第8話 ある日突然、仕事を始める事もある。

 新しい生活をはじめてから早くも半年が経過した。

 華怜の頭髪も大分長くまでのびてきて、今はその長さに合わせミディアムボブに切り揃えられている。

 「こんな風に自分の髪の毛をお手入れ出来る日がまたやってくるなんて。」と華怜が嬉しそうに鏡に向かっている姿は、とても年相応の女の子のようで可憐だった。



 僕はといえば、毎日抜群の眺望のバルコニーでお茶をしたり、華怜と腕を組み近くにあるショッピングモールでショッピングを楽しんだり。

 何不自由ない悠々自適な人生を送っていた。






 というのは僕の妄想。いや願望。


 実際は「これからの活動の地盤作りさ。」なんていう、すっかり元気になったツネ婆さんに連れられ、色々な偉い人達に顔と名前を売っていた。

 孫娘の婿だなんて紹介されて、近いうちに凄い事をするから期待していろと僕を売り込み、毎日のように色々なところへと連れまわされていた。



 最近ではすっかりと外交的になった華怜もたまには一緒にでかけたりしてはいるが、常にツネ婆さんも一緒に居るので、せっかくの新婚夫婦っぽいことも出来ずにいる。いや、まだ婚約中の身なんだけどね。


 今はまだ部屋も別々、そういう事は結婚式を終えてから!とツネ婆さんからもご両親からも家令の佐々木さんからもミネさんからも、そしてなにより華怜本人からも言われている。とほほ。




 最初は年の差もあり、世間的な目もあるだろうと消極的だった自分自身も、流されてといったら違うかもしれないけど、華怜との関係を真剣に考えはじめるようになってきていた。


 35年間彼女も出来たことがない自分に、突然美人でセレブな彼女が出来たんだから。そりゃ色々と期待もしちゃうし、胸も膨らむってものですよ。いや違うところが膨らんじゃってるのは気にしないで。



 華怜はあの日から人が変わったように活動的になり。諦めていた進学に向けて大検資格を取ると猛勉強を始めている。

 中学生から止まってしまっていたあの子の人生が再び動き出したって感じだ。

 その為毎日多くの時間を自室での勉強に充てている。

 たまに「息抜きです。」と言って僕の部屋にきて一緒にお茶を飲んだりしてくれる。

 それが今の僕にとってたまらなく幸せな時間になっていた。




 あ、もう結構前の事だけど、佐々木さんが家令っていう意味がやっと理解できた。家令って執事ってことだったのね。

 華麗な立ち居振る舞いだったり、ちょっと年齢的に加齢を隠せなくなってきたからそう言われているのだとばかり思ってた。



 そういえばあの眺望抜群のペントハウスはツネ婆さんが引き篭もるために買い取って改築した別宅なのだそうで。

 本宅は都内の中心部、緑に囲まれた膨大な敷地に隠れるように建っていた。

 本当に隠れるように。航空写真を利用した某マップにもただの森としてしか写っていないぐらい。

 どうやったらそういう事になるのかとても気になったが、ツネ婆さんは「そういう風になっているのさ。」としか教えてくれなかった。


 その本宅では現在3名の執事さん達が働いており、元々そこで家令を務めていた佐々木さんはツネ婆さんの隠居に伴って別宅へと移動したんだそうだ。

 ミネさんも同じく本宅でメイドをしていたが、ツネ婆さんに料理の腕と機転が利くところを見込まれて別宅へ一緒に連れてこられたそうだ。



 その本宅には現在華怜のご両親が住んでいて、この半年で何度か僕もお邪魔をしたことがある。

  内部はとにかく複雑な作りで、まるで戦国時代の天守閣のような構造をしていた。

 現代建築なのに、やけに天井が低い場所があったり、とても狭い通路やドアがあったり、どうみても防衛に特化させた作りになっていた。


 これは絶対に秘密の通路とかがあって、そこから外に出られたりするんだろうなって思ってたら。本当に地下鉄の線路や皇居に通じる通路が存在するらしい。これは華怜からこっそり教えてもらった秘密だ。




 【永遠、ちょっとこっちへおいで。】スマホの画面にツネ婆さんからのメッセーと指定された場所の位置情報が届いた。

 ツネ婆さんはスマホもPCも若い人並みに使いこなしていて、とてもあんなに弱弱しい老婆だったとは思えない。



 ちなみにこの別宅は広さでいうと1000㎡程、約300坪ぐらいになるのかな?

 ビルの最上階1フロアを丸々使用していて、部屋数でいうと10部屋ある。

 

 家族用ベッドルームが5部屋と、ゲストルームが2部屋。もちろん全てのベッドルームにバストイレ完備だ。

 その他にツネ婆さんの執務室と、来客時に利用する応接室、そして20名ほど着席できる会議室を備えている。


 敷地の中央付近で綺麗に別れていて、家族の居住エリアと、執務室や客室がある仕事用エリアとにきっちりと別れていて、お互いに気を使わないで済む動線になっているようだ。

 

 その他にも家族でのんびり過ごす用と、ゲストと共に使用する大き目のリビングルームがそれぞれのエリアにあり合計2つ。

 キッチンは家族の居住エリアにあるダイニング横の広いメインキッチンと。客室側にある広いルーフバルコニーに隣接しているサブキッチンの2か所あり。

 ダイニングルームは家族で使用する簡素な作りのダイニングと、来客時に使用される豪華な作りのダイニングとで2か所ある。

 だから表記としては10LLDDKKって感じになるのかな?


 廊下の作りが真っ直ぐじゃないので各室にいい感じにプライバシーが確保されているのでとても落ち着いて過ごせるようになっている。



 ちなみに使用人の居室は下のフロアにあり、別宅のフロアにあるのは警備の詰所ぐらいなもので、それもエレベーターを降りてすぐ左右にあるため、夜間は居住エリアには家族しか居ない状態になるから、僕も少し気が楽だ。



 そのフロアの間取り図が専用端末のアプリに入っていて各個で専用の端末を所持しているので、今誰がどこに居るのかっていうところまで細かくわかるようになっている。

 そのアプリにより、ツネ婆さんの居る場所が示されていた。



 ツネ婆さんに呼び出された応接室の扉をノックする。

 「永遠です。」そう声を掛けると。

 「入っておいで。」すぐに答えが返ってくる。


 僕が部屋に入ると、応接テーブルには既にツネ婆さんの他に一人の老人が座っていた。

 「カネ爺は覚えてるかい?」先日紹介された人物で、自由民事党の幹事長をしている人だ。

 

 70を超えた老紳士だが、数年前まで日常的にトレーニングをしていたという事で、小柄ではあるが、がっちりとした体形をしている。


 「大崎兼光さんですね。どうもこんにちは。」僕はツネ婆さんの隣の席につくと挨拶をした。



 「やぁ。」ソファの脇に金属製のボンベが置かれていて、そこからのびたチューブとマスクで酸素を吸いながら大崎さんは短く挨拶を返してくれた。



 「まったくこいつは、昔からヘビースモーカーでね。早く止めないと一生チューブに繋がれて生きることになるよ!って脅かしてたんだが・・・。本当にそうなっちまいやがってね。」ツネ婆さんが事情を説明してくれる。


 「慢性閉塞性肺疾患ってやつで、今まではテレビに出る時や演説の時なんかには一時的に外したりして、騙し騙しなんとかやってこれたんだけど。最近どんどん悪化してきてね、とうとうマスクを外すことができなくなっちゃったらしいのよ。」辛そうに呼吸する大崎さんを左手で指さしながらツネ婆さんはわざと聞こえるような声で内緒話をするようなしぐさで僕に告げ口してきた。


 「うるせぃ!もうこれで止めるわい。」そういうと大崎さんは懐から煙草を取り出して口に咥えた。


 「本当に懲りないねぇ、この爺さんは。」ツネ婆さんは呆れ顔で左手だけでやれやれってポーズをとった。


 大崎さんはマスクを少し横によけて起用に煙草を吸っている。呼吸辛いだろうに、本当に止められないんだな。

 ゴホゴホと咳をしながらもプカプカと美味しそうに吸っている。



 「まぁこれでわかるとは思うけど。初の患者を連れてきたよ。」ツネ婆さんはこんなのが最初でごめんねと、申し訳なさそうな顔で僕に大崎さんを紹介した。



 「了解しました。やってみましょう。」これ治しても絶対煙草止めないし、また再発しちゃうんじゃないか?って思ったけど、胸の中にしまっておくことにした。きっとツネ婆さんも同じこと思ってる。そんな表情をしている。




 話を聞いて大体イメージは掴めたので、そのままで結構ですと断り、僕は大崎さんの横に立った。

 片膝をついて大崎さんの胸の前に右手をもっていく

 凄く煙草臭い。もうちょっとした焚火並み。

 「先生、よろしくお願いします。」大崎さんは煙草を消して姿勢を正して座り、真剣な表情で僕に頭を下げる

 政界の大先生から先生呼ばわりされるのは抵抗があったけど、そう言われて悪い気はしないのが不思議だった。




 「ちちんぷいぷい、ちちんぷい。」胸の前に置いた右掌を大きく広げて、肺の上を中心にグルグル回す。


 肺を中心にその周りも光を発し始める。


 「ちちんぷいぷい、ちちんぷい。」もう一度繰り返すと光がとても強くなっていく。

 光が最高潮に達した時、左手も使い両手で光をぐちゃぐちゃに丸めて・・・。


 「痛いの、痛いの、飛んでゆけ!!」その光を窓の外に向かって思いっきり投げる。



 僕はスッと立ち上がり、大崎さんからマスクを外してあげた。


 「どうでしょう?」僕はキョトンとした顔の大崎さんに向かって声を掛ける。



 すーーーーーーーーー、はぁーーーーーーーーーーーーっ。大きく深呼吸する大崎さん。

 「はっはっははははっ!!」笑いながら立ち上がる大崎さん。

 「苦しくないぞ!!!こいつはいい!!」そしておもむろに懐から煙草を取り出し1本咥える。


 「アレで止めるんじゃなかったのかい?」ツネ婆さんがツッコミを入れる。


 「それも止める!!」元気に答えると煙草に火をつけた。

 「あーーーーーー!!!煙草がうまい!!!!!!」大喜びで煙草を吹かす大崎さん。


 「本当に懲りないねぇこの爺さんはさぁ。」呆れ顔でツネ婆さんが文句を言う。でも本心じゃなさそう。とっても満足そうな顔をしている。


 「あんた、わかってんだろうね。さっき言ったこと。ちゃんとやってもらうよ。」ツネ婆さんは大崎さんに向かって言い放つと、ミネさんを呼んで車椅子に移る。

 「その1本吸ったらとっとと帰っておくれ。」そういうと僕においでおいでと手招きをしてミネさんが押す車椅子と共に部屋を出た。部屋に残した大崎さんはとても満足そうな表情で煙草を吸っていた。




 「最初があんな患者でごめんなさいね。でもあいつは役に立つわよ。あ、そうそう今回の治療費は私から払わせてもらうわよ。例の口座に1億程振り込んでおくわね。無駄使いするんじゃないよ。」ツネ婆さんの口から驚きの金額が飛び出た。

 「1億円!?」会社で経理を担当していた僕だけど、そんな桁のお金を扱ったことがない。正直現実感のない金額に実感が何も沸かない。


 「そんなに驚くほどの金額じゃないだろう?あなたが施した治療であの人がどれだけの利益を得るのか。それを考慮すればはした金みたいなものさ。大事な場面で自分の能力を安売りしちゃいけないよ。」確かにあのままじゃ大崎さんの政治生命は終わりだったかもしれない。政治に人生を掛けてきた様な人だから、人生が終わりだといっても過言ではないのかな。それをお金で買ったのだと言われればあの金額もわからなくはないか・・・。


 正直この半年、色々な人に紹介されてツネ婆さん達の生きる世界を見せてもらった。しかし未だにツネ婆さん達の常識は身についていない、やはり自分みたいなド庶民にはなかなか理解できないような世界なんだなぁと感じた。


 そういえばツネ婆さんが言った例の口座っていうのは、僕が二人を治療したお礼にとツネ婆さんが作ってくれた口座で、最初からそこには1千万円入っていた。口座名は(株)TOWA

 ツネ婆さんが会社として登記してくれた僕の口座だそうだ。

 「法律的にも社会的にも安全な口座さ。」とツネ婆さんは言っていた。



 身についた貧乏症はそんなに簡単に抜けないらしく、僕はその口座にほとんど手を付けていない。

 といってもあまり一人で出歩いたり、華怜と二人きりでデートしたりなんて機会もなかったしね・・・。

 大手ショッピングサイトと動画配信サービスに紐付けて、細かい日用品と大好きなドラマやアニメを観るのに使ってるぐらいだ。

 まぁ無駄使いだけはしないようにしよう。



 そういえば今回の治療を終えても、今までのようにぶっ倒れたり、気を失ったりすることも無く、とても普通な状態でいられている。


 若干身体の力が抜けたかな?って感じがするが、正直まったく問題がない。なんならもう一人ぐらい治療できますよって感じだ。


 最初のツネ婆さんの治療の時には2週間寝込んでしまったが、華怜の時も、その次のツネ婆さんの時も、無事に意識を保っていられた。

 治療の難易度にもよるのだろうが、身体に対する負担が減っているように感じている。


 すこしずつ成長しているっていう事なんだろうか?



 最後にもう一つ、今回の報酬はツネ婆さん個人から貰っているわけだけど、「この世界では、他人と直接金銭のやりとりをする事がタブーとされているのよ。だから治療の報酬についてはその人に出来る事で、後から返してもらおうと考えてるの。その恩恵は私にも関係することだから、あなたへの報酬は私から身内への個人的なお小遣いという形で渡すわね。まぁ仕組みが出来上がったら金銭のやり取りで対応できるようになると思うから。それまでね。」そう言われていた。


 その額がとんでもなくて、今もドキドキが止まらないけれど・・・。



 花咲永遠35歳彼女いない歴年齢と同じ。ただし婚約者はあり。本日、文字通り億万長者になりました。

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