第017話

 十二月十四日、水曜日。

 午後四時半頃、倖枝は自宅を出てショッピングモールへと向かった。

 念のため、咲幸本人に放課後は部活動があることをメッセージアプリで確かめた。そして、行き先を伏せ、買い物ついでに夕飯に惣菜を購入することを伝えておいた。


 午後四時五十分、倖枝は舞夜との約束通り、モールの正面入口に立っていた。

 入口の広場には大きなクリスマスツリーが置かれ、至る所にクリスマスセールの赤いポスターが貼られていた。すっかりクリスマスの雰囲気であり、居心地はあまり良くなかった。

 グレーのニットに黒いテーパードパンツ、そしてベージュのチェスターコートを羽織った自分の姿が、ガラス張りの壁に映った。特別めかし込んだわけではなく、歳相応のカジュアルな格好のつもりだった。

 それでも、おかしくないだろうかと不安だった。


 そわそわしていた。舞夜を待っている現在は、須藤寧々との待ち合わせと似たような心境で、何かが確かに違った。

 水族館へは、咲幸と三人で行った。密室以外で舞夜とふたりで会うのは、文化祭以来であった。校外では、これが初めてとなる。

 これはデートなのか?

 ふと、そう思うも、倖枝は首を横に振った。歳柄にもなく何を考えているのだろうと、自分を呆れた。


「お母さん、待ちましたか?」


 その声と共に、背後から右腕に抱きつかれた。

 倖枝は振り返ると、赤いチェック柄のマフラーを巻いた、学生服姿の舞夜が居た。

 どこか人懐っこさを覚える、柔らかな笑顔だった。こんな表情を出来るんだと思うと同時、倖枝には可愛く見えた。

 舞夜は正面からではなく、別の入口を通ってここに現れたようだった。


「別に……今来たところよ」


 間違ってはいないが、このような台詞を吐くことが、なんだか恥ずかしかった。


「そうですか。それじゃあ、行きましょう」


 嬉しそうに笑う舞夜に引っ張られ、倖枝はモール内へと入った。

 舞夜からベタベタと腕に抱きつかれながら、行く宛も無く歩いた。咲幸と買い物に出かける時もこうなので『娘』と考えると不自然ではなかった。

 きっと――周りからは母娘に見えているだろう。

 保護者だらけだった文化祭とは違い、周りの視線はさほど気にならなかった。

 そう。あくまでも、擬似的な母娘関係の契約を履行しているに過ぎない。


「学校……どうだったのよ?」


 ぽつりと、倖枝は漏らした。

 咲幸相手にも滅多に出ない言葉だが、母ならばそう訊ねるものだと思った。


「……はい! 今日も楽しかったです!」


 驚いたのか、少しの間を置いた後、舞夜は明るく頷いた。


「え? 楽しいものなの?」

「わざわざ振っておいて、それですか……。信じられませんね」

「いや……私の時は、結構ダルかった思い出あるから」

「それはお母さんの問題ですよ。普通、学校は楽しいものです」


 舞夜の言葉が今ひとつ納得できないが、倖枝は信じることにした。

 自分もそうだったことから、舞夜の学校での浮いた感じを棚に上げられなかった。


「それで、買い物って……あんた、何が欲しいのよ?」

