第10話 【ルカ・昼休憩】

無計画にだらだらしていれば五日間なんてあっという間に過ぎる。ルカは久しぶりの街での休暇をどう過ごそうかと悩んでいた。

実は先ほど予定通りに実家に寄ったのだが、家は留守ですっからかんだった。一時間ほど待っても誰も来ない。待ちくたびれたルカは今日のところは諦めて、貴重な休暇時間を他の事に費やす事にした。

「とは言ってもなぁ」

ルカは国で一番の冒険者。当然各高難易度依頼に引っ張りだこで、彼は今までまともな休暇が与えられていなかった。その為遊びと無縁だった彼は、今非常に困り果てていた。

「うーん…。とりあえずどこかで休もうかな」

方針を決めたルカは飲食店か喫茶店を探し始める。しかし探すと言っても、彼が今居るのは街の中心部。五歩も歩けば何かしらの飲食店の看板がすぐに現れてくれる。これこそが賑わう巨大都市の利点。しかし、それが逆に彼の新しい悩みを生み出してしまう。

「居酒屋、お団子カフェ、コーヒー専門店にサンドイッチ屋…。くっ、一体どれを選べばいいんだ。「普通の男子」だったらどれを選ぶ?」

彼は頭を抱えて考え込む。だが考えはまとまるどころか、視界の端に新たな看板を発見してしまって寧ろ選択肢が増えてしまう。

「あぁ、俺に彼女でもいれば決めてもらえたのに。せめてヒヨクでも居てくれたら…」

ギルドに戻って彼を探そうとも思ったが、もし居なかった場合、無駄に往復したその時間が惜しい。

「仕方ない。自分で考えるんだ。論理的に、論理的に。俺は男だ。男は女より沢山食べるって知り合いの冒険者が言っていた気がする。なら沢山食べれる店が正解か?」

選択肢からコーヒー専門店とお団子カフェが一旦消えた。

「だけど、沢山食べるって一体どれくらいだ? そもそも何を食べればいいんだ? あー! わからない! くそ、なんで親父のヤツ留守にしてんだ! もし居たら全面的に任せられたのに!」

ルカは再び頭を抱えてうずくまる。もはや数多ある看板たちがこっちにおいでと囁く幻聴まで聞こえてきた。

「うわぁ! 俺は一体どうしたらいいんだ⁉︎」

「えと…、大丈夫?」

急に背中を撫でられ、ふと我に帰る。

心配そうな表情で摩ってくれているのは一人の若い女の子だった。二十歳ぐらいで、愛らしい顔をした可愛い感じの子だ。サラサラした綺麗な藍色の髪を低い位置でツインテールにしている。

「お医者さん呼ぼうか?」

「い、いや、大丈夫だ。申し訳ない、少し悩み事をしていただけだよ」

「えっ? だってうずくまりながら喚いていたよ?」

改めて言葉で言われ、ルカは自分が結構な痴態を晒していた事に気づく。

「やっぱり少し休んだら? すぐ隣にカフェがあるんだけど、そこで少し休ませて貰おうよ」

「カフェ⁉︎ 君が選んだカフェ⁉︎」

ルカの顔がパァーッと明るくなる。

「よし行こう! そこへ行こう! 君も少し付き合ってくれないか? メニューを決めるのを手伝ってくれ!」

「え、ええ。…うん? メニュー?」

ルカは彼女の手を取り、喜び勇んで隣のカフェに入っていった。


「えっ、優柔不断⁉︎」

「そうなんだ」

二人はカフェで飲み物を頼み終え、店奥の涼しい席で休んでいた。

たまたま入ったここはケーキとフルーツオレが人気の、モダンで心地良い雰囲気の店だった。

人気メニューのフルーツオレは葡萄や蜜柑など、味が十数種類もあり、ルカだけなら間違いなく選べなかっただろう。彼女が梨味に選んだおかげで、それと同じ物にする事によって何とか地獄の選択を回避することに成功した。

「ジーナが居なければ俺は貴重な一日を路上で過ごすことになっていたかもしれない。本当にありがとう」

「気にしないで。こっちこそ、飲み物奢ってもらったし」

女の子はジーナ・フォードールと名乗った。歳は二十一で、ここの近所の娘らしい。

「しかし、何か予定とかあったんじゃないのか?」

「ちょっと街の外まで行く用事があったんだけど、別に急ぎじゃなかったから」

ジーナは安心させるように笑い、フルーツオレを一口飲む。途端、彼女の顔が幸せそうにとろける。

「あまぁ〜い」

「あはは。ジーアは甘いものが好きなのか」

「うん、大好き。ルカも飲んでみてよ、とっても美味しいんだから」

言われた通り、コップを口に運ぶ。すると確かに、梨の風味に混じって程よい甘さが口の中に心地よく広がる。飲み込むと、その爽やかな甘みがスゥーっと引いていって、口内には梨の上品な香りだけが残る。とてつもなく美味だ。

