第023話
二年前。
四月の末――ゴールデンウィークに突入するとすぐ、夢子は思い切って髪を切った。
美容室を出た頃には正午過ぎだったので、その脚で昼食を摂ろうと近くのカフェに入った。
ホットサンドとカフェラテの載ったトレイをレジで受け取り、混んでいる店内の空席を探した。
ふと、ふたり掛けの対面席に座っている、ひとりの女性が目に入った。
小柄な女性は、ピンクの花柄ワンピースと淡い黄色のカーディガンといった、清楚な格好だった。下ろした髪は巻かれ、コンタクトレンズだろうか――眼鏡は外していた。
銀行で会っている時とまるで別人だったが、どこかぎこちない、堅い雰囲気はいつも通りだった。
「こんにちは、二階堂さん。相席いいですか?」
夢子は二階堂灯の正面まで近づき、挨拶をした。
普段であれば、きっと声を掛けずに見ない振りをしていただろう。春の暖かな陽気と軽くなった頭から、浮かれた気分だった。
「え!? あ……えーっと……春名さんですか?」
「はい。そうです」
灯は驚いた様子で、正面の椅子に置いていた鞄を取った。
空いた席に夢子は座り、灯と向き合った。
「ビックリしましたよ。誰かと思いました。……失礼ですけど、男の人かと」
灯から胸元に視線を送られた。それで性別を判断されたのだと、夢子は少し不快だった。
夢子はオフホワイトのシャツの裾を、デニムパンツに入れていた。確かに男性のような格好だと自覚していたが、灯が言いたいのはそれだけではないと理解していた。
「誰かと思ったのは、お互い様ですよ……。私の方は、今さっき切ってきたところです」
夢子は気分転換に、今日は髪をうんと短く切るつもりだった。
本当はベリーショートにしたかったが、営業職という立場上、諦めた。美容師と相談した結果、マッシュヘアにした。
ここまで短く切ったのは初めてだった。まるで枷が外れたかのように、首から上が軽かった。前髪を触ると、綺麗に切り揃えられているのが分かった。
「バッサリいきましたね。私には真似できません」
灯の場合、ここまで切ると中学生ぐらいの男子に見られるなと、夢子は思った。口には出さなかった。
「次席になったからですか? 昇進、おめでとうございます。異例の早さですよね」
「ありがとうございます……。たまたまですし、髪型とは関係無いですよ」
夢子には嫌味のように聞こえたが、一応感謝の言葉を述べた。
四月に入ってすぐ、売上成績から嬉野倖枝が店長に昇進した。それまでの店長は他店舗へ異動となった。
空いた次席の位置に、店舗内で倖枝の次に成績の良かった夢子が就いた。
確かに、入社三年目で次席まで昇った者は類を見ないと、本社からも評価されていた。しかし、夢子は運が良かっただけだと思っていた。
夢子に自覚は無かったが、この評価から大きな自信を得ていた。論理とデータを元にした『自分のやり方』が通用したのだ。
この髪型にしたのは、実際は気分転換でもなかった。自信を持った現在、自分らしく在りたいと思ったからだった。
「二階堂さんの方は、これからデートですか?」
めかし込んだ灯を見た夢子の第一印象が、それだった。
「違いますよ。デートする相手なんて、居ません。……だから、探しに行きます。一時半から、婚活パーティーです」
灯は恥ずかしそうな表情を浮かべていた。
婚活パーティー。そのようなイベントの存在を夢子は思い出すと同時、大変だなと思いながら、カフェラテを口にした。
昨今は出会いを求めてマッチングアプリを活用している者が多い印象だった。しかし、携帯電話越しのやり取りからいざこざも多いと聞くため、実際に顔を合わせるに越したことがないと思った。
「へー。折角の連休なのに、頑張ってるんですね」
「どうしてそんなに他人事なんですか!? 二十代なんてすぐに終わって、じきに三十が迫ってくるんですからね! 大体、貴方は――貴方の場合は、彼氏いてもおかしくないですね」
いつもの調子が出てきたと夢子が思うも、灯は脱力気味に項垂れた。
「いえ。私に彼氏なんて居ませんけど」
「え……そうなんですか? スタイル良いんですから、ガチれば一瞬でしょ?」
「そうは言われても……同意しかねます。現在まで一度も彼氏が居たことが無いんで、手応えが分かりません」
二十五歳の夢子は、正直に話した。恥ずかしいとは思わなかった。
「別に、強がりでも皮肉でも無いんですが……誰かと付き合いたいと思ったことはないです。本当に」
この考えが世間からずれているという自覚はあった。
恋人を作って結婚することが、女としての幸せである。女性の大多数がその意見だと理解はしているが、夢子にその願いは無かった。それよりも――
「私、ひとりのキャンプや釣りが趣味なんですよ。自然の中でのんびり過ごすのが好きなんで」
生活に必要な金銭を稼げる現在、何よりも自分の時間を大切にしたかった。恋人だけではなく、誰とも共有したくなかった。
キャンプへは偶に、倖枝の娘である咲幸を連れて行くことがある。彼女はテント張りや料理を手伝ってくれる他、彼女なりにひとりで楽しんでいた。邪魔されるという感覚が無いため、その程度なら構わないが。
「まあ、なんというか……。私は、そういう考えを否定しません。ある意味で現代人らしいと思います」
灯は困ったような表情で頷いた。
夢子は以前から灯に変わり者としての親近感があったが、人生観は正反対だった。
