第20章『後見人』

第051話(前)

「それで……本日は、どのようなご用件で?」


 倖枝は舞人から祝花を受け取ると、店の出入り口、寧々からのものと反対側に置いた。ちょうど赤青二色の祝花が挟むかたちとなり、悪くないと思った。

 この男とは、かつての御影邸――現在の『舞夜邸』の、売買契約以来の再会だった。

 祝花を贈るだけならば、業者もしくは会社の人間による代理で充分のはずだ。月城住建の社長ともある人間がわざわざ訪れたことが、倖枝は嬉しいどころか、嫌な予感がした。


「開店祝いと、デートのお誘いですよ? 今から、ちょっとドライブに行きません?」

「いや……今、普通に仕事中なんですけど」


 やはり、祝花は口実に過ぎなかった。

 その誘いも、倖枝は特に嬉しくなかった。舞夜から預かった売却物件を、早く流通機構に登録したい。

 とはいえ、もしも現在が仕事の無い暇な状態だったとしても――倖枝は単純に、この男が好きでは無かった。舞夜の生い立ちを知らなかったとしても、立場と人柄からとても胡散臭く思えただろう。


「まあまあ。悪いようにはしませんから」


 個人的には関わりたくないが、倖枝にはHF不動産販売の店長という立場がある。そして、舞人は舞夜の後見人だ。

 仕事での付き合いは、最低限の体裁を保たなければいけないと思った。


「わかりました……。ちょっとだけですからね」


 倖枝は不機嫌そうに頷き、一度店に戻った。

 苛立っているが、選択を誤れば最悪の事態を招きかねないことは理解していた。月城住建と舞夜との取引が禁止になることだけは、絶対に避けなければならない。


「ごめん、春名。なんか月城の社長さんがドライブに誘ってくれたから、かったるいけど行ってくるわ」

「え……ええ!?」


 夢子は驚き、自分の席から出入り口を見た。外で待つ舞人は、にこやかに微笑んでいた。

 倖枝はスーツのジャケットを羽織ると、鞄を持って店を出た。


「お待たせしました。『社長様』に運転させるのは悪いんで、私がしましょうか?」

「いえ、僕が誘ったんですから――貴方の車より安物ですけど、乗り心地は悪くないですよ」


 舞人は、フロントグリルに王冠マークのある倖枝の自動車を一瞥した。

 確かに舞人のものより高級ではあるが、大企業の社長に言われると、倖枝は皮肉に感じた。目先の憧れを叶えて粋がっている小物、とでも思われているようだった。

 舞人の自動車の助手席に乗り込むと、店を離れて走り出した。


「社長さんともあろう方が、こんな大衆車に乗っていいんですか? 庶民目線アピールのイメージ作りですか?」


 ふたりきりの車内で、倖枝は以前から思っていることを口にした。

 本来であれば、靴を舐めるぐらいに媚びる必要がある身分差だった。しかし、倖枝は下手に出るつもりは無かった。これが倖枝の考える、最低限の体裁だった。


「ははっ、僕は小心者ですからね。これが身の丈に合ってるんですよ」

「そんなことないですよ。娘さんのお屋敷に、御影さんの車あったじゃないですか? 置いていかれたのなら、乗ればいいと思いますけど」

「あれは舞夜にあげました。使用人が舞夜を乗せてます。……というか、あの館のオブジェみたいなものですよ」

「へぇ……。娘さん想いなんですね」

「どれだけ娘のことを想っても、一緒に暮らしてくれませんけどね。寂しい限りですよ」


 舞人は前方を見て運転しながら、終始明るい声で話していた。

 何が建前で何が本音なのか、倖枝にはわからなかった。しかし、最後の台詞だけは心底どうでもいいように聞こえた。


「これ、どこに向かってるんですか?」

「それはヒミツです。もうすぐ着きますよ」


 土曜日の夕方であるため、道は混んでいた。

 店を離れて、約二十分。住宅地に入り、更地の前で自動車は停まった。

 舞人と共に倖枝は自動車を下り、ふたり並んで整備された更地を眺めた。周囲に遮蔽物が無いため、夏の日差しが眩しかった。日傘を差したかったが、失礼だと思い控えた。

 広い更地だった。倖枝の記憶では、古い空き家が密集していたが――いつの間にか解体されていた。退職から独立まで忙しかったため、その間の街の変化には疎かった。

 更地は杭とロープで線が引かれ、そして視界の隅では一棟の戸建住宅の建築工事が行われていた。『月城住建』の看板と共に組まれた足場から、ほぼ完成された外観が覗いていた。


「また、良い所を手に入れましたね」


 目の前の光景が何であるのか、倖枝は理解した。

 ここから電車の駅まで、徒歩約十五分。スーパーマーケットや小学校も近場であり、立地は良好だった。


「ちょうど千坪あります。……来月から売りに出します」


 その言葉と共に、倖枝は舞人から二つ折りのクリップファイルを渡された。

 広げると、やはり思っていた通り――この分譲地のチラシが挟まっていた。

 私道の一本道を∪字で囲うように、八区画に分譲されていた。一区画あたり、百から百二十坪。建ぺい率が六十パーセントなので、駐車場付きで二階建て百坪の家屋が建てられるだろう。

