第11話 【レイ・少女を助け】
青白い光に眩んでいた目に、少しづつ視力が戻ってきた。そして周りの風景が数秒前とは全く異なることに気づく。あの冒険者達と揉めた飲み屋街ではもう無い。
暗くてジメジメした空間を天井の淡い光が静かに照らしているこの場所は、つい先ほど訪れたばっかりだった。
「ピュアパレットの地下か」
どうして突然ここにいるのかは分からない。男達と喧嘩していたはずなのに、一瞬で居場所が変わってしまった。
(瞬間移動…? そんな手品みたいなのが実在するわけでも無いのに)
しかし実際問題、彼は今ここにいる。夢を疑うが、そうでは無かったようだ。彼の隣には先程の少女と変異歹が横たわっていた。暴力による身体中の痣や傷口も依然存在している。
(今は考えるよりも手当が先だな)
二人とも意識が無いようだ。傷が深く、相当なダメージを受けているのかもしれない。彼は応急措置の知識を思い出そうと頭を捻る。
(えっと、取り敢えず真っ直ぐな姿勢で寝かせて…。それから衣類が傷口に触れないようにするんだっけ)
彼女の服はボロボロで、数カ所切れていて血が滲んでいる箇所もある。早く脱がせないと切り傷にバイ菌が入ってしまうかもしれない。
「…って、脱がす⁉︎」
重大なことに気づき、少年の顔は真っ赤になった。若い女の子の服を脱がすなんて彼には刺激が強すぎる。
しかし手負の彼女達をこのままにしてもおけない。いくらかでも措置をしないと酷く後悔することになるかもしれない。
「と、取り敢えず綺麗な包帯を買ってこなきゃ。話はそれからだ。塗り薬も要るしね」
少年は逃げるように階段を駆け上って行った。
二十分も経たないうちに薬を買ったレイが息を切らして戻ってきた。出入り口は外側から鍵が掛かっていたが、彼は心の中で店主センリに謝りながら剣の柄で錠前ごと扉をぶち破った。まさかセンリも自分が売った武器で自分の店の扉が壊されるとは思わなかっただろう。
レイは滑らないように気をつけながらも急いで階段を降りていく。
少女も変異歹も変わらず寝そべっていたが、顔色がさっきより悪くなっているようだ。床にできた血溜まりを見るに出血が酷いのかもしれない。
「待ってて。もう少しの辛抱だ」
レイは恥ずかしがる自分を無視して少女の服に手を伸ばす。彼女のピンク色のセーターはすっかり血で染まって赤くなっていた。レイが剣でセーターを切って脱がせると、中から白いシャツが現れた。こちらも血で染まっている。彼は緊張しながらもシャツを脱がせていく。
「ひどい…」
幼い少女の柔らかい肌は青紫の痣だらけで、お腹には大きな切り傷があった。その傷から赤黒い血がたらたら流れ出してしまっている。
レイは消毒液の入った小瓶を取り出し、それを含ませた布で少女の体を隈無く拭き始める。出血の止まらない箇所には綿を当て、買ってきた包帯でそれを固定する。
慣れない手つきで作業し、何分か掛かってようやく手当が終わった。
(よし、ひとまずは大丈夫かな。次は…)
少女が連れていた鹿の変異歹も怪我がひどいようだ。苦しそうに喘いでいる。
しかし、手当てをしようにも相手は変異歹。動物だというだけで難易度は上がるのに、患者は体の半分の骨格が剥き出しになっている未知の生物。素人のレイにはどこから手をつけて良いものか全く分からない。
(そもそも何で半分骸骨になりながらも生きていられるんだろう。変異歹ってかなり特殊な生き物みたいだな。血も紫色だし)
取り敢えず血だけでも拭こうと、レイが伸ばした手を何者かが弱々しく掴んだ。勿論あの少女だ。
「目が覚めたんだね。良かった」
しかし少女は虚な目のままで、今にも再び気を失いそうだった。だが彼女は一生懸命口を動かして何かを言おうとしている。
「…その、…子…に、ジロール…を…」
「ジロール?」
「黄、色…きの…こ。変…歹の、怪我…に効く…」
それだけ伝えると彼女は再び気を失ってしまった。
レイは取り敢えず持ってきた栄養剤を二人に飲ませ、言われた品を探しに再び街へと走っていった。
数時間が経ち、夜が明けた。レイは看病に疲れていつの間にか眠ってしまっていた。
眠る彼の手の甲を鹿の変異歹が労わるようにペロペロ舐めている。
目が覚めた少女はその光景を見て微笑む。
彼女は枕元に新品の服が畳まれてるのに気づいた。ご親切に、前着ていた服と同じようなものが用意されていた。少しだけサイズが大きいその服に腕を通す。心なしか、とても暖かく感じた。
「ん…? 起きたの…?」
「あ、おはよぅ!」
少年の方も目が覚めたようだ。鹿も喜び、甘えるように彼に背中を擦り付けている。
「あなたが看病してくれたんだねぇ。助けてくれてありがとぉ」
「どこか酷く痛むところとかはない?」
「うん! 平気だよぉ」
