第6話
奥歯のスイッチ。もう一つの疑問はこれだ。そのスイッチでどんな現象が起きるのかは一切記述がない。ナノマシンについて偉く食い付き始めたちびっこが、あーだこーだと推論を述べてくるが、一番それっぽいと思ったのは、『スイッチを入れる事でナノマシンが進化させた肉体に強化する』といったものだ。
確かにいつもいつもあの強靭さと怪力じゃあ、日常生活に支障をきたしそうだもんな。
だけど今はそれより重要な問題があるだろ。
「あー。ちょい待った。取り敢えず歩きながらにしようぜ。水なり食料なりもどうにかしなきゃならねえしさ」
「そ、そうよ蘭ちゃん。人間には知識欲以上に必要なものがあるのよ?」
「むう……分かった」
ジェンマ先生も俺と同意見らしく、なんとかちびっこを諫めて俺達はてくてくと歩き出した。
で、彼女が気になるのはやっぱりナノマシンのみっつの特徴。自己再生、自己増殖、自己進化。
「つまりタクトの身体を痛めつければ痛めつける程強くなっていき、同じ方法で傷付けようとしても二度目は通用しない」
「そうかも知れねえが、なんかやめろ。痛えのは嫌だろが」
「否。もしかしたら、痛覚すら鈍化している可能性がある。例えばトラックとぶつかって生き延びたタクトは、トラックとの衝突で起ったエネルギーと同程度の打撃までは、ダメージも痛みも受けないとか」
うーん。身体的強さはさっきのイノシシである程度証明されたけど、痛みに関しては……
まるっきり痛くないって訳じゃないけど、受け止めた衝撃の割にはそれほど……って感じだったかも。
「多分そうかも知れねえ。でも試すのはやめろ」
「むう……仕方ない」
ちびっこがぷぅっと頬を膨らます。お前、頼むから人道的に扱え。
「ねえ、拓斗君。自己進化っていうのは今のでなんとなく分かったんだけど、あとの増殖と再生っていうのは?」
「ああ、それはっすね、例えば――」
俺はジェンマ先生に、残りの二つの特徴についてざっくりと説明した。つっても、そんなに詳しくは説明できない。俺だってよく分かんねえし。
それでも、腕やら臓器やら、身体のパーツが何処かしら損傷した場合に修復しようとするのが自己再生、そして腕が斬り落とされたとかいう場合にまた腕を生やそうとするのが自己増殖って感じだろうっていう説明はした。
「つまり今のタクトはナノマシンの自己進化のお陰で、打撃に対してはとんでもない耐性が付いているかも知れない。そういう事……」
ちびっこが神妙な顔でそう言うと、ジェンマ先生が何かに気付いたようだ。ほら、頭の上にピコーンって電球マークが見えるみたいだぜ。
「じゃあさ、拓斗君が死なない程度に斬ったり突いたりすれば、剣や槍も怖くないって事じゃない?」
あーあ。この先生、思ったより残念な人だった。ちびっこもそう思ったのか、思い切り蔑んだ視線を投げかけている。
「それを口に出すのはどうかと思う。ボクだって思ったけど言わなかったのに」
いや思ってたんかーい!
はあ、なんだかどっと疲れたけど、このままとどまっている訳にもいかないので、とりあえず俺達は歩を進める。さっきぶん殴ったイノシシが意識を取り戻していたようで、再び俺に向かって来ようとしたんだが、急に怯えたように逃げていってしまった。一体どこに行こうというのかね。
***
「お腹空いた」
「あたしも~」
相も変わらずてくてくと歩いている俺達三人。途中で誰かとすれ違う事もなく、ただ時間だけが過ぎていく。
「しょうがねえなあ。俺のおやつだからな?」
ちょっと休憩がてら道端に座り、バックパックから秘蔵のドーナツ三個パックを取り出す。これは朝飯代わりにコンビニで買ってたやつだ。ちょうど三個だから都合がいい。
「あ! あたしはいちごのやつ!」
「ボクはチョコ!」
「俺の意見は無視かあんたら……」
実は俺もチョコのが食いたかったが、仕方ないので余ったオールドファッションに齧り付く。喉が渇きそうだなコレ。
それはいいんだが、俺の前の女子二人、地べたに座るのは憚られるのかしゃがんでるんだけど、もうちょっとこう、スカートなんだから隠せよ。縞々とか紫とか見えてんぞ。ごちそうさま。
ドーナツを食べ終えて人心地ついた時には、お日様もかなり傾き、まだ暗くはなっていないものの、青い空に白い月が見えるようになった。
「はあ……やっぱりここは異世界なんだな」
その月を見上げながらそう呟く。
「……そうね」
「これはもう認めざるを得ない」
俺の視線に釣られて空を見上げた二人も、どこか落胆した様子でそう零した。そう、空には白く薄く、控えめに存在を主張する月が二つ浮かんでいた。
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