プロポーズから始める

日月烏兎

第1話

 恋は突然に、と言う。

 交通事故に合うようなもの、だと言う。


 そんな馬鹿な、と氷月静香は考えていた。

 そんな可能性は0ではないかもしれないが、早々起こり得るものではないと。そんなものは所詮ファンタジー、フィクションだからこそ発生するのであり、現実にラブコメが発生する確率など、隕石に当たるよりレアであると。


「お付き合いを前提に結婚してください!」


 どうやら、そうでもないらしい。


 講義を終え、人もまばらな教室の中、堂々たる告白だった。人目も気にせず、羞恥心を置き去りにし、罰ゲームさえ疑いたくなるような所業だが、目の前の男は真剣な目で静香を見つめている。

 周囲の冷ややかな声も、好奇の目も気にすることなく、ただ真っ直ぐに静香だけを見ていた。


「……普通逆じゃないかな」


 だから、静香は真っ当に取り合った。

 結婚を前提にお付き合いしてください、が普通であろうと。

 髪型、服装、どれをとっても堅物な自分とは真逆の、所謂遊んでいそうな身なりだろうと。


 本気だと感じたから、静香は周囲の空気に苦笑しつつもそう返した。


「でもフラれるのは嫌じゃないですか」


 一先ずは早々フラれずに済んだことに安堵を覚えたのか、強張った顔を少し緩めて男は笑った。


「付き合うのは前提なんだね」

「はい!」


 真剣なのは伝わったが、真意が分からない。何を考えて、こんな告白の仕方を選んだのか。

 ジッと探るように男の目を見つめる。

 真剣だと伝えるためか、数秒見つめ返してきたが、限界とばかりに男がバッと顔を逸らせばその頬は真っ赤に染まっている。

 教室で告白するような度胸はあっても、好きな女の顔を長く見つめることはできないらしい。随分とちぐはぐな印象の男だった。


「……ちなみにこれ、私が断わったらどうなるんだい」


 男の目が泳いだ。

 おそらく、何も考えていない。


「そこを何とか!」


 大真面目な顔でそう言った。

 ボケているわけでも、ふざけているわけでもない。

 周りも冷やかし交じりの空気だったのが、どうにも不審な目に変わりだした。


「……何とかするのが告白した側の務めだと思うよ」

「なるほど……じゃあ……んー……」


 そこでようやく、静香は男の告白の意味を理解した。

 不意打ちをしたかったわけでもなく、冗談を言いたかったわけでもない。

 ただ絞り出した言葉が、アレだったのだろうと。


「分かりました。デートしてください!」

「そうだね、順序としてはそっちの方がきっと良い」


 つまり、馬鹿なのだろうと。


「で、好きになってください!」


 だいぶお馬鹿なのかもしれない、と下方修正する。


「それは君次第じゃないかな……」


 思わず気の抜けた溜息が零れる。

 溜息とともに肩の力が抜けた。想定外の事態に、思っていたより緊張していた自分を実感し可笑しくなる。こんな氷だ堅物だと言われるような自分でも人並みに緊張するようだ、と。


「頑張ります!」

「あ、うん……頑張れ……?」


 屈託のない笑みを浮かべた男はきっと、周りの空気も、その空気の意味も、静香の微妙な顔の理由も気づいていないのだろう。

 どこかチャラついた、自分とは正反対の人間という評価を静香は改めた。


「ところで……君、いったいどこの誰なんだい?」


 自己紹介で終わるプロポーズが世の中にはあるらしく。

 突然の恋よりもよほど、現実はファンタジー寄りらしい。

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