第032話
一月十四日、土曜日。
約束通り午後五時頃、倖枝は御影歌夜の部屋を訪れた。
「お待たせしました、御影様。本日は、よろしくお願い致します」
「ようこそ。こっちに来てちょうだい」
歌夜は既に着替え終えていた。
深い青色の総レース刺繍されたロングドレスは、派手ではないが存在感がとても大きかった。周りの視線を集めるだろうと倖枝は思った。
倖枝が通された一室は、どうやら衣装部屋のようだった。キャスター付きのハンガーラックに、いくつかのドレスが吊るされていた。
「貴方は、明るい落ち着いた感じが似合うと思うのよね」
歌夜の言葉通り、ハンガーラックにはそのような色のドレスが用意されていた。歌夜はその中から、モーブとベージュの二着を手に取った。
倖枝はスーツ姿のまま姿見鏡の前に立つと、歌夜から順に、身体の前にドレスを重ねられた。
「ベージュの方が良いのではないでしょうか?」
「そうね。私も同じ意見よ」
倖枝としてはどちらも大差が無いように見えた。しかし、モーブだと歌夜のドレスと色の系統が近いため、消去法で選んだ。
この色のドレスを今までに着たことが無かったが、歌夜の言う通り、確かに暗い色よりは似合っていると思った。歌夜のその手のセンスに感服した。
倖枝はスーツを脱ぐと、黒色のタイツからベージュのストッキングに履き替え、ドレスを着た。歌夜と体型が近いと以前から思っていたが、サイズはぴったりだった。
歌夜からドレスの他、ファー付きコートにハンドバッグ、銀色のパンプス、真珠のネックレスまでを借りた。さらに化粧を施したが、髪をまとめ上げる時間までは無かったので、イヤリングは小さなものを選んで貰った。
「ほら。いい感じじゃない」
「ありがとうございます」
歌夜の手持ちによるトータルコーディネートで仕上がり、見違えるほどの格好になったと倖枝は思った。どれも高級品であるため、傷や汚れの緊張から、気分は上がらなかったが。
準備が整うと、会場であるホテルまで向かった。
歌夜の自動車を、倖枝が運転した。王冠マークが目印の倖枝のものも、この国では高級車寄りに分類されるが、あくまでも庶民の中での話だった。やはり、それで会場に入るのは格好悪かった。
倖枝は有名な高級輸入車の最高グレードを初めて運転したが、その乗り心地に感動した。
高速道路を乗り継ぐこと、一時間。午後七時頃、都心の高級ホテルに到着した。玄関で、バレーサービスに自動車の鍵を預けた。
「こんばんは。御影です」
エレベーターで最上階の宴会場まで上がると、入口で歌夜が受付を済ませた。
「わぁ」
会場に入ると、倖枝は思わず声が漏れた。
ガラス張りの壁の向こうはテラス、そして都心の夜景が一望できた。広い会場内には階段があり、階層が別れていた。
所々に立食用のテーブルが置かれ、壁沿いにはドリンクとビュッフェメニューの他、シェフが料理をしていた。
倖枝が想像していたよりはカジュアルな雰囲気だが、しかし洗練された空間は非日常だった。
「さてと……。まずは、主催に挨拶しときましょうか」
「はい!」
倖枝はウェイターからウーロン茶を受け取ると、ウェルカムシャンパンを手にした歌夜の後を付いた。
「あけましておめでとう。お招き頂いて、ありがとう」
「あら、月城さん――じゃなかった、御影さん。新しい殿方、お探しになられては?」
「そういうのは、しばらく結構よ。最近は、素敵なお友達と過ごしているから――こちら、不動産屋の店長の嬉野さん」
「は、はじめまして! 嬉野と申します!」
歌夜から紹介された主催者は、歌夜と同じぐらいの年齢の女性だった。
不動産屋の店長という肩書に違いはないが、大した人間ではないため、優良誤認を与えているようだと倖枝は思った。
倖枝はハンドバッグから名刺を取り出し、手渡した。
その後も歌夜に連れられ、様々な人と名刺交換を行った。
異業種かつそれなりの地位の人間と出会えたため、倖枝にとっては宝の山を掘り当てた気分だった。
早速、投資物件について訊ねてきた者も中には居たが、この場で御影邸の話は一切しなかった。後日、改めて紹介するつもりだった。また、営業を持ちかける相手もいくつか見定めた。
会場に着いて、一時間ほどが経過した。
場馴れしている歌夜は適当に料理をつまんでいたが、倖枝にそのような余裕は無かった。高級そうな料理への興味は疲労と共に次第に遠退き、食欲よりもニコチンを欲した。
「すいません。ちょっと一服してきます」
おそらく、宴会場を出るとホテル内に喫煙所はあるだろう。だが、テラスに喫煙スペースが見え、倖枝は近場のそこを指さした。
「私も付き合うわ。外の風にあたりたいから」
歌夜とふたり、人気の無いテラスに出た。
一月の寒空は、ドレス姿には想像以上に堪えた。ガスストーブの灯が見え、煙草を咥えるよりも、身震いしながら近づいた。
ストーブには先客として、ひとりの女性が立っていた。
「あら……。嬉野さんもいらしていたんですか」
倖枝は、女性から声をかけられた。
薄い青色のミディドレスに身を包んだ女性は、グレーのストールを長い黒髪の上から、肩に羽織っていた。
夜空の下、ストーブの灯に照らされた姿はとても美しく、二十代前半のように見えた。
――NACHTで出会った夜を思い出した。
あの時とドレスの色こそ違うものの、印象は限りなく近かった。
魔女が立っていた。
倖枝はその存在に一瞬驚いた。しかし、たとえ未成年だろうと、この宴に居てもおかしくない地位であることに、すぐ気づいた。
「なんだ。そこの人の付き添いですか……」
その台詞は、とてもわざとらしく聞こえた。
現在ここに居るのも、いつものように彼女の計画の内なのではと疑った。
「舞夜……貴方も来ていたの?」
倖枝の隣で、歌夜が漏らした。
素っ気ない声は、倖枝に歌夜と初めて会った時のことを思い出させた。表情を見ていないが、この声の彼女の一面は、おそらく――
「ええ。お久しぶりです、お母様」
月城舞夜は、目と口元で下卑た笑みを浮かべた。
ストールを掴む右腕の小指には、黒猫の指輪が嵌っていた。
(第12章『計画』 完)
次回 第13章『拒絶』
倖枝は歌夜に離婚理由を訊ねる。
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