第050話(後)

「買うのはいいけど、取引の度にお父さん出てくるの?」


 おそらく、この館の売買が舞夜にとって初めての不動産取引ではないと、倖枝は思っていた。きっと、株取引以外にも投資信託や外貨預金、そして土地転がしにも手を出しているのだろう。

 未成年者が不動産取引を行うのは、アパートやマンションの賃貸契約では珍しい話ではないと聞いている。しかし、倖枝が未成年者相手に売買の仲介を行ったのは、この館が初めてだった。民法の知識でしかなかった法定代理人の存在を、初めて目の当たりにした。


「普段は書面の同意だけですよ。取引自体、父の秘書が代理でやってくれてます。……あんなケース、滅多にありません」


 舞夜はクリップボードを手に持ち、買付証明書にボールペンを走らせながら答えた。

 やはり、この館の売買契約は、かつての家族で顔を合わせたかったに過ぎないのだと、倖枝は把握した。舞夜と父親、どちらの提案だったのか分からないが、悪趣味だと思った。


「というか、もう少しでわたしも成人おとなです」

「あー、そっか……。現在は十八で成人だったわね」


 舞夜の言葉から、割と近い過去に民法の改正が行われたのだと、倖枝は思い出した。


「昔は、未成年でも女は十六で結婚したら成人扱いだったのよ。それも無責任な話だけどね」


 同改正により、女性の結婚可能年齢が十六歳から十八歳に引き上げられたのも、倖枝はおかしな話だと思った。

 もしも、自分と同じように十七歳で子供を産んだとしても、無条件で結婚できないのだ。自分のような境遇の者が増えるのではないかと、危惧した。


「ふふっ。昔のままですと、煩わしい手間を省くために結婚していたかもしれませんね」


 クリップボードから顔を上げた舞夜から、悪戯じみた笑みを向けられた。

 倖枝は、どうしてか何かがつっかえたような気分になった。何とも言えない気持ちで、舞夜から買付証明書を受け取った。

 クリアファイルに挟み鞄に仕舞うと、強引に気持ちを切り替えた。


「あのー、月城様。買う以外にも、何か売りたい物件はございませんか? 是非とも、安心と信頼のHF不動産販売にお預け頂けると、嬉しく思います」


 未成年の少女相手に営業用の笑みを作り、明るい声で訊ねた。


「今日オープンしたばっかりのお店に、安心も信頼もあるんですか?」

「うるさいわね。何かあるなら、さっさと出しなさいよ」

「しょうがないですねぇ」


 正座から脚の痺れにも苛立ち、倖枝は本心を露わにした。

 舞夜は呆れるように、テーブル天板下から皮革調の重要書類バインダーを取り出した。


「ローン払えず破産したらしいです。そろそろ手放してもいいかもしれません」


 倖枝は分厚く重いバインダーを開き、契約書に目を通した。

 土地九十平米、建物九十平米の三階建一軒家。現在で築五年だが、どういうわけか昨年に千九百八十万円で舞夜が手にしていた。


「あんた、ヤクザね……」


 驚く以上に恐怖を感じ、倖枝は素直な感想を漏らした。

 所在地からざっと計算すると、現在の適正価格でも三千万円近い。いくら破産者の投げ売りとはいえ、最低限の節度すら無い売買だった。


「二千五百ぐらいで出してもいいですよ?」

「ダメよ。それだと、すぐに売れちゃうじゃない。とにかく現在は家を探してる客が欲しいから、三千三百で食いつかせるわ。そいつら全員の家を探してやるんだから!」

「これを釣り餌にするお母さんの方が、よっぽどヤクザじゃないですか。別にいいですけど……」


 倖枝としては、短期で売り払うよりも、自社物件として一定の期間掲載する戦略を取りたかった。そのためには、こうして身内の顧客の理解と協力が必要不可欠であるため、ちょうどよかった。

 まさに望み通りの展開になろうとして喜んでいたところ、舞夜からひょいとバインダーを取り上げられた。


「でも、その前に……預けて欲しいなら、お願いの仕方がありますよね?」


 舞夜は両手で持ったバインダーから顔を覗かせ、ニヤニヤと笑っていた。


「わかったわよ……。何すればいいの? 土下座でも何でもいいわよ?」


 倖枝は溜め息をつきたいところだが、一応は客の手前、我慢した。

 バインダーをテーブルに置いた舞夜から腕を引き上げられ、身体を起こされた。そして、ソファーの隣に座らされた。

 スーツスカートに覆われた太ももに、舞夜の頭が倒れ込んだ。


「これでいいですよ」

「もうっ」


 仰向けになった少女は、本当に大金のやり取りをしているのか疑うほど、無邪気な子供のように笑った。

 倖枝は苦笑し、その頭をそっと撫でた。


「私よりも、さっちゃんとイチャイチャしなさいよ」

「それはそれ……これはこれです……」


 娘の名前を出すが、はぐらかされた。

 膝枕で甘える舞夜は、まるで猫のようだと、倖枝は思った。


「わたし、あの時嬉しかったです……。わたしのこと、自慢の娘だと言ってくれて……」


 ――この子は私の誇りです! 私の自慢の娘です!