「そうですね……。わたしに何か、クリスマスプレゼント買ってください」


 ただブラブラ歩くことに痺れを切らし、倖枝は腕に抱きついていた舞夜に訊ねた。

 舞夜は無邪気な笑みを浮かべながら、大雑把な願いを告げた。


「は? 思いつきで、そんなこと言わないでくれる?」


 要するに、具体的な目的も無く誘われたのだと、倖枝は理解した。そして、その提案は倖枝にとって無理難題だった。


「一応訊くけど、何が欲しいのよ?」

「それを決めるのが、お母さんの役目ですよ。娘のためを思ってください」

「そうは言われてもねぇ……」


 倖枝は横目で舞夜を見た。学生服姿だが、きっちりと備わった上品さと淑やかさは、令嬢を彷彿とさせた。

 衣服――いや、他にも何であれ、そもそもこんな所で買い物をしないのは明らかだった。


「強いて言うなら……お母さんとお揃いの何かが欲しいです。アクセサリーとか」

「そんなの、却下に決まってるじゃない。さっちゃんに気づかれたら、どうするのよ」

「気づかれないように、何か考えてくださいよ……」


 ふたつ返事で否定すると、舞夜は頬をぷくっと膨らませて拗ねた。

 咲幸の視線を抜きにしても、誰かと揃いのものを身に付けることを、倖枝は恥ずかしくて嫌だった。まして、母娘で揃いのアクセサリーなど、到底理解出来なかった。

 もし咲幸がそう提案したとしても、その理由で断っただろう。


「そうだ――ちょっと、こっちに来て」


 咲幸の存在が浮かんだせいで、頭の中で何かが嵌った。

 倖枝は舞夜の手を引き、モール内のドラッグストアへと向かった。


「何をプレゼントしてくれるんですか?」

「それは後。さっちゃんのクリスマスプレゼントにコスメ買うから、選ぶの手伝いなさい」


 水族館の時に化粧を注意したが、それからすぐ期末試験に続いたためか、咲幸はまだ化粧品を買っていなかった。それならば、クリスマスプレゼントとして贈るのが丁度いいと倖枝は思った。

 毎年、現金や携帯電話用の電子通貨を与えているので、たまには娘のことを考えて贈り物をしたかった。


「……別に構いませんけど」


 舞夜は半眼の冷めた表情だったが、同行を断らなかった。

 倖枝は、舞夜が大衆向けのドラッグストアで販売している化粧品を使っているとは思わなかった。それでも、娘と同い年としての意見を聞きたかった。


「ていうか、あんたからもメイクしろって言いなさいよ。あの歳ですっぴんはヤバいでしょ」

「そうですか? 咲幸はあれでも充分可愛いじゃないですか」

「可愛くても、そろそろメイクを知っておかないとダメなの。あんたが教えてあげなさいよ」

「どうして、わたしが……。そういうのは……」


 やがて、舞夜と共にドラッグストアの化粧品売り場に到着した。

 紫外線予防効果のある下地クリームと、マットタイプのファンデーション。グラデーションを作れるマルチタイプのアイシャドウ。オレンジ系のチーク。パウダータイプのブラウンアイブロウ。ビューラーと、ウォータープルーフタイプのマスカラ。透明感のあるピンク系の口紅。そして、それらを収納するポーチ。