ジーナに出会って居なければこれを味わえなかったと考えると、梨とのこの奇跡的な出逢いに涙すら出る。

「とっても、うまい…」

「だよね!」

二人がコップを空っぽにするまで時間はさほどかからなかった。大切に飲もうと思っても、コップを運ぶ右手がどうしても止まってくれなかったのだ。

「ご馳走さま、ありがとね」

「こちらこそ。運命の出会いをありがとう」

「じゃあ名残惜しいけど、あたしはそろそろ行くね」

「街の外に用事があるんだっけ?」

「そうなの。あたし冒険者やってるお兄ちゃんが居るんだけど、あいつったら弁当忘れて森へ行っちゃったのよ。だから持っていってあげなきゃ」

彼女は手に持つ小さな包みを掲げて見せる。

「一人で行くのか? 森は危険だぞ」

「やっぱりそうだよねー。弁当忘れるなんてお兄ちゃんのバカ」

「良かったら俺も同行しよう。女の子一人で行かせられない」

「へぇ〜。優柔不断なのにこういう時は決断が早いのね」

「人を助けることに躊躇なんて無いさ。こう見えても冒険者の端くれなんだ」

「ふふ、冗談だよ。ありがとうねルカ。よろしくお願いするわ。その代わり、今度はあたしにお礼させてね?」

ジーナは無邪気に笑った。


さすが一国の首都。当然、街の面積はとてつもなく広い。よって、街から出るための門にたどり着くだけで二時間弱ほどかかってしまった。馬でも借りられたら良かったが、あいにくそういったサービスは充実していない。愛馬は今頃馬小屋でおねんねだ。

「丁度お昼の時間ね。お兄ちゃんのお腹が泣き出す頃だわ」

街全体を取り囲む外壁にはいくつかの門がある。門は出入り口と同時に関所の役割も併せ持っており、出入りの際には身分証明書や入国許可証などの書類が必要になる。

しかし冒険者であるルカは冒険者のライセンスをチラッと見せるだけでいい。彼らだけはいつでも自由に国を出入りできるのだ。

手続きを終えた二人が門をくぐり抜けるといきなり暗くて深い森が出迎えてくる。一応車輪の跡は存在するものの、ほとんど道なんて無いような野生的な森だ。数ある門の中でも、交通路としてあまり積極的に採用されてはいない道であることは簡単に想像がつく。

「どうりで役所のおっさんが暇そうにしてた訳だ」

「一人でチェスしていたもんね」

人工的な石壁を離れ、二人は自然の中へと入っていく。ジーナの兄は仕事でこの森にいるらしい。

「お兄ちゃん、なんか変異歹退治がどうのって言ってた気がする」

「ああ、この方面だともしかして地蔵狼の討伐かな。ギルドでそんな依頼が出ていた気がする」

森は険しく、人に優しい平な場所なんて殆ど無い。大木の根っこに足をとられるジーナにルカは紳士的に手を差し出す。あちこちが根っこや苔の塊だらけだ。町娘の足ではかなり苦労するだろう。

「手を繋いで行こう。転ばないように俺が支えるから」

ジーナの持ってきた地図とルカが常備している方位磁石を頼りに、今にも迷いそうな暗い森を奥へ奥へと進んでいく。今回ジーアの兄やその仲間の冒険者たちは北西にある冒険者用のキャンプ地を拠点としているらしく、ジーナの地図にはその場所が記されているのだ。

ルカ自身もその場所には心当たりがあり、二人は順調に足を進めていく。

「私一人だったらたどり着けなかったかも。ルカ、ありがとね」

ジーナが嬉しそうに言う。しかし返事がない。怪訝に思ってルカの顔を覗き込んだ彼女は思わず足を止めた。彼の顔がものすごく真剣で、酷く焦っているようだったからだ。冷や汗すら浮かべている彼にジーナは恐る恐る声をかけた。