 あの時、歌夜に対し感極まって出た言葉を、倖枝は忘れるはずがなかった。


「私は死にたいぐらい恥ずかしいから、早く忘れなさい」


 いや、忘れたい記憶ほど、脳裏から離れないものだ。悶々とした。

 倖枝は、面白そうに笑う舞夜から視線を外しながらも、頭を撫で続けた。

 舞夜の実の母は、この国を離れてもう居ない。あれでも後腐れの無い別れ方のように思えたが、この少女は寂しくないのだろうかと、ふと思った。


「ここで、また私と料理しましょうよ。一緒にご飯食べて、お喋りしましょうよ」


 だが、撫で声で甘える様子からは、そのように感じなかった。名残惜しむことなく吹っ切れたのだと思い、倖枝は少し安心した。


「そうね……。そういうのも、いいかもね……」


 舞夜の言う光景が安易に想像できた。まるで夢のようだが、舞夜がこの館を手にしたことで、きちんと歌夜と別れたことで、ふたりきりになれるのだ。

 倖枝もまた、それを望んだ。舞夜と過ごした時間は、確かに充実していた。

 しかし、あくまでも擬似的な母娘関係だった。それを現実に投影することは、なんだか気が引けた。

 いや、投影してはいけないのだ。

 ――この時はまだ、倖枝はかろうじて一線を引いていた。



   *



 予定通り午後四時頃、倖枝は店に戻った。

 舞夜から購入の仲介の他、あの中古一軒家を三千二百八十万円で預かった。棚から牡丹餅のような成果が何度もあると思えないが、開店日としては幸先良かった。


「いやー、とりあえず一件預けてくれたわ」


 倖枝は自分の席に座るや否や、一服する前に鞄から書類を出し、整理した。

 今日中に再建築不可の土地の買付と、預かった売却物件の流通機構への登録を行うつもりだった。売却物件の写真は明日の日中に撮り、情報と共にウェブサイトに掲載しようと考えた。


「流石は月城のお嬢さんですね。嬉野さん気に入られてるようですし、手玉に取っちゃってください」

「それが出来たら苦労しないわよ」


 倖枝は加熱式のタバコを手に席を立ち、机で事務仕事をしている夢子に苦笑した。

 狭い給湯室で一服しようとしたところ、高橋がコピー機から紙束を抱え、カウンターに置いた。


「店長、お帰りなさい! 春名さん、とりあえず三百枚刷りました!」


 大量の、売却物件を求めるチラシを目にして、倖枝はそういえばその時間だったと思い出した。

 給湯室に入る前に店の扉が開き、学生服姿の少女が現れた。


「へぇ。いい感じのお店じゃん」


 娘の咲幸が、店内をきょろきょろと見渡していた。

 倖枝は給湯室の冷蔵庫から麦茶のポットを取り出し、氷を入れたグラスに注いだ。


「さっちゃん、いらっしゃい」

「ママ! 開店おめでとう!」


 咲幸を商談席に案内すると、座らせてグラスを渡した。今日はもう、客が来ることが無いだろう。暑い中、部活動を終えてクロスバイクで店までやって来た娘を一旦休ませた。


「今日はバイトありがとうね」

「いいよ。ちょうどいい気分転換になるし」


 倖枝としては、高校三年生の夏を控えた娘には、勉強に専念して貰いたい。

 しかし、開店から二日で街全体にチラシを撒くには、咲幸の協力が必要不可欠だった。このために業者に依頼するよりは、経費を削減出来た。


「咲幸ちゃん、お疲れさま。早速なんだけど、咲幸ちゃんに回って貰いたいのが――」


 夢子が事務所から現れた。コピーした地図をテーブルに置き、巡回先を説明した。

 現地を実際に確認する意味も含め、住宅地は従業員で撒く。初心者の咲幸には、マンションを順に回って貰う計画だった。ポストが一箇所に固まっているため、効率が良い。


「広告お断りって書いてるところは、入れちゃダメよ」


 麦茶を飲みながら説明を受けている咲幸に、倖枝はそれだけを注意した。開店早々、クレームを受けるのだけは避けたかった。

 咲幸はグラスを空にすると、チラシの束をリュックサックに仕舞い、準備を終えた。


「それじゃあ、行ってくるね。バイト代、帰ってからよろしく!」

「気をつけてね。何かあったら、すぐに電話して」


 倖枝は店の外まで出ると、夕陽の射す中、ヘルメットを被ってクロスバイクで去っていく咲幸を見送った。

 それと入れ替わるように――一台の自動車が入ってきた。セダンタイプのそれは、おそらくこの国で最も有名なハイブリッド車だった。

 現れた大衆車に一体誰だろうと倖枝は思うものの、銀色であることが頭の隅に引っかかった。

 ――あの人物が身分不相応ながら、銀色のそれに乗っていたことを思い出した。

 特定の個人を連想するが、まさか来るわけがないと思いながら、店頭で駐車を待った。

 やがて、エンジンが止まり――ひとりの男性が、運転席から下りた。


 まさに、倖枝の連想した人物だった。

 倖枝は驚くよりも、怪訝な表情を浮かべた。どちらかというと、あまり会いたくない人物だった。

 スーツ姿の男性は自動車の後部座席から、祝花の鉢を抱えて近づいてきた。


「お久しぶりです、嬉野さん。開店おめでとうございます」


 三十代後半に見える男性は、オールバックの髪型にも関わらず、物柔らかな笑みを浮かべた。

 倖枝にはそれが、初めて会ったあの時から、とても胡散臭く見えていた。

 青い胡蝶蘭の花束には『祝 御開店 (株)月城住建』と書かれた札が立っていた。


「どうも、お久しぶりです……。社長さん直々に持ってきてくださるとは、気の利いたサプライズですね」

「ええ。僕から直接お祝いしたかったんで」


 皮肉の効かない大物だなと思いながら、倖枝は呆れる態度を示す意味で、引きつった笑みのまま会釈した。

 開店を迎えためでたい日に――月城舞人が現れた。



(第19章『開店』 完)


次回 第20章『後見人』

倖枝は舞人から、二つの依頼を引き受ける。

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