 咲幸の雰囲気とスポーツで汗を流すという事を踏まえ、舞夜と選んだ。倖枝ひとりでは、とても無理だった。


「ありがとうね。若い子の化粧事情、全然わかんないから、助かったわ」

「そんなに違うものですか?」

「あんたね、そういうこと言ってられるのも今の内よ? たとえば……ファンデなんて、三十過ぎたらリキッドかクリームしか選択肢が無いんだから」

「は、はぁ……」


 倖枝は、化粧ののりが年々悪くなっている愚痴を漏らしたかったが、大人気ないと思いやめておいた。

 数多くの化粧品をクリスマスプレゼント用の袋に入れて貰い、咲幸への贈り物は片付いた。


「あんたはさ、化粧も服も大人っぽいのが似合うって」


 倖枝はレジで商品を受け取ると、以前から思っていることを口にした。


「そう思うなら、わたしにもコスメ買ってくださいよ。大人向けのやつ」

「嫌よ。こんな安っぽいコスメ、あんたは使っちゃダメ」


 どうせ一流ブランドものを使っているのだと思っているため、倖枝には皮肉に聞こえた。

 そういえば、さっき咲幸に化粧を教えるよう頼んだ際、舞夜が言葉を濁したような――


「まあ……わたしはまだ、子供で居たいです」


 倖枝はふと思い出すも、ぽつりと漏らした舞夜に遮られた。

 実年齢よりもよほど大人びた第一印象だったが、こうしてふたりで過ごす内、舞夜が幼く見えた。

 どちらが彼女の本性なのか、倖枝には分からない。しかし、本人は後者を望んでいるようだった。


「あんたへのクリスマスプレゼントだけどさ……あれ買ってあげようか? ほら、リボン付いてるやつ」


 再びモール内を歩いていると、雑貨屋を通り過ぎた。店頭にあるカチューシャが見え、倖枝は冗談混じりに指さした。

 プラスチック製のものだった。髪をまとめるという本来の機能より、子供向けのアクセサリーのように見えた。


「わぁ……。可愛いですね」


 舞夜は現物に近寄ると、頭につけて振り返った。

 白いリボンの付いた赤いカチューシャは、黒いストレートヘアの舞夜にとても似合っていた。

 可愛いと、倖枝は思った。


「……ダメよ。あんたには、似合わないわ」


 しかし、倖枝は嘘をついた。

 ――独占欲に近いものだった。

 子供っぽい格好や仕草は、自分だけが知っている舞夜の姿だと思いたかった。自分以外の誰かに見せたくなかった。


「そうですか。残念です……」


 そわそわしていた舞夜だったが、しゅんとしてカチューシャを外した。

 流石に可愛そうになり、倖枝は舞夜と共に雑貨屋の店内を眺めた。

 衣服やアクセサリー、化粧品等はどうしてもブランドを考えてしまうため、舞夜への贈物には不向きだった。ならば、雑貨程度が丁度いいと倖枝は思った。


 季節的に、可愛いデザインの加湿器が特設コーナーに並んでいた。しかし、贈物として惹かれなかった。

 何か、舞夜が喜びそうなもの――そう思いながら棚を見ていると、ファンシーな黒猫のぬいぐるみが目に映った。倖枝はやや大きめのそれを取ると、舞夜に渡した。


「ほら。あんた、黒猫好きでしょ?」


 今さらながら舞夜の手を見るが、今日は黒猫の指輪が嵌められていなかった。それでも、よく嵌めていることを知っていた。

 それ以外にも、館の自室にクラゲのぬいぐるみを置いていることを思い出した。ファンシーグッズが好きなのだと、倖枝は思っていた。

 舞夜はきょとんと驚いた表情で、ぬいぐるみを抱えていた。


「……お母さん! ありがとうございます!」


 そして、少しの間を置き、無邪気な笑顔で抱きしめた。

 本当に嬉しそうに、倖枝には見えた。やはり幼い子供のようだが、ぬいぐるみはインテリアグッズであるため、常に他人の目に露出するわけではなかった。そういう意味では、舞夜への贈物として最適だと思った。