語尾を伸ばすような喋り方と甘ったるい声で少女は元気に答える。これが彼女本来の喋り方なのだろう。昨晩のボロボロだった彼女とは見違えるようだ。
(本当に元気になったみたいだ。良かった…)
「あなたお名前は? あたしはティアだよぉ」
「僕のことはレイって呼んで」
「レイくん!」
ティアは嬉しそうに何度も名前を口の中で連呼した。笑う彼女の幼い顔に昨日までの悲壮感はもう無い。すっかりただの明るい少女に見える。
しかし彼女の心が受けた傷は計り知れない。そんな彼女のギャップにレイはさらに胸を痛めてしまう。
「ねぇ、何があったか聞いても…いいかな?」
ティアは答えずらそうに俯く。
「いや、いいんだ。無理にとは言わない」
「ううん。レイくんには話さなくちゃいけないと思う。危険を顧みずに助けてくれたもん。知る権利があるよぉ」
鹿の変異歹が彼女に寄ってほっぺを舐め始めた。きっと彼女の悲しそうな顔を見て慰めに来てくれたのだろう。
「仲がいいんだね」
「うん! この子はシューくん。私と仲良しの変異歹さんなんだぁ!」
「その…認識が間違ってたらごめんね? 確か変異歹って人を襲うんじゃ無かったっけ」
「だって現にシューくん襲ってないじゃん」
「そうだけど。でも僕は実際に襲われているんだ。おっきな亀みたいな奴に」
彼は襲われた時のことを説明した。ティアは怒る訳でも悲しむ訳でもなく彼の話を最後まで聞いた。
「レイくん、変異歹さん達ってどういう子達か知ってる?」
「確か生物が突然変異したんだよね?」
「そうだよぉ。だから基本的には普通の動物さん達と変わらないの。だけど体が突然溶け出して、おまけに凄い力が手に入ったからびっくりしちゃってるだけ。悪意がある生き物なんて自然界には人間しか居ないよ」
彼女のもっともな説明にレイは少し納得した。
「でも襲っちゃうのは事実だよね?」
「そ。だからあたしたちソモの民はこの子達を研究することにしたんだぁ。どうにか落ち着かせて共存したり、さらには元の姿に戻したり出来ないかなって」
鹿の変異歹シューは拾われた時まだほんの赤子で、ずっとティア達が愛を持って育てたから人を襲ったりしないんだと彼女は説明した。人と変異歹共存の第一歩こそが彼女とシューの絆なのだそうだ。
「だけどそれを説明しても聞いて貰えなくて…。冒険者の人はあたしたちのことが嫌いみたいなんだぁ…」
確かに変異歹撲滅を掲げる冒険者ギルドが反発するのは当然だろう。しかしそれにしてもやり方っていうのがある。
「あたしたちは別にあの人達の邪魔をしていた訳じゃないの。まだ研究成果が出ていないから説得力も無いもん。止める権利なんてまだ無いよ。でもいつかは共存出来ることを夢見て頑張っていただけなんだよ」
「理由はどうあれ、あいつらのやり方は間違っているよ。しかも一般冒険者達まであの仕打ちに疑問を持たないなんておかしい。それに…」
レイは、子猫みたいに甘える鹿のシューを見た。
「この子を見てたら、確かにただ殺すのは違うって気がする。元は普通の野生動物なんだもんね」
「ありがとぅ。レイくんってやっぱり優しいねっ」
「そんなんじゃないよ。あいつらが許せないだけさ」
その言葉を聞いたティアが突然ハッと、何かを思い出したようなような顔をした。
「どうしたの?」
「どうしようレイくん! 私、忘れてたぁ!」
「何を?」
「私、この街に知り合いを探しに来てたんだぁ。道中シューくんが病気になっちゃったからすっかり忘れてたよぉ」
「病気? そういえば昨晩そんなこと言ってたね。大丈夫なの?」
「うん。レイくんが買ってきてくれたキノコは変異歹にとって万病の薬なのぉ。怪我だって治っちゃうんだから」
彼女の言う通り、レイが買ってきたジロールをシューの口に入れてから彼の体調はみるみる良くなっていった。今なんて怪我していたのが嘘だったみたいに元気鹿だ。勿論、半身は骨が剥き出しのままだが。
「だからごめんね、あたし行かないと。早く止めないとあの子何しでかすか…」
「ちょっと待ってよ。それってギルドと関係があるんでしょ? なら君も危険じゃないか。シューくんだってまたどんな目に遭わされるか」
「……うん」
「ねぇ、良かったら僕にも事情を話してくれないか? 君達のこと放っておけないし、助けたいんだ」
「レイくんみたいな良い子をこれ以上巻き込めないよ」
「でも…!」
「だめよ。危険だから」
キッパリと、彼女は言い放った。その表情は何故か、やけに大人びて見えた。
「ありがとね。お礼は今度必ずするから。でも今は先を急ぐね」
彼女はさっさと荷物をまとめ始める。
「本当に感謝してるよ。また絶対会おうね」
言い終わるや否や、彼女は躊躇もなく飛び出していった。引き止める隙も、声を掛ける時間すらなかった。
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