第024話
十二月二十四日、土曜日。
この日、夢子は有給を取り、嬉野倖枝と元同僚の結婚式に参加した。
夢子としては、可もなく不可もなく、といった感触だった。華やかな雰囲気や豪華な料理は悪くなかった。しかし、結婚願望は湧かなかった。自分があの中心で主役になっていることが、考えられなかった。
夢子はそうであったが、倖枝がひどく打ちのめされていた。普段近くで働いているので、無理をして作り笑いを浮かべていることが分かった。
倖枝の境遇を知っている身としては、仕方ないと思った。だが、励ましや慰めの言葉は掛けられなかった。
自分の人生経験上、何を言っても説得力に欠けるのだから――
帰路の車内で、助手席の倖枝はぐったりとしていた。
辛い行事を終えた現在、表情を見なくとも暗く沈んでいると、運転席の夢子には分かった。二次会まで今日一日よく耐えたと心中で称え、夜の高速道路を走った。
「ごめん、春名。あそこのバーで下ろして貰える?」
高速道路を下りた時、ふと倖枝が漏らした。夢子は雰囲気が苦手なのであまり行かないが、倖枝行きつけのバーだった。
夢子としては、上司に早く休んで貰いたかった。しかし、休んだところで気持ちが切り替わるとも限らないので、倖枝の意見を尊重した。結局のところ、本人に任せるしかなかった。
「嬉野さん、大丈夫ですか?」
とはいえ、バーの前に自動車を一時的に停めると、やはり心配だった。
思い返せば、倖枝は既に浴びるほどの酒を飲んでいた。
「ええ。ちょっと飲み直して、明日からまた頑張るから……。今日はありがとうね」
倖枝の口調も苦笑する表情も――暗い雰囲気以外は、まだしっかりとしていた。今までも酔い潰れたところを見たことが無かったので、夢子はその言葉を信じるしかなかった。
「そうですか……。それじゃあ、お疲れさまでした」
不安は残るが思い切って割り切り、再び自動車を走らせた。
そのまま自宅に帰るはずだった。ふと、スーパーマーケットの看板が運転席から視界に入り、立ち寄った。
今日は披露宴から二次会まで数々の料理を食べて、現在も腹は膨れていた。
しかし、物足りなさがあった。雑炊や麺類等、炭水化物を摂りたい気分だった。
自動車の運転のため、酒は一滴も飲んでいない。アルコールで血糖値が下がったわけではないのに――雰囲気で酔ったせいかな、と夢子は思った。
入口でレジカゴを取ると、そのまま惣菜コーナーへと向かった。午後九時半なので期待はしていなかったが、まだ意外と売れ残っているようだった。
そして、大量のローストチキンを見て、今日はクリスマスだったと思い出した。他にも唐揚げやパック寿司、ピザにグラタンが目についた。
もう少し胃に優しいものが食べたいと思い、夢子はその場から立ち去ろうとした、その時――ローストチキンを品定めしている小柄な女性に気づいた。
「二階堂さん……こんな時間にこんな所で、何してるんですか?」
呆れながら声をかけると、二階堂灯は振り返った。
前髪は下ろしていたが髪を後ろで束ね、すっぴんの顔に眼鏡をかけていた。マキシスカートを履いていたが、ダウンジャケットの首元からモコモコした素材のルームウェアが見えた。
そして、哀愁の雰囲気を醸し出していた。
「え……ええ!?」
灯はきょとんとした表情で見上げた後、露骨に驚いた。
ドレス姿に対してなのだと、夢子は理解した。倖枝や新婦等、普段の自分を知ってる人間達は例外なく同じ反応だった。
「その……お前女だったのか、みたいに見るの、やめて貰ってもいいですか? 地味に傷つくんで」
「でも、でも――ビックリしましたよ」
未だにポカンとしている灯が、夢子にはとても間抜けに見えた。
「私は結婚式の帰りですけど……二階堂さんは……」
灯が漁っていたローストチキンには、半額のシールが貼られていた。
そして、彼女の格好から夢子は察した。この時間までスーパーに『来れなかった』わけではないのだと思った。
「うるさいですね! 独り身のクリスマスはこうなんです!」
少なくとも自分は、時間を見計らって半額食品を買いにくるような真似はしないけどな……。夢子は呆れた目で灯を見た。
「二階堂さん、今からうち来ます? 軽くですけど、何か作りますよ?」
「え……いいんですか?」
灯があまりにも不憫に思え、同情した。
明日は日曜日だが、灯と違い、夢子は仕事だった。しかし、内覧の案内が一件ある程度であり、個人としても店舗としても売上目標は達成済みであった。そして、明後日の月曜日で年内の業務は終了する。今夜、多少夜更しすることになっても、支障は無いと判断した。
「構いませんよ。……ただし、チキンとケーキは自分の食べる分だけ買ってください。私は結構ですので」
鶏という言葉が出てきたため、夢子は鶏白湯ラーメンが食べたくなった。だが、スープを煮込むのに長時間必要のため、諦めた。
鶏粥も同様の理由だった。本来であれば鶏一羽を用意し、腹に餅米を詰めて長時間煮込む。
とはいえ、現実的なところで妥協しなければいけないと思った。夢子は鶏もも肉、ネギ、三つ葉、生姜、ニンニクをレジカゴに入れた。
「二階堂さん、そんなに食べるんですか?」
灯のレジカゴにはボトルの赤ワインの他、ローストチキンとショートケーキが二人前入っていた。自分は不要だと言ったのが伝わらなかったのかと思った。
「明日の分もです」
「……そうですか」
買物を済ませると、灯を自動車に乗せて自宅へと走った。
「触らないでください」
