第50話 朝

 はっ、と真結まゆいは目を覚ました。

 天井がほの明るい。

 外はもっと明るい。

 真っ白いほどに。

 朝だというのに、日はもう高くまで昇っているのだ。

 はあっ、と大きく息をつく。

 「美絹みきぬさ……」

 いや、それはここに参籠さんろうした――というより無理に置いて行かれて参籠役にされた――最初の朝のことだった。

 もちろん、もう五年め、かたちのうえでは七回めの参籠を果たした娘組の頭のところに、前の前の頭が来ることもない。

 だいたい、あの貞吉さだきちの家のなかのぜんぶを遊び場のように思ってる子どもたちを追いかけ回して、つかまえて、ときには叱って、遊び相手をしてあげて……という美絹さんに、こんなところに真結の様子を見に来る余裕があるわけがない。

 真結がここで目を覚ますのは、これが最後だ。

 真結はもうすぐとついで、娘組を抜ける。

 そして、いずれは、いまの美絹さんやあのこうさんのような、ばたばたした暮らしに入るのかも知れない。

 真結は、外に出た。

 夏の朝の日射しはもう強い。目を細めて日射しをさえぎり、そして、参籠所の外の汲み置きの水のところまで行く。

 顔を洗って、手ぬぐいで顔をぬぐい、ふと、真結は、昨日、手ぬぐいにくるんで持って来たものを思い出した。

 「夢じゃなかったよね」

 真結はそこで急いで参籠所に戻り、枕元のあたりを探る。

 白木の箱は、たしかにそこにあった。

 もともと、あのお姫様の持ちものだったという……。

 真結は小走りに参籠所の外に出ると、その箱を開けた。

 「あっ……」

 声が出そうになって、のどが動かなくなる。

 昨日の闇の中では、このつやのある石は黒く見えた。

 それは、いま、日の光を浴びて、目にも鮮やかに光っていた。

 「赤かったんだ……」

 真結は思い出す。

 あの「鬼あわび」の内側が、やっぱり赤い。

 あの赤がり固まって、これになるんだ……。

 そして、その宝物のような石は、大きい、赤い涙のかたちをしていた。

 これは、あのお姫様の涙……?

 だとすれば、辛いことがたくさんあったあの姫様の生涯のいつに流した涙だろう?

 その「辛いこと」の一つには、真結自身が関わっている。自分が信じようとしていた真結に裏切られたのを嘆く涙だろうか。

 ――胸がしめつけられるような思いがする。

 でも、その涙の凝った石も、いまは朝の日の光をいっぱいに浴び、その明かりでまたあたりをいっぱいに美しく照らそうとしていた。

 それは、あの五年前の朝に、日の光をうとましいと思った気もちまで、すっかり吹き飛ばすようだった。

 あの愛くるしいお姫様が、すぐ近くで、笑ったように感じた。

 ――声を立てるつもりはなかったのに、ちょっと声が漏れてしまったという、そんなふうな笑いかただった。

 だいじょうぶ、と思った。

 真結にだって、お姫様は、いつまでもずっとついていてくださる。真結の近くにずっといてくださる神様というのは、まずだれよりもこのお姫様なのだ。

 真結は、そのお姫様からのたまわり物をありがたく白木の箱にしまい、きっちり蓋をして胸に抱き、ちょっと小走りで参籠所のなかに戻る。

 奥様になったら、こうやって一日じゅう小走りしていなければいけなくなるのかな?

 そう考えると、真結は胸のなかが少しだけくすぐったいような気もちになった。


(終) 

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