第一章 冒険者ギルドと少女達

第5話 【レイ・記憶と未来】

少年はゆっくりと、フライドと名乗るその大男を見上げた。

身長は二メートルほどで少年よりもかなり大きい。筋骨隆々で、着ている粗末な服からは丸太のような腕がはみ出している。

顔からして四十歳ほどか。荒い無精髭と乱雑に切られた灰色の短髪を除けば、なかなか整った顔立ちをしている。昔は結構格好よかったのかもしれない。

「た、助けてくれてありがとうございます」

突然の大男に困惑しながらも少年が礼を言うと、フライドは満足そうに歯を剥く。

「おう! 気にするな」

図体通りの太い声で豪快に言い放つ。

「ところで…」

フライドは目前の全裸の少年をじっと見る。勿論、彼が何を言おうとしているのかは明白だ。

「なんでお前、素っ裸でこんな所にいるんだ?」

当然、その疑問だ。

しかし困ったことに少年自身もその疑問の答えを知らない。彼はフライドに自分が記憶を失っていることを伝え、森から脱出しようとしていたことを話す。

「記憶喪失? そんなお伽話みたいなことが実際にあるのかよ」

「僕だって何が何だか…。ただでさえ心細いのに、さっきは変な怪物に襲われるし…」

少年はチラリと死んだ亀の方を見る。再び動き出すような気配は無い。

「お前変異歹も知らないのか?」

「変異歹?」

「あいつの血の色を見ろ。ああいう血液が紫のヤツは危険で凶暴だから気をつけるんだ」

説明しながら、フライドは荷物から一枚のリネンを取り出して少年に手渡す。何で持っていたのか、人ひとりを包み込むには充分な大きさの布切れだ。

「とりあえずそれ着て我慢してくれ。家に着いたらもう少しマシなのをやれるからよ」

「家って…?」

「あん? 俺の家に決まってるだろ?」

不思議そうな顔をする少年に、フライドも怪訝な顔で返す。

「僕を助けてくれるんですか?」

潤んだ目でじっと見つめられ、フライドは照れ臭そうに顔を逸らして頬をかく。

「まぁ、俺も元冒険者だからよ。困ってるヤツを放っておけないんだわ」

「フライドさん…」

「気にすんな少年。若いうちは遠慮なんかするものじゃないぞ? ガッハッハ!」

フライドはまた豪快に笑ってみせる。頼もしいその様子にやっと肩の緊張が解けるのを感じた。

「さ、行くか。えっと…」

名前だろうか。当然それすら覚えていない。

「あの…えっと。レイ、です。レイって呼んでください、フライドさん」

「おう、よろしくな、レイ!」

二人の男の間に硬い握手が交わされた。


森を出ると真っ青な晴れ空と緑に生い茂った美しい野原が出迎えてくれた。暗い森とのギャップに、レイは思わず目を細める。

「どうだ? 綺麗だろう」

「ええ。とても」

爽やかな青と緑。そしてその中に溶け込むふわふわの白い雲。色とりどりの野花。その全てがお天道様に照らされて美しく発色していた。

「ここにはよく息子とピクニックに来てたんだ。最近はお互い忙しくてあまり来れてないんだけどな」

「フライドさん子供がいたんですか」

「ああ。だからかもな、お前のことがほっとけ無いのも」

フライドの土地勘に従って二人は歩いていく。

「こんなに綺麗な空気、初めて吸うような気がします。もしかしたら僕はこの辺の人じゃ無いのかも」

レイは心底気持ち良さそうに深呼吸している。

「記憶が無くて不安か? 大丈夫、きっとそのうち戻るさ」

「はい。フライドさんのおかげで元気も出ました」

「そうか。それは良かったな」


そう歩かないうちに大きな外壁が見えてきた。

「レイ、あれが首都ロキロキだ」

門兵に門を開けてもらい、ロキロキの街中へ足を踏み入れた。

その際、フライドは何かカードのような物を門兵に見せていた。聞けば、それは「国民証」と呼ばれる身分証明証だという。

「商人以外はこのカードが無いと街に入れて貰えねぇんだ」

「でも僕それ持ってないですよ?」

「素っ裸だったから当然だな」