「ちなみにですけど、婚活パーティーって初対面の人とこういう話をするんですか? 趣味がどうとか」
灯の様子と口振りから、今回が初参加というわけでもなさそうだった。
夢子自身は参加したいとは思わないが、どのような内容なのかは後学のため興味があった。
「はい。席を移動しながら、限られた時間で自己紹介をする感じです」
「それじゃあ、ダメじゃないですか。肯定も否定もしないって、本当に無関心みたいで感じ悪いですよ? もっと、相手にのめり込まないと」
「うるさいですね! 余計なお世話です!」
夢子は念のため、営業としての駄目出しをしておいた。
嘘や隠し事が出来ない――表情も言葉も正直である部分は灯の長所だと思えたが、初対面では印象が違ってくるだろう。
「私だって二十七年間、一度も彼氏いたことないんですから! 男の人とどうやって話せばいいのかなんて、分かるわけないじゃないですか……」
相手の性別以前の問題だと夢子は思ったが、黙っておいた。
「そこまで言うなら、ちょっと練習に付き合ってください。……春名さんは最近、何かハマっているものあるんですか?」
「そうですね……。私の最近のブームはパンダです。この前は三百倍の抽選を勝ち抜いて、双子の赤ちゃんを見てきました」
夢子は携帯電話を取り出すと、動物園で撮った写真を灯に見せた。
テレビのニュースで観たのが始まりであり、愛くるしい姿に実物を見たいと思った。動物園では僅か一分のみの鑑賞だったが、至福の時間を味わった。
「ほら。めちゃくちゃ可愛くないですか? 双子なのに、全然違いますよね」
「……わかりません」
「え? よく見てくださいよ。目の模様も耳の形も、全然違うじゃないですか」
「わかりませんよ! どうして急に、女の子らしい趣味が出てくるんですか!? しかも、ちょっとウザい感じだし!」
夢子としては、キャンプもパンダ鑑賞も、性別について考えたことは無かった。言われてみれば確かにそうだと、現在になって納得した。
「
「個性というか、そもそも違い分かりませんよ!」
「こっちがやんちゃで、こっちが甘えん坊じゃないですか。お母さんへの接し方を見れば、誰だって分かりますよね?」
呆れる灯の視線で、夢子ははっと我に返った。
いつの間にか席から立ち上がり、携帯電話の写真をスライドさせながら熱弁していた。
「……二階堂さんの趣味は何ですか?」
夢子は改めて座ると、ホットサンドを齧りながら灯に訊ねた。
「料理と読書です」
「なんていうか……話が広がりませんね。女子力アピールってやつですか? そう答えるのが男ウケいいんですか?」
「うるさいですね! 普通は『得意料理は何ですか?』とか『面白い本ありますか?』とか返してくるもんなんですよ!」
灯の言葉に納得する面はあるが、夢子は自ら進んで料理をするので、食べたいとは思わなかった。他人の味に文句を言うなら自分で作る、という考えだった。
もしも灯の言う通りに返したとしても、話が盛り上がる気がしなかった。
「ちなみに、本当の趣味は何ですか?」
「アイドル鑑賞とか応援とかです。最近のよりも、私の中の原点にして頂点はですね、レ――」
「わかりました。それ以上は、やめましょう」
ぱっと表情が明るくなった灯を、夢子は制止した。
自分がパンダを語るものこのような感じだったのだろうと、反省した。
「すっごい余計なお世話かもしれませんけど……もう少し自分を見つめ直して、準備をした方がいいと思いますよ」
「そうですね……。私も最近、そう思うようになってきました。パーティーに出るのも、タダじゃないんで……」
灯は何度か参加するも、結果が振るわないようだった。夢子の失礼な言葉に対し、しゅんと落ち込んでいた。
時刻は十二時三十分。そろそろ灯が会場に向かう頃だと思い、夢子はせめて励まそうと思った。
「けど、まあ……二階堂さんにドンピシャな人が現れるかもしれないじゃないですか。運命なんて、わからないものですよ」
「そうですね。頑張ってみます!」
夢子は思いもしないことを口にしたが、灯が元気になったので良しとした。
「私、そろそろ行きますね」
「頑張ってください」
灯は鞄を持って立ち上がった。
そのまま立ち去ろうとしたが――ふと、振り返った。
「春名さんのこといろいろ知ることができて、楽しかったですよ」
明るく微笑んだ。特に照れている様子の無い、自然な笑みだった。
このような表情を、夢子はおそらく初めて見た。ちゃんと笑えるのだと、静かに驚いた。
そして、それが純粋に可愛いと思った。
この仕草がパーティーで出来るのならば、きっと上手くいくだろう。しかし、この時ばかりは――夢子はどうしてか、灯の笑顔をあまり他人に見せたくなかった。
灯のことは、最初は憧れていた。次に進むべき過程だと思っていた。
そのはずが、不動産営業の仕事が想定していたより稼げ、順調に次席まで昇っていた。かつての計画が次第に薄れていた。
それに――灯と同じ仕事に就くよりも、現在のように小言を言える仲で居たかった。
髪をばっさりと切った暖かな春の日に、夢子はそう思った。
なお、灯から後日聞いた話では、このパーティーで成果は何も無かったようだった。
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