第037話
一月二十七日、金曜日。
「ごめん、春名。あとよろしく」
「はい。咲幸ちゃんに、私の分もよろしくです」
「ありがとう。お礼に明日、私の作ったケーキあげるわ」
「……それは結構です」
午後五時頃、倖枝は事前の申請通り、早退した。
娘絡みの行事で早退することは過去にも何度かあったが、誕生日は初めてだった。本社の総務課は快く承諾してくれた。
スーパーマーケットで買物を済ませると、帰宅した。
丁度スーツから私服に着替えた頃、インターホンが鳴り、私服姿の舞夜がやって来た。
「ちゃんと買ってきましたよ」
洋菓子店の袋を抱えていることを確かめ、倖枝はひとまず安心した。
「よし。それじゃあ、ちゃっちゃと始めましょうか」
倖枝はエプロンを纏い、舞夜と狭いキッチンに立った。
ボウルをふたつ取り出すと、ひとつに氷水を入れ、重ねたもうひとつに生クリームと砂糖を入れた。それを、ホイッパーで泡立てた。
「ケーキ出して」
舞夜が袋から箱を、その中から五号のスポンジケーキを取り出した。
倖枝は舞夜に、この買物のみを頼んでいた。
「……
「何言ってんの。これだって立派な料理よ」
舞夜の疑問は倖枝にも理解できるが、仕方なかった。スポンジケーキからの作成となると時間、そして出来栄え共に心配だったのだ。だから、半製品を加工する手段を取った。
「……ごめん。腕しんどいから、代わって」
泡立てること、約三分。倖枝の二の腕が悲鳴を上げていた。
舞夜は呆れながらもボウルを受け取り、ホイッパーを動かした。
「これ、どうなればいいんですか?」
「ええっとね……。七分か八分ぐらい混ぜればいいって、ネットに書いてたわ。クリームすくい上げたら、とろりと落ちる状態になるみたい」
「それだけの時間かかるって分かってるなら、ハンドミキサー準備しましょうよ」
「えー。一度っきりのために、勿体ないじゃない」
咲幸が普段の料理で使用するなら考えるが、特に困っている様子は無かった。
舞夜は文句を言いながらも五分ほど泡立て、ようやく目当ての状態になった。
「……たぶん明日、筋肉痛です」
「若いのに、何言ってんのよ。よし、塗りたくるわよ」
倖枝はホイッパーでスポンジケーキにクリームを垂らした。そして、百円均一店で購入してきたパレットナイフを動かし、表面を均した。
しかし、思うように綺麗に整わなかった。
「あれ? どうして?」
昨晩、携帯電話でクリームの泡立てまでは調べたが、その先を読んでいなかった。ナイフではなく皿を回す方法が一般的だが、倖枝は知るはずがなかった。
「まあ、こんなもんでしょ。……いいじゃん、手作り感があって」
天面と側面共にナイフを何度も動かす内、次第に形が悪くなった。
流石にこれ以上触れてはいけないと倖枝は察し、妥協した――ほとんど失敗だが。
「いや、普通に汚いですよね」
「たぶん、まだクリーム塗っただけだから、そう見えるだけよ。ほら、次は堅いクリーム使うんだから、また泡立てて」
「またですか……」
舞夜がホイッパーを動かしている間、倖枝は冷蔵庫から苺とブルーベリーを取り出した。水洗いし、苺のヘタを切り落とした。
星口金を付けた絞り袋に堅くなったクリームを入れると、舞夜に手渡した。失敗が続くことを倖枝は恐れ、説明と共に託した。
「上手いじゃない。意外と、手先器用なのね」
「これぐらいなら、誰でも出来ると思いますけど」
同じ大きさに絞り出したクリームを、舞夜は天面の縁に綺麗に並べた。
ここだけ見れば市販のケーキだと、倖枝は思った。クリームを塗るのもやって貰えばよかったと、後悔した。
クリームを並べ終えると、ふたりで苺とブルーベリーを飾り付けた。
一度置いたものはクリームの都合で外せないが、スリルを味わう遊びのように、交互に置いた。結果的に、そう形を崩すことなく飾れた。
「おおっ。なんか、それっぽくなったわね」
「お店のやつには程遠いですが……素人としては、悪くないんじゃないでしょうか」
やはり平らでない表面のクリームが目を引くが、想像していたよりは上手く出来たと倖枝は思った。
ケーキを箱に仕舞い冷蔵庫に入れると、代わりに鶏もも肉と長ネギを取り出した。
「私が切っていくから、串に刺していって」
舞夜と役割分担で、焼き鳥を作っていった。
倖枝は全てを切り終わり、舞夜が刺している最中――完成させて並べたものを見ると、なんだか違和感を覚えた。
「なんかこれ……焼き鳥というより、バーベキューみたいじゃない?」
「たぶん、お肉が大きいからそう見えるんじゃないですか?」