助手席に座る灯が、ルームミラーにぶら下がるパンダのキーホルダーを珍しそうに触っていた。運転席の夢子としては、鬱陶しかった。
灯は口数も少なく、なんだかそわそわしているようだった。
夜も更け、静かで曖昧な世界を、夢子は自動車を走らせた。
スーパーから十分ほどで、自宅である賃貸アパートに到着した。
「お邪魔します……。春名さん、いい所に住んでるんですね。私なんて、ワンルームですよ」
部屋に上げるや否や、灯からそのように言われた。
確かに、ひとりで2LDKの部屋に暮らすのは珍しいと、夢子自身も思っていた。
「ひとつが寝室で、もうひとつが物置ですよ。そういう意味では合理的です」
テント等、趣味で使用するものが多い。家賃は張るが、仕方なくこの部屋で暮らしていた。それらが無ければ、夢子もワンルームの部屋で暮らしていた。
「二階堂さんは新築買えるんじゃないですか? 頭金で半分は出せるでしょ?」
「……クリスマスにそういう話はやめてください」
からかうように言ったが、灯は本当に嫌そうな反応を見せた。
夢子としては、須藤寧々と相談して自分に合った家を建てるという選択肢も、最近は考えていた。たとえ、平屋一階建てだとしても。
その考えが出来るほど、今後もひとりで生きていくつもりだった。
「鶏粥作りますんで、テレビでも観て待っていてください」
「わぁ。楽しみです」
灯をリビングで待たせ、夢子は料理を始めた。部屋着に着替えるのが面倒のため、ドレスの上からエプロンを纏った。
鍋で湯を沸かし、解凍した冷凍御飯と一口分の大きさに切った鶏肉を煮込んだ。その間にオーブンでローストチキンを温め、コルクを開けたワインを共に、灯に差し出した。
二十分ほど煮込んだ後、すり下ろした生姜とニンニク、そして――化学調味料はあまり使いたくなかったが、細粒の鶏ガラスープを入れ、さらに五分煮込んだ。最後に三つ葉とネギを載せ、簡易的な鶏粥が完成した。
「お待たせしました。味が薄かったら、塩を足してください」
ふたつの茶碗に盛り付けて運んだ頃には、灯がローストチキンを食べ終えていた。丁度いい頃合いだと、夢子は思った。
テレビのバラエティ番組を観ながら、小さなソファーにふたり並んで座った。
「美味しいですね! さっとこんなものが作れるなんて、凄いじゃないですか!」
一口食べた灯から褒められるも、夢子としては今ひとつな味だった。餅米のとろみ、鶏ガラで煮込んだ濃厚さ、そして漢方にも使われる野菜の苦味が無いので、物足りなかった。
「今度、改めてちゃんと作りますんで、また食べに来てください」
「本当ですか!? 楽しみにしています!」
下手に妥協したため、返って『本物』が食べたくなってきた。夢子は近い内に鶏一匹を仕入れようと、決意した。
「部屋も落ち着いた感じですし、料理も出来ますし……春名さんって、なんやかんやで女子力高いですよね」
「こういう料理を女子力と呼んでいいのか微妙ですが……料理には変にこだわるんで、面倒臭いだけですよ」
夢子の中の女性像では、何よりも繊細さがあった。自分はそれからかけ離れていると思っていた。
テーブルのワインボトルを手にした。半分ほど減っていた。
「個人的に、ワインには燻製ですね。キャンプに行った時には必ず作ります」
ベーコン、チーズ、ゆで卵。現在の季節は牡蠣も燻製にすれば美味しそうだと思った。
ワインにしても、値は張るが燻製と合うものを知っている。
夢子は、個人で楽しむ分には妥協や出し惜しみをしなかった。そして、それが他人と共有出来ないことを理解していた。
「あー……。そういうの、いいですね」
「何なら、今度一緒に行きませんか?」
どうして誘ったんだろう――口にしてから、夢子は疑問に思った。
夢子に自覚は無かったが、自分の料理に灯が喜んでいたからだった。
燻製を作った際は、タッパーに詰めて倖枝に分けている。倖枝も喜んでくれる。しかし、それとはまた別だった。
自分が灯と楽しみたいと思ったからだった。
「いいんですか?」
「冬は流石に、テントで泊まりはしませんけど……。というか、二階堂さんにもいろいろと手伝って貰いますよ?」
「えー。私、アウトドアになんて縁が無いですよ。……でも、そういうのも楽しそうですね」
建前の返事ではなく、灯が本当に楽しそうにしていると、夢子にはわかった。もう、スーパーで見たような哀愁は無かった。
現在まで、ひとりで生きてきた。好き勝手に生きるなら、ひとりだと思っていた。
しかし、この人は文句を言いつつも、自分の『好き勝手』を受け止めてくれるような気がした。
出来るなら――自分ひとりの『楽しみ』を、この人と共有したかった。
そう思うと同時、どうしてか――過去に見てしまった、倖枝と寧々のキスが頭に浮かんだ。
それは砂嵐の映像のように脳裏にちらつくが、払い除けた。
「自然の中で……外で食べるものは、大抵は美味しいです」
夢子はふっと微笑んだ。
ふと、夢子の携帯電話が鳴った。画面を見ると、倖枝から電話の着信だった。
「嬉野さんからです」
「どうぞ、出てください」
灯はリモコンを触り、テレビを消音にした。
時刻は午後十一時。こんな時間に何だろうと思いつつも、夢子は通話に応じた。
「お疲れさまです。……え? 今夜泊めて欲しい?」
(第09章『春名夢子』 完)
次回 第10章『失敗』
咲幸から逃げ出した倖枝は、舞夜を呼び出す。
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