想い人の面影

黒本聖南

叔母の友達 1

 教室から人がいなくなるまで、窓の外をずっと眺めていた。


 校庭には既に陸上部の皆さんが集まって、ハードルとか用意したり、準備体操をしたりしている。

 私には縁のない世界だ。

 運動なんて嫌い。健康のことなんて考えずに、家でごろごろしている時が一番至福。そこにマンガとラノベと枕があれば尚良し。

 今も持ってきたラノベを読んでても良かったけど、今は外を眺めていたかった。

「……」

 空模様はあまり良くない。灰色の雲に一面覆われて、今にも降り出しそう。

 登校した時は特に気にならなかったけれど、三時間目の途中でふいに、なんか雨降りそうだなって気付いて。

 こんな日でも運動部は普通に活動するのかしらと気になって、時間の許す限り、こうして眺めることにした。


 雨は、降るのか。

 陸上部は、雨天決行なのか。


「……ぁ」

 窓に、水滴が付いた。

 じっと見ていると、いくつも水滴が付着していき、肉眼にも雨が降り注いでいるのが分かった。

 陸上部の皆さんはと視線を向ければ、既にハードルをはじめ道具を片付けているようで、見るからに慌ただしい。

 風邪引いたら大変だもんな。

 何となく吐息を溢して、教室内を見回す。

 私以外は誰もいない。

「……」

 荷物は既にまとめ終わってる。

 席から立ち上がって、すたこら教室から出ていった。


 一応、友達はいる。


 小学校からの付き合いで、中学、そして高校と、それなりに長くはあるけれど、最近はあまり一緒にいない。

 聞き流せばいい一言を私が聞き流せなくて、何となくこじれて、そんな感じに。

 こっちから謝ろうかと思って視線を向けると、あっちも私のことを見ていて、お互い目が合ったらすぐに逸らして。

 こじれてこじれて、一月経つか。

 このまま友達じゃなくなるのか、そんな薄い友情だったのか私達。

 なんておセンチぶって、傘を差して。

 折りたたみ傘を持ち歩きなさいと、そう叔母に教えられているから。

 自分の好きな色じゃない、叔母の好きな菫色の傘。

 一緒にお出掛けした時、私には若すぎるからと、買うのを遠慮していたから、代わりに私が買って使っている。

 大好きな叔母。

 あまり笑わない人で、だからこそ余計に、たまに浮かべる微笑が何よりも素敵な人だった。

 雨はそんなに好きじゃないけれど、この傘を差していられるから、部屋の窓にてるてる坊主を吊るしっぱなしにしている。

 校門を抜けて、てくてくてくてく、歩いていけば大通り。幾多もの車が走り抜ける。

 バイトもしてない小遣い制の高校生の身で、タクシーに乗るなんてできない。いやそもそも、叔母との思い出の傘を差していたいから、乗りたいだなんて微塵も思わなくて。


 それなのに、私のすぐ横に車が停まる。


「……」

 真っ黒な軽自動車。どこをどう見てもタクシーじゃない。そもそも手なんて上げてないから停まるわけもない。

 しかし車は停まってる。

 運転席の窓が開き、そこから運転手が顔を出す。

「……」

「……」

 お互い、無言。

 一応相手は、知り合い。

 普通に挨拶でもすればいいんだろうけど、眼鏡越しに見える充血した細い目が怖くて声が出ない。

「……嬢ちゃん、今帰りか」

 地獄の底から響いてるのかってくらい低い声。

「は、い」

「そうか。俺もだ」

「そう、ですか」

「……」

「……」

 そして、無言。

 知り合いは知り合いだけれど、一月前に知り合ったばかりの相手。

 叔母の友達、とのこと。

 そうでもなければ、知り合いになることもない相手だ。

「……その、だな」

 艶のない黒髪を雑に掻きながら、向こうから口を開いた。

「雨、降ってるな」

「……」

 ご覧の通りの言わずもがな。

 それでも一応、傘をずらして、一瞬空を見上げ、

「雨、降ってますね」

 そう返事をする。

「……」

「……」

 結局、無言。

 これでもう三度目だ。

 いい加減寒くなってきたし、下校中の人もまだ周囲にはいるだろう。

 車に乗ったままの人に話し掛けられ立ち止まる女子高生、しかもその相手は四十前後の強面の男。

 偏見かもしれないが、犯罪が起きないか心配になる場面。

 早く離れないと。

「もし、良かったら」

 私が口を開くより先に、相手は言った。

「家まで送ろう」

「……」

 思わず辺りを見回して、スマホを構えてる人がいないか確認したくなる。

 写真を撮ろうとしてないか、どこかに電話を掛けようとしていないか。

 端から見たらもう、犯罪の現場と勘違いされかねない。

 断るべきだ。

 断る、べき。


『とっくに番号なんて変わっていると思ったのに、未だに同じの使っているなんて。……まぁ、知りたいことを知れたから、良かったんだけどさ』


「……」

 大好きな、叔母。

 その叔母は、もう、どこにもいない。

 ほんの一月前に──眠ってしまった。

 二度と覚めることのない眠りに。

 訊きたかったことも、訊けずじまい。

「そ、の」

 答えてもらえるかなんて、分からないけれど、

「ご迷惑で、なければ」


 叔母の友達だというこの人に、訊いてみたい。

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