第5話

 和やかな雰囲気を破ったそれは、バカでけぇイノシシみたいなヤツだった。獰猛な牙に豚みたいな鼻。ただ、見た目はほぼイノシシなんだが、毛が長い。マンガや図鑑で見たマンモスみたいな雰囲気だ。そして大きさ。もうね、牛かよってくらいデカい。

 それが一頭、草原の方から向かって来る。


「ねえ、あれ、あたし達の仲間になりたそうにこっちを見ている……訳じゃなさそうよね」

「むう、こんなバケモノのテリトリーにボク達を捨てていくとは」


 先生、なにボケてんだよ。前脚で地面を蹴り上げて、今から突進するぞって雰囲気じゃねえか。全然友好的な視線じゃねえだろ。

 そしてちびっこ。近隣に集落どころか、第一発見が村人とかじゃなくてバカでけえイノシシじゃねえか。


「さあタクト。今こそ隠されたチート能力を発揮させる時」


 俺の背中でちびっこが何か言ってやがる。俺にはそんなチートなんてねえよ。

 ……とは言ってもなあ。ここは女子二人をどうにか逃がさねえとダメだろうなぁ。そして囮はやっぱり俺か。


「しゃあねえな。アイツの気を引くから、二人はなるべく静かに、遠くに離れてくれ」

「でも拓斗君!?」

「……早く行ってくれ、先生」


 背中のちびっこを下ろし、俺は二人から離れるように走った。運よくデカいイノシシは俺の方に注意を向けてくれた。

 さてと。


「さあ来やがれイノシシ野郎!」


 走るスピードはヤツの方が遥かに速く、思ったより細かいフットワークも利く。俺は次第に追い詰められていく。

 うおおおお! おっかねえぞこれ!


『グオオオオオオオオオ!!』

「くっ」


 【困った時には奥歯のスイッチをカチリじゃ】


 もう逃げ切るのは不可能。そう思った時、あのジジイの取説の一文を不意に思い出す。

 このスイッチにどんな意味があるかは分からない。でも、よく考えれば俺には勝算があった。

 

 ――カチッ

 

 俺は奥歯を噛みしめる。カチリとスイッチが入った感触。そして両腕をクロスさせてイノシシとの激突に備える。

 そう、俺の勝算とはナノマシンを注入されたこの身体だ。自己修復。たしかそんな能力があったはずだ。別にコイツに勝つ必要はない。どれだけ俺が大怪我しようが、ナノマシンが修復してくれる。

 つまり、死ななければいい。

 それでも、牛みたいな巨体が全速力で突っ込んで来るんだからホントにおっかねえ。思わず目を閉じ、身体を硬くした。


『グォ?』

「……あれ?」


 いや、もちろん俺も無理だと分かってたけど踏ん張ったよ?

 だけどさ、2メートルくらい押されて立ち位置がズレたけど、まさか真正面から受け止められるとか思わないじゃん。

 流石に俺もイノシシもポカーンだよな。もしかしてコイツ、見掛け倒しで実は軽くて非力とか?

 試しに鋭く長い二本の牙を握り、イノシシを押し返してみる。いや、普通に重いし、イノシシも押し返そうとして力を込めているのが分かる。ただ、牛くらいの大きさだと、600㎏や700㎏くらいはあると思う。俺が力を込めた程度でどうにかなるような質量じゃないはずだよな。

 だけど俺はイノシシを押し返し、牙を持ったまま横に捻って横転させたんだ。いや、なんとなく出来ると思ったんだよ。

 その行為がイノシシのプライドを傷つけたのかなんか知らんけど、起き上がって数歩下がったヤツは、激昂して雄叫びを上げる。前脚はザッザッと地面を蹴り、まるで闘牛。

 この頃には俺の恐怖心は既に消えている。本能がコイツはもう脅威じゃないと告げてくるんだよ。犬がじゃれついて来るような、そんな感じだ。

 けど、コイツはじゃれてる訳じゃなくて、明確に害意を持っている。それなら俺としても選択肢は一つだ。


 ――ドゴン!


 おおよそ人間が生き物を殴ったような音じゃない、自動車同士がぶつかったような音がした。何の事はない、俺は右手のゲンコツでイノシシの横っ面をぶん殴っただけだ。たったそれだけで、巨大なイノシシは白目を剥き、泡を吹いて倒れてしまった。


「この世界のイノシシ、デカいだけで大した事ねえなあ」


 俺はそう独り言を言って、ジェンマ先生とちびっこが逃げた方へ歩いて行く。少し歩くと大きな岩があり、そこの陰に二人共隠れていた。


「おーい。もう大丈夫だぞー。多分」


 そう声を掛けると、二人がそーっと岩陰から顔を出して来た。


「ほ、ホントに大丈夫なの?」


 怯えた顔のジェンマ先生には、ほれこの通りと自分の胸をバンと叩いて見せる。


「なぜ生きている……もしかしてチート能力持ちなのか。ブツブツ……」


 ちびっこの方は何故か俺が無傷で生きているのが納得いかないようだ。ま、気持ちは分かるけどさ、もう少しホッとするとか喜ぶとかあるだろ……


「なんか見た目ばっかりで大した事なかったぞ、アイツ」


 そう言いながら俺はバックパックを背中から下ろし、岩を背もたれにして座り込んだ。

 肉体的ダメージは皆無だったけど、初めて野生の獣、しかもあんなでけえヤツと戦った後だからな。精神的にはかなり疲れてたんだろう。座り込んだ後、どっと疲れが来た感じがする。


「あ、あの、大丈夫?」


 遠慮気味にジェンマ先生が聞いて来る。


「ごめんなさいね? 本当は先生であるあたしがみんなを守らなきゃいけないのに……」


 ジェンマ先生、しょんぼりだ。んー、でもなあ……

 ここにいるメンバーを身体を張って守らなきゃいけないのは多分俺だ。別に男だからとかそういう理由が全てじゃなくて、この中で一番生き残る可能性が高いのが俺だから。

 ふと心当たりがあり、バックパックを開いて、病院で貰ったあの爺のマル秘資料を手に取った。ここが異世界だってんなら、マル秘もクソもねえだろって思うし、ここには先生も天才少女もいる。

 ちょっと彼女達の意見を聞いてみたいと思い、俺はそのマル秘資料を先生に手渡した。


「ちょっと、にわかには信じられないわね……」


 一通り読み終えた先生がちびっこに手渡す。一言で言うなら胡散臭い。そんな印象を持ったみたいだな。受け取ったちびっこも興味深く資料に目を通した。


「こんな異世界に連れて来られたみたいな話と比べれば、余程信憑性がある」


 先生に比べればかなり真面目に考察したようで、随分と時間を掛けて熟読したちびっこが続けた。


「タクトはトラックに轢かれて死に掛けたのだから、ナノマシンがトラックとぶつかる以上の衝撃に耐え得る肉体に改造したと考えられる」


 うん、俺もそう思った。多分手術の最初期の段階であの爺さんはナノマシンを注入しやがったんだろう。そこから俺の身体を再生させていく段階で、『トラックにも負けない強さ』の身体に作り替えたんじゃねえかな。

 そこには善意も悪意もなくて、ナノマシンがただ俺を生かそうとし、死なせないようにしただけ。多分それだけなんだろう。




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