フライドは自分の冗談に大笑いする。

二人は壁を抜けると、街の西側へと進んでいく。人気が少なく、比較的静かなエリアへと入っていった。

「俺のカードは少し特殊なんだよ。俺は元冒険者だって言っただろ? 冒険者の国民証を持ったヤツと一緒なら、持っていないヤツも自由に入れることになってんだ」

「何でですか?」

「さぁ? 冒険に出た先で旅仲間を作ってもいいようにじゃないかな。そういう法律だ」

折角厳重な警備なのに、何だか詰めが甘い気がする。レイは疑問に思ったが、それ以上深くは考えないことにした。

「ま、一生金魚の糞みたいに俺にくっついている訳にもいかないし、お前にも自分の国民証が必要だな」

「作れるんですか?」

「簡単だ。冒険者ギルドで冒険者登録すればいい」

「冒険者か…」

冒険者という職業については道中フライドから教えてもらっていた。弱きを助け、化け物を打つ。そんなヒーローみたいな職業だと彼は言っていた。

「変異歹を退治なんて僕に出来るかなぁ」

「ま、国民証を貰うだけなら依頼をこなす必要は無いさ。でもな」

フライドは突然立ち止まり、大きな笑顔をレイに向ける。

「だけどお前が本気で冒険者になるって言うなら、俺にはその手伝いが出来る」

「え? それって」

ガラガラガラッ‼︎

フライドは突然側の建物の扉を勢いよく開け放った。どうやらいつの間にか到着していたらしい。

暗い室内を目を凝らしてよく見る。

「こ、ここは⁉︎」

驚くべき光景がそこにはあった。水でいっぱいの大きな樽に、大小様々な木机。立派な金床が置いてあり、その奥にはびっくりするほど大きなかまど。そして一番驚いたのは壁一面にびっしり飾られた金属製の剣や鎌や鎧。

「ようこそ、俺の鍛治工房へ。ガッハッハ!」

いつの間にか革のエプロンを着ていたフライドが豪快に笑う。

「俺は十年前に冒険者を辞めてから鍛冶屋になった。毎日鋼を鍛え続けて今や街一番の鍛冶屋だ。新人冒険者の装備を揃えてやることなんて訳ないのよ」

彼の言う通り、部屋に見える装備はどれも一寸の歪みもない直線の輝きを放っていた。彼が腕利きであることはどうやら間違いない。

「どうだ、レイ。二人で最高の冒険者を目指してみないか? 冒険者の先輩で鍛冶屋の俺なら良いアドバイザーになれると思うな」

十五の少年は考える。確かにこれから先、稼ぎは必要になる。生活にも必要だし、もしかしたら医者を使って記憶を取り戻せるかもしれない。その時もお金は必要だ。国民証も欲しいし、良くしてくれたフライドに恩返しもしたい。

しかし彼は知ってしまった。つい先程体を持って経験した。「死の恐怖」を。誰かに殺意を向けられることの恐ろしさを。命は、決して軽くなんてないことを。

でも…。

「フライドさん、一つだけ聞かせてください」

「なんだ?」

「僕みたいに変異歹に襲われる人、沢山いるんですか?」

「…ああ」

フライドは辛そうに目を細める。

「あいつらが何なのかはわからない。五十年ほど前に突然現れ始めた「災害」だ。変異歹どもは日々数を増し…、村や町や人々が次々と殺される」

それがこの世界の性だと彼は言う。残酷すぎる定めだと。

「…そう、なんですね……」

「俺は誰かを救いたくて冒険者になった。しかし誰だって自分の命が一番大切なはずだ。死と隣り合わせのこの仕事を、お前に無理強いするつもりは全く無い。だが…」

フライドは躊躇うように言葉を切る。しかし、再び口を開いてこう言った。

「俺は命をかけて人類のために戦った。そんな人生を誇りに思っている。これこそが男の最もかっこいい生き様だと自負している」

「…」

「と、かっこつけたけどよ、命の危険があるのは事実だ。だから最後にはお前が決めろ。しっかりと考えた上で答えを出すんだ」

真っ直ぐにレイを見つめるフライドの瞳。その瞳をレイも見つめ返す。

「僕は…」

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