倖枝は適当に切っていたので気づかなかったが、確かに店の焼き鳥の倍ぐらいの大きさだった。一本の串に刺さっている数も少ないと思った。
「分かってるなら、早く言いなさいよ!」
「てっきり、
「そんなわけないでしょ! まあ、食べごたえあるからいいか……」
後悔しても遅いと割り切り、フライパンを取り出して熱した。
時刻は午後七時半。咲幸の帰宅までもう少し時間があるため、こうも失敗が続くと、一本だけ試して焼いておきたかった。
塩こしょうを振り、中火で両面を焼いた。最後に、市販の焼き鳥のタレを絡め、ひとまず完成した。大きさを除けば、見た目は悪くなかった。
一口ずつ、舞夜と交互に食べた。
「なーんか、パサパサしてるわね」
タレの味のみが口に残り、鶏肉を食べている感じがしないと倖枝は思った。
「たぶんですけど、火が強いんですよ。表面だけさっと焼いて、あとはそうですね……蓋して、弱火でじっくり蒸し焼きにすればどうでしょう」
「それよ! 本番はそうしましょう!」
舞夜の言っている内容が倖枝には今ひとつ理解できなかった。しかし、唯一出た改善案なので、的確な助言に聞こえた。
こうして、咲幸を迎える準備が整った。
計画を立てるも料理は不安だったが、いざ行うと楽しかった。
舞夜のおかげだった。
腕の近い者通しで試行錯誤するのは、倖枝には初めてのことだった。
きっと、娘に料理を教えるにしても、最初から上手くいかなくてもいいのだろう。こうしてふたりで楽しむことが大切なのだと、倖枝は思った。
文句を言いながらも、舞夜も楽しそうな様子だった。
そう。倖枝は、本当に実の娘と一緒に料理をしたかのような達成感があった。
「ただいまー。……あれ?」
まだ午後八時にはなっていないが、咲幸が帰宅した。玄関の、舞夜の靴に気づいたようだった。
倖枝は黙ったまま身振りと手振りで舞夜に指示し、ふたりでリビングに並んだ。
そして、リビングの扉を開けた、学生服姿の咲幸を迎えた。
「おかえりなさい、さっちゃん」
「咲幸……誕生日、おめでとう」
咲幸はその場で立ち止まると、目を丸くして分かりやすく驚いた。
「……舞夜ちゃん、来てたんだ」
「帰りに買物してた時に、偶然出会ってね……。せっかくだから、料理手伝って貰ったのよ」
娘に嘘をつくのは忍びないが、事前に決めていた通り、倖枝はそう話すしか無かった。
後ろめたさを誤魔化すように――キッチンに向かうと、冷蔵庫からケーキと焼き鳥を取り出し、キッチンカウンターに置いた。
「ほら! 母さんと舞夜ちゃんからのサプライズよ!」
「……へー。ふたりで料理してたんだ……サユの居ない間に」
咲幸が喜ぶと思っていたが、冷ややかな目で料理を見下ろしていた。
「『これ』がママの言ってたサプライズなの?」
「ええ……。そうよ」
咲幸の重い声に、倖枝は様子がおかしいと察した。
期待させておきながら大したものではなかったと、落胆させたのだと思った。料理だけではなく、計画そのものが失敗だったのかと悔やむが――
「ぷっ、なにこれ。大きいし形汚いし……ヤバすぎでしょ。でも、こういうのしてくれたの初めてだから、超嬉しいな」
何かの糸が切れたように、咲幸が笑いだした。
そして、舞夜に近づくと、正面から抱きしめた。
「舞夜ちゃん……。ここ最近、ごめんね。サユのために、ありがとう」
「いいのよ。咲幸にとって素敵な一年になるように、わたしも頑張るから……」
ふたりで抱き合った後、舞夜が自分の鞄から包装された小袋を取り出し、咲幸に渡した。
舞夜が用意した誕生日プレゼントなのだろう。咲幸が開けると、ファーが付いているピンク色の羊革手袋が出てきた。
「わぁ。ありがとう! 舞夜ちゃん、好き!」
再び抱きつく咲幸を見て、倖枝はキッチンで微笑んだ。
咲幸と舞夜の仲が戻り、計画通りに事が運んだ。料理自体はあまり上手くいかなかったが、最高の結果に終わった。
あとは――舞夜が倖枝から咲幸を引き離せば、無事に片付く。正常な母娘に戻れる。
「さあ! 焼き鳥焼いていくわよ! ケーキもあるからね!」
咲幸の誕生日を、舞夜とふたりで祝った。
十七回目にして、母親としての手応えを初めて得たものだった。
それには咲幸の嬉しそうな様子だけではなく、舞夜との料理で得たものも含まれていた。
(第14章『料理』 完)
次回 第15章『同等』
バレンタインに倖枝は咲幸とデートをする。
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