第042話(後)
「本当に、ここで落としたの? 一旦落ち着きなさいよ」
とはいえ、どういう根拠でここで落としたと思ったのか疑問だった。闇雲に探し回っているように見えた。
「今朝、使用人に車で送って貰ったんですが、その時は確かにありました」
舞夜は、しもやけで赤くなった両手で、右手の小指を触る真似をした。
おそらく、癖だろう。まるで猫を撫でるようなその仕草を、倖枝は以前から何度か目にしていた。だから、車中では在ったという証言に、信憑性があるように思えた。
「でも、自分の部屋で本を読んでいたら……無いことに気づきました」
つまり、自動車を下りてから二階の自室までの間に落としたことになる。
「車の中じゃないの?」
「使用人に電話して見て貰いましたけど、無かったみたいです」
「それじゃあ、家は――」
首を横に振る舞夜に、空き家の屋内にもしも在るならばすぐ見つかるはずだと、倖枝は理解した。
それらの理由から、門から玄関にかけてを疑っていることに、一応は納得した。指輪を雪に落として時間が経てば、さらに降り積もって隠れるだろう。
「日を改めて、雪が溶けてから探せばいいんじゃないの?」
「ダメです! あれは――わたしの、大事なものですから!」
倖枝は軽い気持ちで言ったところ、現在にでも泣き出しそうな舞夜から否定された。
クリスマスの日を思い出した。あの時も、この少女は珍しく感情を剥き出しにしていた。
「わかったわ……。それじゃあ、選手交代ね。私が探すわ」
倖枝は、舞夜の赤くなった両手を握った。とても冷たかった。
少女の悲痛な訴えに、この場に居る人間かつ知人として、見過ごすわけにはいかなかった。
携帯電話を取り出し、夢子に電話した。
「もしもし、春名? こっちトラブったから、戻るのちょっと遅くなるわ」
『大丈夫ですか? 私も行きましょうか?』
「……御影さん来てくれるから、大丈夫よ」
倖枝は舞夜に背中を向け、そのように答えた。舞夜には悪いが、咄嗟の嘘として歌夜の名前を出さざるを得なかった。
今日は平日のうえ天気も悪いので、仕事の方は忙しくないだろう。次席に連絡し、ひとまず時間を作った。
「さてと……」
携帯電話の通話を切ると、倖枝は門へと向き直った。
館の周りは森の木々も含め、一面の銀世界だった。その中で――門から玄関までの一本道が対象範囲だとするならば、舞夜が半分にあたる十メートルほどの除雪を済ませていた。残りは、もう半分。
自動車で雪の上を通過すれば少しは楽になるが、指輪を潰してしまう可能性がある。かといって、自動車のトランクにショベルを積んでいるわけもなく――舞夜と同様、手作業で掘るしかなかった。
倖枝は自動車のダッシュボードから、運転用の革手袋を取ってきた。こんなものでも、無いよりはまだ良いだろう。
「ごめん、傘持っててくれる?」
舞夜に傘と使い捨てカイロを渡し、倖枝は屈んだ。
舞夜は冷たさから両手が麻痺しているのか、傘の取手を腋に挟んだ。そのような状態で傘にふたりが入り、かつふたりの頭に高低差があるため、倖枝の頭にも雪が降り積もった。
倖枝は、地面に積もった雪に手に触れた。手袋越しとはいえ、雪の冷たさを完全に遮断しているわけではなかった。雪を除ける内、次第にかじかんできた。
やがて、門にたどり着く頃には、両手の感覚がすっかり麻痺していた。
「そんな!? ……わざわざ掘って貰ったのに、すいませんでした」
ふたりで門から玄関までを除雪したが、舞夜の指輪は見つからなかった。
舞夜は表情を曇らせるも、徒労に終わった結果に謝罪した。
「一旦、
倖枝はそんな舞夜を責めるわけもなく、腕を玄関の扉に伸ばした。指先はかじかんで動かなかった。
ふたりで館に入り、玄関の靴脱場に腰を下ろした。暖房器具の無い屋内が暖かいわけではないが、雪と風を凌げるだけでも良かった。
倖枝は舞夜から手袋を脱がせて貰うと、先ほどまでの舞夜同様、両手が赤くなっていた。
ひとつの使い捨てカイロが唯一の暖だった。カイロを包み込むように、ふたりの両手を上下に重ねた。
「外に無いなら、やっぱり
熱が伝わりじんわりと手が痺れるのを感じながら、倖枝は言った。
玄関から二階にある舞夜の部屋までは、一本道だ。隈なく探せば見つかるだろうと思った。
舞夜は暗い表情で、こくりと頷いた。
この深刻な様子といい、先ほどの取り乱しといい、倖枝は腑に落ちなかった。
「……あの指輪、そんなに大切なの?」
何度か見ているが、玩具の指輪にしか思えなかった。ここまで必死に探すほど高級なものなのか、疑問だった。
「あれは……わたしが
舞夜は俯き、ぽつりと漏らした。
