後に送った。
そこには、倖枝をこの部屋まで案内した――舞夜の犯行を捕えたらしいアルバイトの女性が、立っていた。
「はい。なんていうか……万引きにしても、ありえないぐらい下手なんですよ。大げさにアウターのポケットに入れて、それからも店の中をウロウロしてましたからね。何かのドッキリ企画かと思って、本当に声かけていいのか迷いましたもん」
ああ、そういうことか。呆れるような口調で犯行現場を語られ、倖枝は舞夜の意図をようやく理解した。
「まあ、今回は注意ということで……。ただし、
店側も、薄々は気づいているのだろう。『茶番』に付き合わされたと感じているのかもしれない。
幸いにも優しい店員で良かったと、倖枝は胸を撫で下ろした。
「はい。私からも、よく注意します」
手間と時間をかけさせたことへの謝罪、そして通報を思い留まってくれたことへの感謝――ふたつを込めて、倖枝は改めて頭を下げた。
隣の舞夜は相変わらず気だるそうに座っているだけなので、頭に手を置き、強引に下げさせた。
その後、解放され、倖枝は舞夜を助手席に乗せ自動車を走らせた。
館への道中、舞夜は無言だった。言い訳が出てくるわけがないと、倖枝は思っていた。
「私……昔はバカやってたから、中学の時に万引きしたこともあるのよ。……だから『もっと上手くやりなさい』とでも言うべきなのかしらね」
夕陽が眩しい中――倖枝は前方を見て運転しながら、ひとり言のように漏らした。
自らの経験を引き合いに、舞夜の行為を肯定するわけではない。共感できるからこそ、叱って正さねばならなかった。
信号が赤になり、倖枝はブレーキを踏んで停車させた。そして、助手席で項垂れている舞夜の胸ぐらを左手で掴むと、右手で頬を叩いた。短く乾いた音が、車内に響いた。
「あんたね――こんなしょうもないことで、人生棒に振るつもり? 自分の立場を、もっと理解しなさい」
百円の万引きとはいえ、もしも窃盗事件として起訴されていたなら前科は免れない。今回は運よく回避したが。
自分のような人間にそのような前科があっても、大した問題ではないだろう――何の価値も無い、小さな人間なのだから。
しかし、月城の令嬢となれば話は違う。価値のある人間にとっては、どれほど些細なものであっても、
「……」
事の重大さを舞夜本人がわかっているはずだと、倖枝は思った。無気力に項垂れ黙ったままの舞夜に苛立つも、信号が青に変わってアクセルを踏んだ。
やがて、館に到着した。
何も言わずに自動車から降りた舞夜に、倖枝の怒りが頂点に達した。
「受験のストレス!? 発散させるなら、別のものにしなさいよ!」
遠く離れた場所のコンビニ。変装のような服装。そして、アルバイト店員の言葉。
舞夜がそのような意図で万引きに及んだのだと、倖枝は理解していた。
――かつての自分も、そうだった。金銭に困った挙げ句に商品が欲しいのではない。
倖枝の怒鳴り声に、自動車を降りた舞夜が振り返った。驚いた表情で、何かを言いかけた。
しかし、怒りに包まれた倖枝は、身体を伸ばして助手席の扉を閉めた。そして、聞く耳を持たぬまま自動車を走らせ、店に戻った。
確かに、倖枝は舞夜に怒っていた。血の繋がらない他人の娘に――ここまで親身な対応をした自分自身にも怒っていたことには、気づかなかった。
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