第018話

 倖枝はショッピングモールの食料品売り場で惣菜を購入し、帰宅する頃には午後七時になっていた。


「ごめん、さっちゃん。遅くなっちゃった」


 いつも通りなら、部活を終えた咲幸が帰宅して、三十分ほどが過ぎただろう。咲幸の帰宅を迎えるのが理想だったが、カフェで休憩した時点で無理だと分かっていた。

 玄関に咲幸のスニーカーがあった。リビングに明かりとテレビが点いていた。

 しかし、咲幸の姿が無かった。


「さっちゃん?」


 自室に居るにしても、いつもなら出てくる。

 倖枝はどうしたんだろうと首を傾げながら、手荷物をダイニングテーブルに置いた。そして、舞夜からのクリスマスプレゼントを隠すなら今しかないと思った。


 自室の扉を開けるも――驚いて、入口で立ち止まった。

 明かりの点いていない暗い部屋のベッドで、何者かの存在があった。影の雰囲気から、咲幸だと理解した。

 倖枝は明かりを点けると、やはり学生服姿の咲幸がベッドで横になっていた。

 自室ではなくどうしてこの部屋で寝ているのか、倖枝には分からなかった。しかし、すぐに思考を切り替え、クローゼットを開けた。

 ショップバッグを奥に隠すと、コートを脱いでハンガーに掛けた。

 何も怪しい行動ではないと思いながら、倖枝はクローゼットを閉めて振り返った。

 咲幸はまだ横になっていた。どうやら、隠す光景を見られていなかったようだ。


 ベッドに腰掛けると、咲幸は寝息を立てるほど、ぐっすりと眠っていた。

 寝顔は穏やかであり、疲れから寝てしまったのだと倖枝は思った。

 ただ――色気の無い下着が見えるほどに、学生服が乱れていた。どれだけ寝相が悪くてもこうはならないと、不審に思った。

 そして、微かな甘酸っぱい匂いが鼻についた。汗や小便に似た、しかし確かに違うこの独特の匂いは――


「ん……。ママ、おかえり……」


 すぐ側の存在に気づいたのか、咲幸が目を擦りながらむくりと起き上がった。

 寝起きの割に、乱れた学生服を直す仕草は、とても自然だった。後ろめたさどころか、まるで何事も無かったかのようだった。


「遅くなったのは悪いんだけど……どうして母さんの部屋で寝てたの? びっくりしたじゃない」


 倖枝は混乱する頭で、そう訊ねた。他にも気になる点はあるが、訊ねてはいけないように思った。


「ああ、ゴメン。ママの香りが、なんだか落ち着くの……。居ない時、たまにベッド借りてるよ」

「え……そうなの?」


 少なくとも、これが初めてではないようだった。自分が不在の時に娘がこうしてベッドを使用していることを、倖枝は初めて知った。

 しかし、いけないことではなく、叱る理由にはならなかった。

 ベッドの使用よりも――無断で部屋に入っていることが、気になった。咲幸の話ではクローゼットを開けることはないだろうが、今さっき隠したものが見つからないか不安だった。かといって、ここでクローゼットを開けないことを言って聞かせると逆に興味を引くため、黙っておいた。


「ほら、着替えてらっしゃい。焼き鳥も買ってきたから、ご飯にしましょ」

「はーい」


 咲幸は寝起きのぼんやりとした表情で、部屋を出ていった。

 何気ない態度だった。倖枝としても、それを尊重して敢えて触れなかった。

 この部屋で何も無かった。咲幸から何も聞かなかった。そう割り切ることが正しいのだと思った。

 だが――甘酸っぱい匂いが、まだ残っていた。枕に付いた髪の毛は、きっと自分のではなかった。


「さっちゃん……。ご飯の前に、手を洗ってね」


 咲幸がこのベッドで何をしていたのかは明白だった。

 ――きっと、恋人である舞夜を想っていたのだろう。

 そう考えるのが自然だった。微かに浮かんだ悪い予感は、水に流した。


 倖枝も自室から出た。キッチンで、惣菜を電子レンジで順に温めていた。

 しばらくすると、スウェットに着替えた咲幸が、洗面所から姿を現した。


「あれ? これなに?」


 咲幸は、ダイニングテーブルに置かれているクリスマス柄の袋に気づいた。


「ちょっと早いけど、さっちゃんへのクリスマスプレゼントよ。それ買ってたから、遅くなったの」

「ほんと!? 開けてもいい?」

「ええ。いいわよ」


 倖枝が許可を出すと、咲幸は袋を開け、中の化粧品を取り出した。次第に、咲幸の表情が明るくなった。


「わぁ……。ママ、ありがとう! そろそろ買いに行こうとしてたから、超嬉しい!」


 咲幸は満面の笑みを浮かべていた。本当に嬉しそうな表情だった。


「どういたしまして。さっちゃんに合うといいんだけどね」

「ママが選んだんだもん! きっと大丈夫だよ!」


 舞夜と一緒に選んだことは、とても言えなかった。

 倖枝としては心苦しさがあるが、知らせないこともまた咲幸のためなのだと、自分に言い聞かせた。


「ねぇ、お化粧教えてよ」

「しょうがないわねぇ。出かける時にタイミング合うなら、教えてあげるわ。それまで、大切に仕舞っておきなさい」


 だから、ここで頷いたのは、せめてもの罪滅ぼしだった。本当は、舞夜や波瑠に任せたいところだった。

 いや、それを抜きにしても、母として――購入してきた者として、責任をもって教えるべきだと思った。


「ありがとう! 楽しみにしてるね!」


 咲幸は袋をリビングに持っていき、化粧品をテーブルに広げた。

 まるで、玩具を買い与えられた幼い子供のようにはしゃいでいた。娘がこれだけ喜ぶ姿を、倖枝は久々に見たような気がした。

 例年とは違う、相手のことを考えての贈物。これを選んで良かったと、倖枝は思った。



(第07章『買物』 完)


次回 第08章『弱さ』

元同僚の結婚式に出席した倖枝は、他人の幸せを目の当たりにする。

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