 チラシには値段に関する数字は一切書かれていないが、倖枝は一区画のおよその値段を計算した。


「大体、一億五千万円ぐらいですか? そんな値段で、買う人――居るんでしょうね、セレブな方々が」


 土地の坪単価が七十万から八十万円、月城住建の坪単価が九十から百万円と見積もった。

 建築を他のハウスメーカーや工務店に依頼すれば、この広さでも一億円ほどで新築を建てられるだろう。それでも、月城住建の銘柄は値段相応の信頼に足り、また社会的地位と考える人間も存在する。いや、そのように考える人間しか購入しない。月城住建側も彼らしか相手にしないのだと、倖枝は思った。


「どれだけ遅くても、一年以内には完売すると思います」

「ほほぉ。随分と強気ですね」


 この価格帯ならば完売に一年以上を要すると、倖枝は踏んだ。とはいえ、舞人の自信は過去の実績によるものだろうが。


「あれは、モデルハウスですか?」


 倖枝は工事中の建物を指さした。


「ええ。そうですよ」

「そのへんの事情はよく分かりませんけど、勿体なくないですか? 展示場なんて、そこらじゅうにあるでしょ?」

「その土地の背景が実際にあると、買手はイメージを掴みやすいです。それに、最後に販売する現地モデルハウスが、実は一番人気なんですよ――若干ですけど、リーズナブルなんで」


 多くの人間が中に踏み入れるのだから、建売の新築というわけでは無い。自動車で言う『新古車』のようなものかと、倖枝は想像した。注文住宅の長所を殺すことになるが、確かに値打ちがあると納得した。


「すいませんねぇ。安物の建売と中古しか知らないもんで」


 そう。倖枝は仕事柄、仲介が不要であるハウスメーカーの分譲地とは、これまで無縁だった。だから――


「それで……こんな所に連れてきて、一体どういうつもりですか?」


 わざわざ店舗まで足を運んでドライブに誘った舞人の意図が、まるで分からなかった。ただの自慢だと言うのなら、迷惑極まりない。


「嬉野さん……貴方には、あの館の件で本当にお世話になったんで、お礼をしようと思いまして」

「お礼?」

「どうです? ここの分譲地の窓口と案内、御社が頼まれてくれませんか?」

「はい?」


 ニコニコと笑みを浮かべている舞人の言葉が、倖枝は咄嗟に理解できなかった。

 ようやく思考が働き、この地で月城住建の仕事をしている姿を次第に想像した。そして、漠然と感じたことは――


「え……開店初日から、買収の話ですか? 全然笑えないんですけど」


 倖枝は言葉通り、白けた表情で舞人を見た。その話をするために場所を変えたのなら、納得できた。

 舞人は笑顔を絶やすことなく、両手で倖枝を落ち着かせる素振りを見せた。


「買収とか子会社化とか、そういう話じゃないですよ。業務委託と思ってください。ウチも忙しくて、人手が足りませんから」

「は、はぁ……。そうですか」


 適当な嘘だとしても下手だと、倖枝は思った。この大企業が、分譲地の窓口に割く人員が不足しているとは、とても考えられない。


「窓口という体で、買手と弊社を結ぶ『仲介』をお願いします。成約一件につき、土地代の仲介手数料をお支払いしますよ――弊社側だけの片手ですけどね」


 土地単価が坪七十万円、百坪の八区画だとして、全て売却すれば手数料の合計は千七百万円近くになる。

 月城の銘柄である以上、遅かれ早かれ必ず完売するだろう。こちらから営業活動を行うことなく『窓口』としての事務処理だけで構わないのだ。

 労力に対しての報酬が『美味しすぎる話』だと、倖枝は理解した。舞人の言う『お礼』としては充分に成立するが、それ以上に――


「いやいや……どんな裏があるんですか、それ」


 倖枝の中では、不信感が勝っていた。

 ありえない話を目の前にぶら下げられて、それに食いつくほどバカだと思われているのだろうか? 倖枝は、心外かつ不愉快だった。

 どうせ、何か罠があるに決まっている。売れない、曰く付きの土地なのか? ただの窓口ではなく、多忙極まりない業務なのか? 様々な可能性を思案した。


「疑う気持ちは分かりますよ。僕も、こんな話を振られたら、何があるのか勘繰りますね。……でも、安心してください。さっきも言った通り、これは嬉野さんへのお礼です。嬉野さんが思うようなことは、本当にありません」

「すっごい失礼なこと言いますけど……詐欺師の常套句でビンゴ揃えるつもりですか?」


 舞人の雰囲気だけでなく言動まで胡散臭く感じ、倖枝の疑念は一層強くなった。いっそ手の内を見せてくれた方が清々しいとさえ思えた。

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