第056話(後)

「わぁ。何作ってくれるんですか?」


 自室を出ると、舞夜がパタパタと背後を付いてきた。

 倖枝はトイレを済ませた後、キッチンに立った。大きめの鍋と、塩味の袋入りインスタントラーメンをふたつ取り出した。


「え……ラーメンですか?」

「ひとりの休日なんて、いつもこんなもんよ」

「ひとりじゃないですよね?」

「あんた来るなんて、聞いてないんだもん。買い物にも行きたくないし、これで我慢なさい」


 舞夜は納得いかない様子だが、倖枝は鍋に水を入れ、火にかけた。

 沸騰するまでの間にキャベツとネギを切り、舞夜には卵をとかせた。

 湯が沸くと乾麺と野菜を一緒に煮込み、とき卵を注いだ。火を止めると粉状のスープを加え、ふたつの丼に移した。最後に、袋に入っていた切りゴマを載せ、簡単だが完成した。

 丼と、麦茶を注いだグラスを、ダイニングテーブルに運んだ。


「意外と美味しそうですね」


 倖枝と向かい合って座った舞夜は、インスタントラーメンを前に目を輝かせていた。


「あんた、こういうの普段は絶対に食べないわよね」

「はい。ほとんど食べたことありません」

「世の中にはこういうジャンクフードもあるってこと、知っておいて損は無いわよ」


 倖枝は令嬢相手に対し、特別畏まりはしなかった。

 ふたりで麺を啜った。

 世間では定番であるこのインスタントラーメンは、スープは独特の味であるが、麺が絶望的に不味かった。それでも、野菜を加えれば美味しい満足感を味わえるものであり不思議だと、倖枝はいつも思っていた。


「美味しいですよ。ありがとうございます」


 少女は、安価のインスタントラーメンを本当に美味しそうに食べていた。


「きっと、お母さんが作ったからでしょうね」


 そして、無邪気に笑った。

 倖枝はその様子が微笑ましかったが、それも束の間――

 ふたり掛けのダイニングテーブルで、向かいにはいつも咲幸が座っていた。そこは、咲幸の指定席なのだ。

 それなのに舞夜が座っていることに、倖枝はあまりいい気がしなかった。


 ふたり共ラーメンを食べ終えると、倖枝は丼をキッチンに運んだ。


午後ひるからも、また勉強するんでしょ? コーヒー淹れてあげよっか?」

「いいんですか? お願いします」

「あんたんちの家政婦ほどじゃないけどね」


 倖枝はドリップコーヒーをひとつ取り出し、マグカップにホットコーヒーを淹れた。

 仕事で舞夜邸を訪れた際は、いつも家政婦から飲み物を差し出される。ここ最近は、特にアイスコーヒーが美味しかった。

 水出しだからだが、倖枝はそれを知る由もなく――豆や器具、はては家政婦の腕が良いのだろうかと思っていた。


「一息ついたら、また頑張んなさい」

「はい。頑張ります」


 舞夜にコーヒーを渡した後、倖枝は昼食の後片付けをした。

 午後一時過ぎ。それを済ませると、自室に戻ろうとした。


「私は昼寝するから、何かあったら起こして」


 本来であれば、昼間から酒を飲みながら海外ドラマでも観て過ごすはずであったが、舞夜が来たので叶わない。

 まだ身体が気だるく、眠気もある。食後すぐ寝ることになるにしろ、今日は怠惰に過ごすと決めていた。


「待ってください。わたしが咲幸の部屋を使いますので――」

「ダメ!」


 リビングのソファーから立ち上がろうとした舞夜を、倖枝は反射的に止めた。

 思わず声を荒らげてしまい、舞夜が驚いた様子を見せた。


「私のことは気にしないでいいから、舞夜はリビングを好きなように使いなさい……」


 倖枝は笑みを浮かべて擁護したつもりだが、ぎこちない表情だと自覚があった。それを隠すように、自室へと逃げ込んだ。

 舞夜が突然来たことはどちらかというと嫌だが、追い返すほどではなかった。鬱陶しいと感じる程度だ。

 しかし、さっきから――咲幸の位置に立とうとすることを、どうしてか拒んだ。

 舞夜が意図的にその行動に出ているのか、そもそもどういう意図で来たのか、倖枝にはわからない。しかし、わざわざ咲幸の留守を狙って来たということは、咲幸にはこの来訪を隠しておきたいのだろう。倖枝としても、咲幸には言いたくなかった。


 カーテンの隙間から日差しの漏れた薄暗い部屋で、倖枝はベッドに仰向けになった。

 私にとって、舞夜は何なのだろう。ふと、考える。

 かつては、擬似的な娘として可愛がった。しかし、舞夜があの館を手にしてからは、仕事での顧客という印象が強くなった。

 そして、彼女の後見人となり、擬似的な母娘の関係性が強くなったことに――倖枝は戸惑っていた。

 方向性が再度変わったこと。そして、母娘として踏み込んでいいのかという躊躇からであった。


 そう。あくまでも、私にとっての娘は咲幸。

 倖枝は、そう自分に言い聞かせた。その認識を再確認し、強めなければいけなかった。

 ――咲幸に対してもまた、最近は戸惑っていたのだ。

 ふたりの少女が頭の中をぐるぐると回る内、倖枝は眠りに落ちた。



   *



 倖枝は目を覚まし携帯電話を見ると、午後三時過ぎであった。

 尿意があるため身体を起こし、ぼんやりとした頭で自室を出た。

 ダイニングテーブルで、舞夜が突っ伏して寝ていた。ノートと参考書を広げ、右手の近くにはシャープペンシルが転がっていた。

 午後の睡魔に負けたのだろうと、倖枝は苦笑した。トイレを済ませた後、タオルケットを舞夜の肩に掛けた。


 ドリップコーヒーを氷と冷たい牛乳で割り、簡単なアイスカフェオレを作った。そのグラスを持ち、リビングのソファーに腰掛けた。舞夜を気遣いテレビを点けず、携帯電話を手にした。