その意外な回答に、倖枝は驚いた。やはり、高級なものではないのだろうが――舞夜がここまで感情的になるほどの価値であることは納得した。
「あの指輪だけが思い出というわけではありません……。この館には、お母様や家族で過ごした思い出が、いっぱいあります……」
舞夜は振り返り、螺旋階段や吹き抜けの天井を見上げた。
その言葉に、倖枝は心が痛んだ。いくら仕事とはいえ、少女の思い出を売ろうとしているのだ。とはいえ、館の所有権は歌夜にあるため、どうすることも出来なかった。
舞夜からはそれらしき様子は伺えなかったが、彼女なりに両親の離婚を引きずっていた。家庭が崩れた現在、思い出を大切にしていた。
「そっか……。それだけ大切なものなら、何としても探し出さないといけないわね」
だから、これが倖枝なりの、せめてもの罪滅ぼしだった。
倖枝は微笑むと、立ち上がった。そして、舞夜の腕を引いて立ち上がらせた。
舞夜はきょとんとした表情を見せるも、力強く頷いた。
ふたりで、玄関から舞夜の部屋までを慎重に探した。怪しいところは目視だけではなく、手で感触を確かめた。
螺旋階段の下やその周辺も探したが――見つからなかった。
「もういいです!」
玄関に戻ったところで、舞夜が立ち尽くして涙を流した。
「諦めないの。舞夜にとっては、大事な思い出なんでしょ?」
確かに、手詰まりで絶望的な状況だと倖枝は思った。
しかし、大人の自分までもが悲観的になってはいけないと思い、倖枝は前向きな言葉をかけた。
「思い出なら、これから『お母さん』と作っていきます!」
「嬉しいこと言ってくれて、ありがとうね……。それでも、簡単に投げ捨てていいものじゃないわよ」
そう。血の繋がった実の母親との思い出だからこそ、大切にしなければいけない。
倖枝も、咲幸には数多くの物――直近では誕生日にクロスバイクを贈ったが、もしも意図的に廃棄されたなら、きっと悲しいと思った。
倖枝は舞夜の涙を指先で拭い、そして頭を撫でた。
舞夜の折れそうな心を支えるが、途方に暮れているのが現状だった。
落とす可能性のある所は、全て探したつもりだった。あとは、外の除雪の範囲を広げるぐらいしか思い浮かばなかった。
気が重いが、倖枝は再び外に出ようとしたその時――玄関の隅、靴箱と地面の隙間に狭い空間があることに気づいた。靴箱が地面に接地していると、勘違いしていた。
「ねぇ、あそこ探した?」
「いえ……」
指を差したところ、舞夜は首を横に振った。
倖枝は屈むと、隙間に手を入れた。手探りで確かめ、砂埃の中――何か小さなものが手に触れた。にんまりと笑い、それを引き上げた。
指先が掴んでいたものは、黒猫の指輪だった。
「最初っから、ここに気づいてればよかったわね」
倖枝は指輪に息を吹きかけ、砂埃を飛ばした。
「ほら。もう失くすんじゃないわよ。大事になさい」
「はい!」
舞夜の右手を掴むと、小指に嵌めた。
確かに落とす可能性があるほどに緩いが、かといって他の指に嵌りそうにも無かった。倖枝は以前からピンキーリングだと思っていたが、違うのだろう。舞夜の言葉から、本当に幼児向けの玩具なのだ。
「ありがとうございます……」
舞夜は右手を自分の胸に置き、涙を流して微笑んだ。
やはり、少女にとってそれほどまでに大切なものなのだと、倖枝は理解した。
「ねぇ、正直に答えて――舞夜は『お母様』と寄りを戻したいの?」
以前のパーティー会場で歌夜を嘲笑った時は、手が震えていた。本心では無い虚勢だった。
そう。指輪を失くして取り乱した事といい、本心は実の母親をまだ慕っていると、倖枝は疑った。戸籍上は縁の切れた母娘関係だが、まだ完全に切れていないのだと思った。
「いえ……。あの人は自分の意思で
舞夜は俯いて指輪を撫でた後、倖枝を見上げた。
藍色の瞳を真っ直ぐに向けた。
「……最後にきちんと、お別れしたいです」
それが少女の
確かに、歌夜があれだけ拒絶している以上、復縁は難しいだろう。ならば、後腐れが無いように綺麗に終わらせるしかない。
舞夜の心残りを失くすことは可能だと倖枝は思った。
「よく言ったわね。ちゃんとお別れして、見送りましょう」
舞夜は
「大丈夫よ。『お母さん』に任せなさい」
手のひらの砂埃を払うと、舞夜の頭をくしゃっと撫でた。
倖枝は、自分とよく似た境遇の母娘に首を突っ込んだ身として、最後まで見届けたかった。
いや、もう中立ではない――明らかに舞夜の肩を持っていることを、倖枝は理解していた。しかし、その意図は分からなかった。
(第16章『指輪』 完)
次回 第17章『強さ』
倖枝は、舞夜と歌夜を対面させる。
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