第051話(後)

「……ちょっと場所変えましょう。お茶でもどうですか?」

「はいはい、喜んで」


 倖枝の本音としては早く仕事に戻りたかったが、立場上、付き合うしかなかった。露骨に不機嫌そうに返事をした。


 再び舞人の運転する自動車に乗り、向かった先は、チェーン店のカフェ――いや、レンガ造りの建物が目印の喫茶店だった。

 ホテルのラウンジに連れて行かれても倖枝は困るが、意外な店だと思った。

 それぞれのテーブルで談笑が行われているせいか、一般的なカフェに比べ賑やかな店内だった。雰囲気も明るかった。

 倖枝は対面のテーブルに舞人と向かい合って座り、店員にそれぞれ注文した。


「これ、美味しいんですよ」


 ジョッキのように大きなステンレス製のカップに注がれたアイスコーヒーがふたつ。そして、店の名物である、ソフトクリームの載ったデニッシュパンが舞人の前に運ばれた。


「嬉野さんもどうですか?」

「結構です」


 倖枝の本音は一口貰いたいところだが、機嫌が悪いため断った。男性とふたりで食べ物を共有するのも、なんだか気が引けた。

 目の前の男性は、まるで幼い子供のように、甘い食べ物を美味しそうに頬張っていた。この姿は娘となんだか似ていると、倖枝は思った。


「失礼なこと訊ねますけど……御影さんとも、この店にはよく来たんですか?」


 アイスコーヒーにガムシロップとミルクを加えストローで混ぜながら、ふと訊ねた。


「いえ。ここには、以前まえから僕ひとりで来てますよ。……あっ、誰かと来るのは嬉野さんが初めてかもしれませんね」

「それは光栄です……。今さらですけど、御影さん連れてきてあげてたなら、きっと喜んだと思いますよ。あの人、案外こういうの好きなんで」


 倖枝の中での御影歌夜は、何でも楽しむ人間だった。舞人の食べているものを目の前にすると、驚いた後、美味しく食べている姿が想像できた。


「へぇ。そういう情報、もっと早くに知っていれば、また違ったかもしれませんね」


 やはり、舞人は笑顔を崩さなかった。

 かつての妻のことは最早どうでもいいように、倖枝は感じた。


「社長さんとしては、離婚したくなかったんですか?」

「そりゃそうですよ。寂しいですし」


 心中で本当かと疑いながら、倖枝はアイスコーヒーを飲んだ。ステンレス製の容器のためよく冷えて、美味しかった。


「でも、まあ……理由が理由なだけに、仕方ないです」


 舞人はそのように言う。しかし、歌夜と舞夜の話から、原因はこの男にあるという認識を倖枝は持っていた。舞夜を会社の経営側に取り入れなければ、少なくとも離婚は回避出来たように思えた。

 とはいえ、それを口に出すのは流石に失礼だと思い、黙ったが。


「それに、幸い――舞夜は貴方と娘さんと仲良くして頂いているようで、寂しくないようです」


 舞人は笑みを浮かべたままだった。

 しかし、一瞬だけ――明らかに男の雰囲気が強張った。

 具体的にはわからないが、正面からぎろりと睨まれたような気がして、倖枝は静かに驚いた。コーヒーに添えられた豆菓子を摘んでいたが、喉に詰まらせそうになった。


「ええ。私の娘とは仲の良いお友達ですし……私には大事なお客様ですし」


 今日もお世話になったんですよ――倖枝は咄嗟に、それを付け加えることをやめた。舞人の娘を鴨のように扱っているとは、言いたくなかった。


「そうそう……その件で、思い出しました。さっきの話とは別で、嬉野さん個人にお願いがあるんですけど」


 舞人はにこやかに、そう切り出した。

 倖枝には、とてもわざとらしく感じた。その話をするために場所を変えたのだと、理解した。


「……なんですか?」


 聞きたくない頼み事はなしだが、逃げ道が無いため素直に降参した。


「僕は多忙な身なんで、娘の土地転がしにわざわざ同意書を作ったりサインしたりするのが、凄く面倒なんですよ。だから、どうでしょう? 舞夜の後見人になってくれませんか?」

「は?」


 その申し出に、倖枝はありのままの反応を示した。ポカンと口を開け、みっともない顔を見せた。相手が大企業の社長だということを、この時ばかりは忘れていた。


「舞夜が不動産の売買をする時は、貴方を頼る。貴方は契約書を作成し、舞夜のサインに後見人としてのサインを添える。それだけです。ほら……実に合理的じゃないですか。あっ、もちろん手数料は取ってくださいね」


