第3話

「……チョロすぎない、お母さん」


 呆れ交じりの春香に、静香も苦笑いを返した。


「まだ好きだったわけではないんだけどね。とにかく子犬みたいなお父さんが可愛くて。少しくらい喜ばせてあげたくなったのさ」


 言い訳である。

 春香もそれが分かるからこそ、静香の言い分を白い目で見ていた。

 高校生になった娘の顔は静香そっくりだと言われるが、静香にはどちらかと言えば直春にそっくりにしか見えない。

 だからだろうか、静香は少し意地悪したくなる。


「絆されたと」

「そうだね」


 それだけじゃないでしょ、と言わんばかりの顔で春香は睨むが、とうの静香はどこ吹く風で優しく微笑むばかりである。

 諦めたように、春香は溜息を吐いて切り替えた。


「……それで、デートはまともに成立したの?」

「成立すると思うかい?」


 父の顔を思い浮かべて、春香は真顔になる。

 今よりだいぶポンコツ気味の父がどういう反応をするか。それは容易く想像できた。




「そろそろ再起動したかい?」


 ディナー、と呼ぶには少々抵抗のある安居酒屋でグラスをぶつけて、静香は直春に問いかけた。


「すみません……エスコートするって言いながらこの様で……」


 恐縮しきりの直春に、静香は「大丈夫」と微笑んだ。


 結局、予習の全てが吹っ飛んだ直春に代わり、静香の先導で店を回ったりお昼を食べたり。この店も静香が選んだ。

 何せ話しかけても顔を真っ赤にしてフリーズするのだ。昼過ぎにはじわじわ回復してマシになったとは言え、エスコートできるような状態では到底なかった。

 もっとも、しれっと回復のたびに「直春君」と悪戯心を炸裂させた静香の責任も多大にあるのだが。


「遊んでそうなのに、そう言うところは随分とウブなんだね」

「遊んでそうですか?」

「私と接点がありそうなキャラには見えないかな」


 だいぶ言葉を選んだ。


「まぁ馬鹿ですからね!」


 そして意味がなくなった。


「それを自認してしまうのはどうなんだい……」


 渋い顔をするも、直春は気にした様子もない。

 だが、実際のところ本当に真反対にいるようなふたりであった。

 片や成績優秀、品行方正、優等生を絵に描いたような静香。

 片や留年ギリギリ、遊びに全力、教授の悩みの種なのが直春である。


「友だちの間ではもっぱら裏口説が濃厚です!」


 そんなに力強く言うことではない。


「勉強に対する信用のなさが現れてるね」

「まぁ実際は運だけは良いんで、たぶんマークシートに奇跡があったのかなと思ってます!」

「あ、あぁ、そうか」


 それだけで本当に受験に成功するなどあるのだろうかと思うが、目の前にそれを体現したような直春がいるので否定もできない。

 話も一区切り付き、沈黙が流れた。

 気まずさを隠すようにグラスに口をつければ、カランと氷が音を立てる。どうしたものかと悩みだした静香を他所に、直春は意を決したように口を開いた。


「……あの、図々しいお願いなんですけど……」


 図々しさで言うなら最初の告白を越えるようなものはないだろうと思う。

 流石にそれをここで指摘する気もなく、静香は黙って続きを促した。


「……俺にもう1回チャンスをくれませんか。次こそちゃんと満足させてみせるんで!」


 告白の時と同じように、真剣な目で静香をジッと見つめる。

 大事な時に目を逸らさない人間なんだな、とずれたところで感心しながら静香はそっと息を吐き出した。

 しかし静香と直春では、致命的にズレている事がある。

 それを正す必要があった。


「ひとつ、疑問なのだけどね」

「は、はい」

「私、一言も今日は満足できなかった、なんて言った覚えはないのだけど」


 別にリードしてくれとも、エスコートしてくれとも言った覚えはない。内心多少の期待があったことは勿論否めないが、事の本質はそこではない。

 このデートにおける目的はそこではないことに、直春は気づかない。


「え、でも俺……今日一日テンパってるだけで何も……」


 問題は静香が直春と一緒に居て、どうだったか。 


「それも含めて、私は楽しかったよ」


 身なりから考えてくれたこと。

 精一杯準備をしてくれたこと。

 エスコートにこそ失敗したものの、どうにか楽しませようと頑張ってくれたこと。

 話せたことは多くない。知らないことも多いだろう。曰く、一目惚れだというこの恋にどれほど信憑性があるのかもよく分からない。勘違いだったというオチの方が現実的だろう。

 ただ、直春と居るのは楽しかった。それは紛れもない事実で。


「もしかして、それって」


 直春の顔に期待が滲む。

 そして、馬鹿は返事を先取りした。


「結婚してくれるってことですか!?」


 そんなわけがない。


「君はどうしても順番をすっ飛ばす癖があるね……」


 黙っていれば相応イケメンに見えるのだけど、とまでは言わない。

 ひたすら真っ直ぐで馬鹿な直春と居るのが楽しかったのだから。


「あぁ、もう……少ししまらないが……」


 そして、その真っ直ぐさが眩しいと思って。

 ちょっとくらい頑張ってみてもいいかもしれないと思ったのだから。


「私と結婚を前提に付き合ってくれるかな、直春君」


 結局のところ、似たようなふたりは、似たような告白のもと、お付き合いを始めることになった。

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