第2話
「……名前も知らなかったの……?」
春香が唖然とした顔で静香を見た。
「そうだね。その時点では名前も知らない誰か、だったよ。同じ教室だったから顔くらいは知っていたけどね」
派手な頭だったから記憶に残っていただけの、同じ講義を取っている男。
当時の静香の認識はその程度のものだった。
静香よりひとつ年下だったり、どうやら一目惚れらしかったりと、細かいことを知ったのは全て後々。それほどに何も知らない状態でのスタートだった。
「それでよくデートなんて行こうと思ったね」
「その時は私もパニックを起こしていたからね。何せ初手から『結婚してください』だ」
「後から断われば良かったのに」
何度も言われた言葉だ。
しかし、何故か約束を反故にする気にはなれなかった。
別に、断わることに抵抗があったわけではない。
ただ――
「……まぁ、私も満更でもなかったんだろうね」
懐かしむように、静香は目を伏せた。
「お待たせしました!」
静香に合わせたのか、普段とは違うカジュアルな服。何を言ったわけでもないのだが黒に染めた髪。見た目だけは大人っぽい落ち着いたイケメンになっていた。ただどうしても同時に、尻尾も見えてしまうのだ。
「いや、待つも何もまだ待ち合わせ時間の15分前だよ」
「でも氷月さんが待っててくれたことに代わりはないんで!」
「まぁ、それもそうなのだけど……」
告白の時から感じていた。
見た目に反して、小動物感がすごいと。
大型の小動物、とおかしな矛盾を抱えつつも、自分より少し高い位置にある男の顔をしげしげと眺めた。
「今日はばっちり俺の好感度をカンストさせてみせますね!」
そんな静香の内心に気づく様子もなく、ぎゅっと拳を握ってやる気を滾らせていた。
やはりどこか忠犬っぽい。
「1回のデートでカンストする好感度は少々不安にならないかい?」
「時間は有限なんで!」
今更恋が時間に依存するとは言わない。
突然始まることがあるのだから、1回で天井になることだってあるだろう。
それに時間には限りがあるのだから、好きになってもらうのは早いに越したことはない。のかもしれない。
「……間違っているようで間違っていないからツッコみにくいところだね」
何だかなとは思う。
しかし、ワクワクした顔で見つめてくるその純粋な眼差しを見ていると、わざわざそこを議論したいとも思えず静香はただ肩を竦めて首を振った。
今日は何も考えずに楽しんでもいいのかもしれない、と。
「じゃあ早速どこ行きましょう」
暫し沈黙が流れた。
不意に黙り込んだ静香に、不思議そうに首を傾げているが、首を傾げたいのは静香とて同じだった。
別にデートプランは男が考えるもの、なんて考えがあるわけではない。とは言え状況的に、何かしら考えてきているだろうと勝手に思ってしまっていた。
勝手な期待なのだから責める気はない。
「……何も考えていなかったのかい?」
ないのだが、やはり口から零れた言葉は少し非難がましくなってしまった。
裏返して、デートに期待していた自分に気づいてしまい恥ずかしくもなる。
「いえ、定番の映画館カラオケ、飯にショッピング! 観光までばっちり予習してきてるんで! あらゆる氷月さんの要望を叶えてみせます!」
予想の斜め上の準備をしていた。
おそらく普通に準備する何倍も面倒な上に手間がかかっている。
それを誇るでも、褒めてほしそうにするでもなく「だから任せてくださいね」と言わんばかりに胸を張る。
「……私もこういうのは疎いが、普通は先に予定を立てるものだと思っていたよ」
何なら静香にデートの経験はない。
ないが、これが普通でないことは察しがつく。
しかしそのおかしさが可愛く見えてしまったから今日のデートにも来てしまったのだ。
「だって当日何かあって予定が崩れたり、気分が変わったりするじゃないですか」
「ま、まぁそんなこともあるかもしれないね」
「それなら全部頭に叩き込んで臨機応変にした方がいいかなって!」
「……やっぱり間違っているようで間違っていないのがツッコみにくいね」
リードするという意味では物足りないのかもしれないが、エスコートという面ではこれ以上ないだろう。
予習が頭に残っていればだけど。という自分に対する言い訳も口には出さない。
「好感度あがりましたか!?」
「……少なくとも君に興味を持っているのは確かだよ」
わざわざ、濁した。
「一歩前進ですね!」
つまりは不覚にも、ときめいていた。
内心で無用な言い訳を重ねる程度には。
悉く予想を飛び越えていく男に、面白さ以外の感情を確かに感じていた。
「君は本当にポジティブだね」
そして自分よりもよっぽど素直だと思う。
「真っ直ぐ前に、ひたむきに! 前田直春をよろしくお願いします!」
その真っ直ぐさが眩しいと思った。
だから、ちょっとくらい頑張ってみてもいいかもしれないと思った。
「何度聞いても選挙の自己紹介にしか聞こえないんだけどね、それ……」
これだけ頑張ってくれてるのだから、と言い聞かせて。
いろんな言い訳を重ねて、やっと踏ん切りがついたから。
「……まぁ、うん。よろしくね、直春君」
少しだけ、素直になってみた。
「え!?」
男の――直春の顔は面白いくらいに、歓喜に染まっていた。
そしてやっぱり、犬のようだと。そう思ってしまうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます