第29話 ある日突然、刑事になる事もある。
ツネ婆さんが言うには、いつものように執務室で一人で仕事をしていると。突然キッチンへ行かないといけない、という使命感に襲われ。普段行く事も無い業務エリアにある、パーティー用の大きいキッチンに一人で向かったと言う。
昼時という事もあり、美祢子は住居エリア用のキッチンで食事の準備をしていたそうだ。
普段の食事は住居エリアの方にあるキッチンを使用するので、通常業務エリアのキッチンには人がいない。
深大寺家は車椅子でも不都合を感じることなく過ごせるように特別に設計されたバリアフリー住宅なんだけど。
このキッチンにはその深大寺家の中で唯一の階段がある場所なんだ。普段ならツネ婆さんが立ち入る事も無いし、柵などの車椅子転落防止対策などもとられていない。
その階段は食材を保存している下の階の大きな食料品倉庫に繋がっているんだけど。パーティー等でお客様が来ている時に、食材をお客様の目に入ることなく迅速に補充するためにと作られた場所なんだ。
食料品倉庫は使用人専用フロアにあって、毎日届く食料を保存しておく為に使用されている。この補充も使用人専用フロア側から行われるので、深大寺家の住民も食料の補充を目にすることはない。
ちなみにこの倉庫から運ばれた普段の食材は住居エリアキッチン内の大きな冷蔵庫とキッチンの横にあるパントリーに保管されることになる。これは宅内の廊下を通っていくために、これを目にする機会はごく稀にある。
ツネ婆さんは気が付いたらその階段の前にいたそうだ。それで自分の意志に反して手が動き、車椅子の前進レバーを押していたらしい。
大きな音で美祢子と他のメイドさん達が集まった時には、重い電動車椅子にツネ婆さんが圧し潰されている状態だったという。
一人のメイドが救急車を呼ぼうとしていたが、ツネ婆さんから「それよりも永遠を呼んでおくれ。」との言葉で僕への連絡に至ったという事だった。
結果的に助かったから良かったものの、自分の意志に反して階段に転落したっていう所がとても気になる。
さっき治療した時にも千羽鶴と深雪さんの妹の紅葉さんの時に見た黒い雲と似た感じはしたんだ。
似た感じっていうのは、黒い雲こそ見えなかったものの。治療する時に感じた抵抗感っていうのかな。邪魔するような作用が働いてた気がするんだよね。
今ツネ婆さんは怪我も完全に治ってお義父さんがそばについていてくれている。
同じ事が再び起きないとも限らないので、大きなキッチンにはこれから施錠する事に決まった。普段は食材を運ぶ時ぐらいしか使わないってことだしね。
それと、なるべく常に美祢子か佐々木さんが傍にいるっていう事になった。ツネ婆さんの気が休まらないかもしれないけど、こればかりはしょうがないよね。
それとこれからはお義父さんが、僕のこともあるしちょいちょい遊びに来るよって言ってた。本当はツネ婆さんに会いに来たいって事なんだろうけどね。お義父さん曰く、「俺は暇人だからいつでも連絡してくれよ。」って事なんだけど、華怜に聞いたら、「本当はかなり御多忙な方のはずなんですけど。」という事だった。
そりゃそうだよね、全国に30か所の大病院経営してるんだから。きっと僕達の為ならいつでも時間を空けられるよって意味なんだろうね。
一晩が過ぎ、ツネ婆さんが心配で交代でずっと観察していたんだけど、とりあえずは何も起こらず無事に一夜を過ごせた。
未だに何が原因なのかは、何一つわかっていないのでとても不安な時間だった。
美祢子が夜食にと作ってくれたひき肉と卵を炒めた具が入った海苔巻きと渡り蟹の味噌汁が最高に美味しかった事だけが救いだった。
「全く記憶が無いわけでもないのさ。とにかく抵抗が出来なかった。頭の中はなんだかぼんやりとしていたかしらね。まずはキッチンに向かわないといけないって思ってそれに従うしかなかった。そしてキッチンの階段を見たらあそこに行かないといけないって思いのままに左手を動かしてた。階段の前について、絶対に行きたくないのに左手はレバーを前に倒して階段を落ちてたのさ。そこからは急に意識がハッキリして身体中に痛みを感じていたけど、重い車椅子に圧し潰されていて声も出せなかったんだよ。あの時は本当にそのまま死ぬのかと思ったね。」ツネ婆さんからあらためて昨日の事を聞いてみた。
「キッチンに行かないといけないって思う前には何か異変みたいなもの、違和感なんかは感じませんでしたか?いつもは見えないものが見えたとか、誰かの声を聴いたとか。」物事には必ず原因があるはずだと思って聞いてみた。
「突然なんだよ。それまで普通に仕事をしていて、仕事に集中していたからなのかもしれないけど、何も見なかったし、何も聞こえなかったよ。いや、でもむしろ聞こえなさ過ぎだったのかもしれないね。確か昨日は前の道路で工事があったはずだけど。朝のうちはそれが耳に障って、とても不快だったわ。それでミネに言って音楽をかけて貰っていたの。そういえばそれがいつの間にか聞こえなくなっていたかもしれないわ。異変と言えばそれぐらいかしらね?」ツネ婆さんが記憶の糸を手繰り寄せて話してくれる。
「音が聞こえななったかぁ……。仕事に集中していて自然と聞こえなくなっていたのか、それとも何らかの外的要因で聞こえなくなったのか。」僕は立ち上がり、考えをまとめるためにゆっくりと部屋の中を行ったり来たりし始めた。
「なるほど。全てわかりました。犯人はこの中に居る!!」ババン!!大きなSEと共に僕のドヤ顔がアップになる。
「あんた一人で盛り上がってどうしたんだい?変な効果音まで使って。」ツネ婆さんが呆れた顔で僕を見る。
「いやぁ、こういうの一度やってみたくって。」頭をぽりぽりしながら答える。てへぺろ。
まぁそんな茶番はおいといて、その後もみんなで話し合ったが、結局原因は何もわからなかった。
そして現場百回、捜査の基本に立ち返り僕はツネ婆さんの執務室に来ていた。事件解決のヒントは必ず現場にある。何かのドラマか映画で見た刑事がそんなことを言っていた。この現場を見たら彼はどんな事を思うだろうか。
昨夜もざっと執務室内を確認したんだけど、何も違和感は感じなかった。
今日もやはり違和感は感じない……。いや、あの窓から何かいやな雰囲気を感じる。昨夜はそんな事思わなかったんだけど、明るくなったからかな?少しあの窓のところだけ若干暗く見える。外からは朝の陽ざしが差し込んでいるんだけど、窓枠のところに若干影があるっていうか、黒いモヤが掛かって見える。本当に若干だし、昨夜は暗くてそれが見えなかったのかもしれない。
違和感を感じた窓の所まで歩く。相変わらず一部に黒いモヤの様なものがかすかに見える。先日見たあの黒い雲よりも随分と薄くて気付きにくい。
そしてその黒いモヤの中心部分を凝視する。
そこにあったのは黒く焼け焦げた紙片だった。そう小さな紙片。焼け残った部分を見ると赤い色がついている。そして更によく観察するとその紙片には文字のようなものが見える。本当に一部分なので内容まではわからないけど、たしかにペンで書かれた文字だ。
僕はこれが何なのか見覚えがあった。これは多分折り鶴だ。千羽鶴を構成していたうちの1枚。既に燃えかけていて、鶴の形状は保っていないけど、折り目も確認できる。
しかしなんでこんなところに折り鶴があるんだ?あの折り鶴は確か、僕と華怜が力を合わせて浄化?無力化?したはずだった。その後深雪さんの手によって完全に燃やしてもらっていたはずだ。その場面にも立ち会っている。ひとつ残らず燃えているはず。
新たに作られた折り鶴?いやそれはないだろう……。作った張本人がツネ婆さんに怨みを持っているとは思えない。それにあの後姉妹でとことん腹を割って話し合って、それまでのわだかまりも解消できたって聞いている。
僕はその折り鶴に手を伸ばす。予め手に意識を集中しておく。
パチン。
折り鶴に触った瞬間小さく音を立てて黒いモヤがはじけて霧散する。手には静電気でパチってなった時ぐらいの衝撃が走った。痛みはない。衝撃だけ。
そしてそれはただの紙片になった。先ほどまで見えていたモヤは完全に消えて、ただの燃えかけた赤い折り紙になった。先ほどそこに書かれていた文字も消えている。
僕は部屋の中心に立ち、この部屋に意識を集中していく。目を閉じて部屋の構造を頭に浮かべる。窓の部分に若干の陰りが見える。さっき浄化したけど、まだ残ってるってことかな?
目を開けてよく観察してみるが、黒いモヤもなければ違和感も感じられない。
もう一度目を閉じて再度部屋の構造を思い浮かべる。するとやはり窓のところに若干の陰りが見えてくる。そしてその部分だけでなく、部屋全体に意識を集中していく。目を開けると部屋全体が光りだす。そして段々その光が弱くなっていく。
光が完全に消えた後。もう一回目を閉じて部屋の構造を思い浮かべてみる。窓のところにあった陰りは完全に消えていた。そして部屋全体が薄っすらと光って見える。これ結界じゃないかな。窓のところに見えていた陰りは多分鬼門っていうのか、この部屋の穴だったのかもしれない。あの折り鶴が何なのかはわからないけど、この家で自然発生したものではないと思う。外からこの部屋の穴を通り侵入したんだろう。いや、ホントなんでかはわからないけど、そう思うんだ。
この部屋全体に張ったものが結界だっていう事も、それを張る方法も自然と頭に浮かんできた。いや、元々知っていた?僕自身うまく説明ができないけど。元から知っていたみたいだ。
また目を閉じて、今度はこの家全体の間取りと各部屋の細かい構造を思い浮かべていく。それらに一気に意識を集中していく。先ほどとは違い範囲が広くて自分の中の力がその減りが分かるぐらい大量に流れ出ていく。
僕の部屋と、華怜の部屋にそれぞれ壁の一部と窓の部分に陰りが見えた。
そのそれぞれの部屋の陰りの部分を中心に家全体へと意識を集中していく。目を開けると家全体が強い光を発して、それが少しづつ小さくなっていく。完全に光が消えたあと扉を開けて華怜の部屋へと向かった。
コンコン。華怜の部屋の扉をノックする。
「華怜。僕です。」扉に向かい声をかける。
「はい。どうぞ。」中から華怜の返事があった。
「今部屋全体が光った気がしたんですけど、永遠様なにかされましたか?」さっきの光は華怜にも見えていたらしい。華怜が僕を見るとすぐにそのことを聞いてきた。
僕は事情を話し、先ほど華怜の部屋で感じた陰りのあった場所を探す。華怜の部屋もツネ婆さんの執務室と同じく窓のところだったはずだ。
窓枠の所には先ほど見たように燃えた紙片がおいてあった。既に文字も消えていて、その紙片から黒いモヤも出ていない。やっぱりあったな。華怜がツネ婆さんと同じようになる前にみつけられてよかった。
「その紙片がお婆様の執務室にもあったんですか?」その紙片を見ながら華怜が聞いてくる。
「そうだね。これと同じようなものがあったよ。両方とも同じように焼けていた。」僕がその紙片を手に取り説明する。もう先ほどの様に手で触れてもパチっとならない。
「あの千羽鶴が燃やされるのは私も見ていました。それがここにあるというのがありえませんわね。」華怜も僕と同じようにこれに違和感を感じているみたい。
「とりあえず、外から侵入してきていたみたいだから。この家全体に結界を張ったからもう大丈夫だと思うよ。」僕は先ほどやった結界について説明した。
「先ほどの光はその結界だったのですね。永遠様いつのまにそんな技を身に着けたんですの?」華怜が僕の事を尊敬の眼差しで見てくる。とても気分が良い反面、どうやって身に着けたのかもわからないので複雑な気分がする。
「それが僕にもわからないんだ。突然こんな風にやるといいかもしれないって頭に浮かんで。その通りにしたら光が出て、これが結界だって自然とわかったんだ。流石に家全体に結界を張ったらごっそりと力を使ったみたいでお腹が減ってきちゃった……。」この説明をしている間にお腹がぐーぐーとなってしまって困り果てる僕。
「ふふふっ。まだ早いですけど、ミネさんに言ってお食事を準備して貰いましょう。」華怜は笑ってスマホを手に取り、美祢子に連絡をしてくれた。
これで少しは安心して過ごせそうだ。心配をしながら送る日常はしんどいからね。
ツネ婆さんだけじゃなく、僕や華怜にも危険が迫ってたのが少し不安だけど。一応このあと美祢子の部屋も調べさせてもらおうかな。佐々木さんの部屋もね。
そして力が残っていたら出来るだけ広い範囲で結界を張ってみようと思う。
しかしその前に美祢子が作ってくれた美味しいご飯を食べて力を取り戻さないと。
坂本永遠35歳。不意に結界師の力を手に入れました。結界師、なんだかカッコいいかもしれない。
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