 倖枝は微笑むと、それをレジに持っていき、クリスマス用に包装して貰った。


「こんなのだけど……クリスマスプレゼントよ」


 倖枝は会計を済ませた後、改めて舞夜に渡した。


「お母さんがわたしのことを考えて選んでくれただけでも、とっても嬉しいですよ。一生大事にしますね」

「いや……一生はいいから……」


 何はともあれ、これで今日の目的は達成された。

 舞夜だけではなく、咲幸へのクリスマスプレゼントも用意出来た。満足のいく買物だった。

 娘の喜ぶ顔を思い浮かべ――あとは、今夜の夕飯に惣菜を購入するだけだった。

 時刻は午後六時頃。舞夜と買い物を始めて、一時間が経とうとしていた。


「ごめん。ちょっと休憩してもいい?」


 疲労を感じた丁度その時、倖枝の目にモール内のカフェが入った。

 少し休んでから最後の買い物をして、帰宅しようと思った。


「いいですよ。わたし、お手洗いに行ってくるんで、先に入っていてください」


 倖枝は舞夜からぬいぐるみを預かると、ひとまずひとりでカフェに入った。レジでカフェラテを受け取り、混み気味の店内の対面席に腰を下ろした。

 ぬいぐるみの入った大きな袋を正面の椅子に置き、一息ついた。


 ――ロジーナ・レッカーマウルとの出会いから、一ヶ月が経っていた。

 最初は『いい女』だった。それから、咲幸が恋人の月城舞夜として連れてきた。そして、月城の館の売却を預かり、舞夜と擬似的な母娘という契約を交わした。

 舞夜には憎らしい部分もあったが、それでもひとりの女として見ていた。娘に嫉妬もしていた。

 複雑な感情だった。それが、いつの間にか――特に隔たりもなく接していた。


 現在はひとりの女として見ていないと言えば、嘘になる。しかし、その気持ちが薄れているのは事実だった。

 そう。倖枝が一目惚れしたのは、あくまでも大人の一面であるロジーナ・レッカーマウルだった。その面影を見ることは、現在はほとんど無かった。

 彼女の無邪気で幼い一面を、知ってしまったのだった。

 まるで、ひとりの娘のようだった。今日も、本当の母親のように接していた。乗り気ではなかったが、擬似的な母娘関係を体験していた。


 不思議と、悪い心地はしなかった。

 特に遠慮なく接することの出来る、歳の離れた少女――咲幸とどこか溝のある現状では、それ以上の仲かもしれない。

 きっと、これが倖枝にとってテレビドラマで観るような理想の母娘像なのだろう。咲幸ともこのようになれたらいいのにと、ぼんやりと思った。


 その一方で、舞夜のことも頭から離れなかった。

 彼女にまんまと乗せられ、擬似的な役割を演じている自覚があった。だから、わからなかった。

 舞夜の本性も、舞夜の真意も――彼女が何者で何を考えているのだろう。


「お待たせしました……お母さん」


 声が聞こえ、倖枝はカフェラテのマグカップから顔を上げた。

 笑顔の舞夜が、肩で息をしながら立っていた。慌ててやって来た様子だった。手には飲み物が無く、代わりに――


「これ、お母さんへのクリスマスプレゼントです」


 明らかにおかしな様子なので、何があったのか訊ねるよりも、舞夜からショップバッグを差し出された。このモール内で見たことのある店のものだったが、どんな店かは思い出せなかった。

 トイレに行くと言ったのは、おそらく嘘だろう。わざわざひとりでこれを購入してきたのだと、倖枝は理解した。


「……ありがとう」


 嬉しいが、それ以上に驚いた。こんなものが出てくるなど、思いもしなかった。

 倖枝は受け取って中身を見ると、包装された箱がひとつ入っていた。それが何なのかは、開けないと分からなかった。


「ダメです。クリスマス当日に開けてください」


 箱に手を伸ばそうとしたところ、舞夜から制止された。


「何か変なの入ってるんじゃないでしょうね?」

「そんなことないですよ。きっと、お母さんの喜ぶものです」


 舞夜の微笑みには、悪戯気が無かった。言葉通り、良い意味で驚かせようとしていた。

 倖枝はそれを信じ、ショップバッグから手を離した。


「わかったわ。クリスマスまで待ってあげる。……覚えてたらだけど」

「絶対に覚えていてください。忘れたら、怒りますからね」


 咲幸の目を警戒し、おそらく帰宅直後に隠すだろう。そのまま忘れる可能性は、充分あった。

 舞夜は半眼を向けた後、ぬいぐるみの入った袋を手にした。


「それじゃあ、今日はありがとうございました。またいつか、お会いしましょう」


 そして、立ち去ろうとした。飲み物を購入していない理由を、倖枝は理解した。


「待ちなさいよ。送って行ってあげようか?」

「気持ちだけで嬉しいです。気をつけて帰ってくださいね……お母さん」


 好意で呼び止めるも、舞夜は一度だけ振り返り、カフェを去った。

 もしかすれば迎えを待たせているのかもしれないと、倖枝は勝手に納得した。

 そして、水族館の帰りも、本人の希望で駅で下ろしたことを思い出した。

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