叔母の友達 2
母との記憶はおぼろげで、父との記憶は全くない。私が二歳になる頃、父は病で亡くなったそうだ。
父を深く愛していた母は生きる気力をなくし、幼い私を家に残しどこかへ消えた。
一応、母の妹である叔母に一言連絡してくれていたおかげで、あわや餓死、なんてことにはならず。
捜索願を出したけれど、その行方を追うことはできず、結局、叔母が眠ってしまうまで、私と叔母と、祖母の三人で暮らしてきた。
母の実家の古い一軒家で、叔母と祖母が暮らしてる所に私が加わり、賑やかになるかといえばそうでもなく。
大人しい私に、静かな叔母に、穏やかな祖母。
激しいことは何もない、平穏な毎日は幸せで、それはずっと続くのだと信じきっていた。
「寒かったら言ってくれ。温度を上げるから」
窓を眺めていたら、運転席からそう声を掛けられた。
「……お構いなく」
合っているか分からないけれど。
車内は程よく暖かい。
乗り込んでしばらく走行してからの発言。それまではお互い無言。
話すことはある。
少なくとも私は。
でもそれを切り出すには、もう少し何か適当に話してからがいいのだけど、その適当な話題が思い付かない。
無難に天気の話? いやさっきした。またするにしても、雨強くなりましたね、とかそれしか言えないし言われない。続かなくってまた無言。
どうするべきだろう。
こういう時、気を利かして向こうから話を降ってくれないかと、恨みがましく運転席を見てしまうけれど、そんなこと求めても仕方ない。
家に着くまでは時間もあるし、心の準備ができるまで、窓の外の景色でも見ていよう。雨降りの日はいつもと違う光景を見られるかもしれないし。
とか思ったら車が停まった。
前を見たら赤信号だった。
間が悪いな、と思いつつ、いや車が停まっていても別にいいかと視線を戻そうとしたら、
「お袋さんの調子はどうだ?」
運転席から声を掛けられた。
「……?」
お袋さん?
誰の?
私の?
……いないけど。
答えられない質問に答えないでいたら、車が動き出す。
このままだと無視したみたいになるなと、慌てて口を開こうとしたら、
「あぁ、すまん。お婆さんだな、嬢ちゃんからしたら」
そっちか。
「いえ。……いえ、その」
でも、答えにくいことは変わらない。
答えられるような変化がないから。
祖母。
今も家にいるはずの祖母。
ここ一月、あまり元気がない。
日がな一日テレビを見てるばっかりで、趣味の編み物も未完成のまま。
冷え性の叔母の為に腹巻きを編んでる最中だった。
「気を悪くしたら、その、申し訳ないが」
ひどく言いにくそうに、相手は言う。
「嬢ちゃん、藤宮にそっくりだから。つい、藤宮と話してる気分になってな」
「……」
知ってる。
朝起きて、寝ぼけて洗面台の前に立つと、いつもびっくりするから。
──叔母ちゃまいるじゃん。嫌な夢視ちゃったよー。
そう声を掛けて、目を凝らして、肩までの黒髪に白髪が一本もないこと、顔に皺がないことに気付いて、やっと目が覚めるんだ。
一月前、外出先の階段の下、頭から血を流した状態で見つかった叔母。
昇るか降りるかした際に、足を踏み外したかしたのだろうと、事故として処理された。
普段は脱ぎ履きしやすい靴を好んで、ラフな格好しかしない人なのに、あの日は真っ黒なワンピースを着て、同じく黒いピンヒールを履いていた。
履き慣れては、いなかったのかも、しれないけれど。
叔母はどこに行くとも言わず、私達が寝ている間に出掛けていき、そして、そのまま眠ってしまった。
「……性格はそんなに、似てませんけど」
顔に触れながら、答える。
片付けが苦手な私。片付け上手な叔母。
料理が得意な私。ダークマターの錬成が特技の叔母。
グロ系ホラー大好きな私。笑わないくせにコメディばっかり見る叔母。
それから、それから。
「……」
──もう、どこにもいない。
小さく吐息を溢し、じっと、見えもしない後頭部を見つめる。
「……
まだ呼び慣れないその名前を、口にした。
「叔母とはいつ頃から、友達だったんですか?」
車が停まる。
また、赤信号。
「高校からだ。俺が二年になった時にあいつが入学して、俺が入ってた部活、いや同好会だな、そこに入会してきた」
「何の同好会ですか?」
「パズル同好会。各々でパズルを持ち寄って、黙々と、あるいは喋りながら解く、それだけの集まり。俺の兄貴が作った」
「お兄さん?」
「二つ違いの兄がいたんだ。あいつがパズル好きで、入りたい部活もないから友達と作ったんだと。俺が入るまで三人しかいなくて、一年経ったらあいつらが卒業して、メンバーは俺だけに。勧誘するつもりもなかったし、空いてる教室とかで適当に活動してたから、守る物もない。このまま消えていくのかと思ったら、藤宮が」
そういえば、額に納められたパズルが、叔母の部屋にいくつかあった。
当時の物か、その後に集めた物か。
「兄貴達、一応勧誘してたらしい。まぁ、藤宮しか来なかったけど」
「メンバーはずっと、二人だけでしたか?」
「そうだった。たまに何故か兄貴が混じるくらいで、俺が卒業してからは藤宮一人。藤宮が卒業してからは消滅したんだろうな」
「そうですか」
車が動き出す。
流れていく窓の景色に一瞬視線を向ける。
数分もすれば、家に着く。
……もうそろそろ、訊いてもいいか。
「叔母と、私、よく似てるんですよね」
「……そう、だな」
「だからよく、会いに来てくれるんですか?」
火葬を終えて、納骨まで一旦家に持ち帰って。
そんな時に、真東さんはうちを訪ねてきた。
『藤宮、さんとはその、昔仲良くさせてもらってまして』
黒いネクタイを締めたスーツ姿に、その日はサングラス。直前まで吸ってたのか鼻に届く煙草の臭いと、サングラス越しにも感じる殺気。
怖い人かと震えてしまったけど、祖母が即席の祭壇まで案内して。
叔母の遺影と、遺骨を前に。
真東さんは──膝から崩れ落ちた。
無言で何度も、フローリングの床を殴る。
祖母が止めるまでずっと。
止めてからは、肩を震わせ、一時間くらいはそこから動かず。
さすがに泊まっていくことはなく、けれどその日以来、うちによく来るようになった。
何かお土産だったり、電話番号を教えてからは買い物をしてきてくれたり。
祖母の通院や、福祉施設に行く際、車を出してくれたり。
他に頼りになる身内がいないのですごく助かってる。……でも。
何でそこまでしてくれるのか不思議で不思議で。
私達は他人、のはずだ。……私が、知らないだけ?
叔母に友達がいたなんて、あの日初めて知った。
もしかして……?
それが、いつからか抱いていた疑問、友達曰く妄想に、勝手にどんどん結びついていく。
「……それは」
「──もしかして、真東さん」
果たして彼は、答えてくれるか。
答えを持っているのか。
「私のお父さんだったりします?」
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