 その時だった――倖枝の携帯電話が、咲幸からの電話の着信を告げた。


「もしもし、さっちゃん?」


 倖枝は慌ててすぐに応えた。ダイニングテーブルの舞夜に目をやると、着信音で目を覚ましたようだった。むくりと上半身を起こし、ぼんやりとした瞳をこちらに向けていた。


『ママ! 飛行機降りて会場の下見して、ホテルに着いたよ!』


 倖枝はソファーから立ち上がり、自室に入った。そっと扉を閉め、扉に背後を向けた。

 咲幸の明るい声が聞こえるが、言葉まであまり理解していなかった。舞夜が居るこの状況を咲幸に隠すことで、頭が一杯だった。


「そ、そっちは涼しい?」

『思ってたほどじゃないけど、ちょっとは暑さマシだよ』

「そう……。それはよかったわね」


 背後で扉が開いた。きっと携帯電話のマイクはその音を拾っただろうが、咲幸にとって不審に感じる点では無い。

 倖枝は振り向かなかった。足音も無く背後に立たれ――腹をそっと抱きしめられた。

 背中に感じる熱が、冷たく纏わりついた。


「緊張して寝れないかもしれないけど、今日は早く休みなさいね」

『あははっ。サユ、緊張するような性格キャラじゃないよ』


 倖枝は音に注意しているので、振り解かなかった。だから、舞夜からの行為を、あるがままに受け入れた。


「とにかく、明日は頑張って――ん」


 手が腹から下がり、ショートパンツから伸びた太ももをそっと撫でられた。

 倖枝は思わず、それに対して声が出た。


『ママ? どうしたの? 何かあった?』

「な、なんでもないわ。母さん明日は中継観るから、それじゃあ――」


 流石に、咲幸から怪しまれた。倖枝は会話を切り上げ、通話を切った。

 振り返ると、扉から差し込んだ光で、藍色の瞳が笑っているのが見えた。

 舞夜にとっては悪戯のつもりだったのだろうと、倖枝は思う。しかし、脚を撫でられたことで倖枝の中で疼いたものがあった。

 そして、朝から溜まっていた苛立ちが爆発した。


「……ねぇ、一緒にシャワー浴びましょう。汗かいたでしょ?」


 倖枝は舞夜を一瞥すると、Tシャツをベッドに脱ぎ捨てた。ショートパンツとショーツも脱ぎ、全裸になった。


「え……わたしはまだ、そんなに……」


 舞夜は驚く様子を見せるも、倖枝は乱暴に舞夜の衣服を脱がせた。結った髪を解いた。抵抗は無かった。そして、有無を言わさず浴室へ連れ込んだ。

 少女は白く、柔らかく、綺麗な肌だった。ぬるいシャワーをふたりで浴びながら、倖枝はそれを抱きしめ、貪った。

 咲幸のシャンプーを取り、舞夜の髪を洗った。咲幸のボディーソープを手に出し、舞夜の身体を洗った。


「ちょっと――もう少し、優しくしてください!」

「あんたがいけないのよ。私のスイッチ入れたんだから」


 倖枝はそれを盾に、暴走じみた行為を正当化した。ただ、本能に突き動かされていた。

 浴室から出ると、バスタオルでふたつの身体を乱雑に拭き取り、自室に連れ込んだ。

 まだ少し湿ったままの身体で――ベッドの上で少女と抱き合った。

 自分のベッドで、腕の中の少女から、咲幸の匂いがした。これが倖枝にとっての『あるべきかたち』であり、安心感に包まれた。


「ねぇ。キスしてもいい?」

「……今さらですか?」

「あんたからして」


 倖枝は仰向けになり、両腕を広げた。

 舞夜は乗り気ではない様子だったが、倖枝に馬乗りになると――生乾きの乱れた髪の隙間から、瞳が笑っていた。まんざらでも無い様子だった。

 願望通り、倖枝は舞夜からのキスを受け止めた。舌を犯された他、唇を甘噛された。


「お願い……。私のこと、滅茶苦茶にして!」


 きっと、あの子なら己の欲望のまま、貪欲に求めてくる――

 だから、倖枝は求められたかった。


「わかりました、お母さん」

「ううん。現在だけは、名前で――呼び捨てにして」

「いいですよ……倖枝」


 倖枝は、咲幸の匂いのする少女と、素肌を重ねた。要望のまま、乱暴に扱われた。

 こうして、叶わぬ状況を可能な限り現出した。

 だが、所詮は模擬的に過ぎなかった。本人では無いのだから、満たされるわけがなかった。

 それでも、本人とは決して交われないため――性欲をこのように解消するだけで、この時は構わなかった。

 ただ、この部屋に残る香りかげを求めた。



(第22章『残香』 完)


次回 第23章『愉悦』

倖枝は咲幸を外食に誘う。

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