 舞人は簡単に言うが、冗談ではないようだった。そして、倖枝の想像通りの内容でもあった。

 特別、負担になることではない。確かに舞人の言う通り、仲介業者が兼任することで合理的、かつ迅速に契約が進む。


「いや……というか、私が後見人に成れるんですか? うろ覚えですけど、確か裁判所が親族を指名するんですよね?」


 倖枝は、宅地建物取引士の資格勉強で得た、民法の知識を思い出した。

 未成年者の法定代理人は原則、親権を持つ者が該当する。しかし、両親が存命では無い場合は、本人の申し立てから裁判所が選任した未成年後見人がそれに該当する。一般的に、祖父母や親戚などの親族が選任される。

 血の繋がりの無い他人が、選任されるのだろうか? そもそも、親権者が居るにも関わらず事由が通るのだろうか?

 そのような疑問で、倖枝は理解に苦しんだ。


「仰る意味はわかります。でも……未成年の本人が多額の財産を持っている場合は『部外者』でも成れるんですよ。親族との確執が懸念されますからね」

「へぇ……」


 内輪での金銭絡みの揉め事から未成年者を保護するには、確かに親族外が効果的だと、倖枝は納得した。しかし――


「でも、そんな稀なケースだと、裁判所も社会的に信頼できる人を選びますよね? 私なんかが選ばれるんですか? というか、別に娘さんとお金で揉めてませんよね?」


 どの道、空絵事のように非現実的な選任だと思った。そのような場合は、きっと弁護士や司法書士であり、ただの不動産屋が選ばれるわけがない。


「ああ、そのへんは安心してください――ここだけの話、口が利きますんで」


 舞人は口元を手で隠し、小声を漏らした。笑みを浮かべていることから、まるで冗談を言っているようだと倖枝は思った。

 具体的な手段を、倖枝はわからない。しかし、この男が言うからこそ、これ以上無いほどの説得力があった。もしも申し立てを行ったのなら、無条件で間違いなく選ばれるだろう。


 分譲地の窓口と、舞夜の後見人――舞人から連れ出され、ふたつを依頼された。

 倖枝としては前者のみを引き受けたいが、そうはいかないだろう。館の礼ではなく、後者の報酬として前者を用意したのだと、舞人の意図を理解した。

 舞夜の後見人を引き受けることは、特に苦では無い。それを差し引いても、窓口の話は魅力的であった。

 そうは理解しても――倖枝の中で、何かが引っかかった。


「娘さんの誕生日、いつですか?」

「十月です」

「となると、あと三ヶ月ちょっとですね」


 その判断材料は、倖枝の背中を押すどころか引き止めた。

 ――未成年の時間は残り僅かなのに、どうしてわざわざ押し付ける?

 いくら法定代理人として面倒とはいえ、残りたった三ヶ月なら最後までやり遂げるものだと、倖枝は思った。

 だから、窓口の業務委託という『餌』は、他に何か狙いがあると疑った。


「本当に、娘さんの不動産売買に同意するだけでいいんですか? 厄介事ありません?」

「ははは……。あるわけないじゃないですか。本当に、それだけですよ」


 とはいえ、問い詰めたところで素直に答えて貰えるわけがなかった。

 倖枝は腑に落ちないが――どの道、拒否権が無かった。

 新参の弱小不動産屋が大手ハウスメーカーの業務委託を断れば、間違いなく潰されるのが目に見えていた。開店初日に訪れたこともあり、これは依頼や提案というより、倖枝には脅迫のように感じた。

 倖枝ひとりなら、それを踏まえても突っぱねていただろう。しかし、家族に従業員に――現在は、守るべき存在が居る。


「わかりました……。ふたつのお話、お受けします」


 彼女達のためにも、ここは渋々頷くしかなかった。


「そうですか! ありがとうございます!」


 舞人はさらに明るい声と共に立ち上がり、倖枝の両手を握った。

 倖枝は鬱陶しく感じながら、やられたと思うばかりだった。昨年、御影歌夜を通じて月城に関わった時点から――回避する術は無かっただろうが。


「これからも、娘と仲良くしてあげてください。それじゃあ、裁判所の方に申し立てをしますね」

「ちょっと! 分譲地の方も、すぐに資料回してくださいよ!」


 舞人の真意は分からないが、分譲地の窓口で簡単に儲けられることは事実だった。HF不動産販売の名前を売るにも、良い機会だろう。倖枝は見えない影に警戒しながらも、明るい部分には甘んじた。

 そして、月城舞人に目をつけられたこともまた、事実だった。倖枝としては仕事でも私生活でも関わりたくないが、今後接する機会が増えるとなり、憂鬱だった。

 本当に子会社として買収されたならどうしようと、店長として不安を抱えた。

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