「…ルカ? どうしたの?」

「地図上ではキャンプ地はもうすぐだ」

「ええ、そうね」

「血の匂いがする。人間の血だ」

「えっ⁉︎」

「急ごう」

ルカはジーナを抱き抱えると、人間離れしたスピードで走りだす。森の障害などお構いなしに、飛ぶように進む。

血の匂いはどんどん濃くなっていく。

「見てルカ!」

前方の木々の間から光が漏れ出している。それは向こうにひらけた空間があることを示す。

「着くぞ」

飛び出した二人は整地された芝生に着地した。ここがキャンプ場で間違い無いようだ。

ルカは急いで辺りを見渡す。

一言で言うとそれは…、地獄絵図だった。

真緑の芝生は鮮血で染められ、人間の体のパーツが無惨に散らばっている。

千切れた手足、裂かれた胴体。そしてゴミみたいに転がっている複数の頭部。

それらを美しい日差しが無慈悲に照らしている。

「うわァァァァァァァァ‼︎」

ジーナは発狂し、頭を抱えてうずくまる。彼女の瞳は絶望で満たされ、大粒の涙が次々と溢れてくる。そのあまりの恐怖と絶望に、彼女の心は耐えられなかった。

「ジーナ!」

ルカは彼女を抱き上げ、飛んだ。一瞬遅れて、彼女達が今さっき居た地面が砕けた。彼はジーナを離れた芝生に下ろすと、鞘から剣を抜き、それと対峙した。

地面から鋭い爪を抜き取り、それも自身の敵であるルカに向かって戦闘体勢をとる。

そこにいたのは異様に足が発達した細身の熊のような化け物だった。体の部分部分の肉が溶けて骨が剥き出しになっている。

「変異歹か…。地蔵狼では無いようだな」

彼も初めて見るような変異歹だった。これだけの人数の冒険者を一匹で皆殺しにしたとなると、かなりの強敵のようだ。

体は熊にしては細身であるが、それでも人間の倍はあり、球体のような筋肉の塊があちこちに見える。バッタのように発達した足と合わせて、かなりの身体能力を誇っているに違いない。そして何より、地面すら砕く鋭くて分厚い爪が目に付く。分厚いが、その縁はナイフの先端のように尖っている。あの冒険者達はこれにやられたのだろう。

確かに、人間超過のスピードとパワーで繰り出されるあの鋭器を前にしたら普通の冒険者では歯が立たないのは当然だ。

背後ではジーナが踞って泣き続けている。彼女の兄も死体の中に居たのかもしれない。その事実を知ることを拒むかのように、彼女は決して顔をあげない。

(ジーナだけでも助けなきゃ)

熊の変異歹は敵意を剥き出しにして唸りながら、一歩づつゆっくりと距離を詰めてくる。

それに気づいたルカも最低限の間合いはとりつつ、自分の攻め込む隙を探る。

一瞬、両者が完全に静止した。それが合図となった。

「ぎゃぅうわぁぁぁぁぁぁ‼︎」

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ‼︎」

二人のハンターが同時に走りだす。熊は刀のように鋭い爪をルカの首目掛けて伸ばす。恐ろしい速度だ。ルカは抜いた剣でそれを捌こうと振り上げようとするが、瞬時何かに気づいて全力で真上に跳躍する。そこに放たれる熊の前蹴り。なんと、足の爪はもっと鋭いではないか。

(自然界で学んだ一撃必殺の騙し打ちだな)

ルカは宙で翻り、剣先を熊の脳天にロックオンした。そしてそのまま逆向きのロケットのように敵に向かって突っ込んでいく。熊の得意技を避けてのカウンター、完全に不意を突いたつもりだった。しかし獣は只者では無かった。悪魔的な反射能力で逆の手を頭上に掲げ、その丈夫な爪でルカの剣をはじく。カキンッ。硬い音が響き、ルカのバランスは崩される。それを見逃さなかった熊がすかさず頭突きをお見舞いする。攻撃はルカの左手を直撃。何かがへし折れる音と共にルカは真横へ飛ばされる。

「ぐはっ⁉︎」

高い位置から地面に激突し、口から血飛沫が飛んだ。頭を強く打って視界が揺らぐが、痛みを気にしている暇なんてなかった。彼は全身の筋肉を無理やり動かし、なんとか体を横に転がす。間一髪、熊の踏みつけ追い討ちを回避する。

そしてすかさず。やはり彼は一流だった。ルカはすかさずに剣で熊の足を斬りつけ、足首から下を丸ごと切断する。気を失うほどのダメージを受けても決して離さなかった己の武器で、熊の機動力を大きく削ることに成功したのだった。

「ぎゅあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉︎」

足を失った痛みに熊の変異歹は発狂する。その雄叫びは憎悪と苦しみを含み、一度聴いたら脳にこびりつく。

「お前が殺した人たちの分だ!」

隙も与えない勢いでルカは起き上がって剣を振り上げる。当然、片足を失った熊は回避できない。

「正義は…勝つ!」

真紫の体液を撒き散らしながら、その太い首に刃が入っていく。

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