第48話 月が昇るまでに(19)
「殿様になった」
「その
信じられない。
御領主のお家が海賊の子孫だなんて!
いや。
相瀬さんがいまうそを言うはずがない。
それに、お家が、その昔、関東
この何代か、御領主のお家を襲ったさまざまな変事、そして不幸……。
海賊の家柄なのなら、もしかするとそんなこともあるかも知れない。
しかも、それだけではない……。
話をたどってみる。
澣文公をはじめ、領主のお家はそのイングランド人の手下だった。
さっき、イングランド人は、いまもキリシタンだといっていた。
ということは……!
こわごわ、きいてみる。
「じゃ、御領主のお家は、もともとキリシタン……」
「だからそれを深くさぐると大騒ぎになるって言ったの!」
でも、今度は相瀬さんは得意そうだった。
まだ海がどんなところかわからないまま海に下りた幼い真結に、相瀬さんはこんな言いかたでいろんなことを教えてくれた。
岩場のあめふらしのこととか、ふじつぼが細い糸のような脚を海のなかに伸ばす話とか、がんがぜという、
相瀬は話を続ける。
「でもね。その殿様にくっついて城下に出るのがいやで、その人たちから分かれて、海のそばで暮らすことを選んだ人たちがいたんだ。それが、わたしたち、っていうかさ、
「ああ」
何がどうなっているのか、帰ってからゆっくり思い出し直してみよう、と思う。
「でも、それでどうして、そのことと、そのベンガラの大名が負けたことと、相瀬さんがここに来られなくなるのと、関係があるわけ?」
ぜんぜん違う話じゃない?
相瀬はひとつ頷いた。
「そのずっと昔の時代にね、イングランド人が岡平まで来なくなったのは、オランダと争って負けたからなんだよ。イングランドは、つまり、エゲレスは、一度、オランダにこっちのほうの海から追い出されてたんだ。それは
「うん」
「オランダ」ならばきいたことがある。もちろん東照大権現様もわかる。江戸にいらした最初の
「ところがさ、そのイングランドがさ、こんどはそのベンガルを根城にしちゃってさ。さっき言ったロード・クライヴって男が
相瀬さんは……。
もしかして、その、なんとかいうエゲレスの殿様に会ったことがあるのだろうか?
でも、そうは聞かずに
「じゃ、またこの岡平にも来たりするわけ? そのエゲレスの人たち」
「ま、ずっと先には、そうなるかもね」
相瀬さんは少しのんびりした口ぶりになった。
「そうなると、真結たちもみんなイングランドのことばを子どものうちから習わないといけなくなるかもね」
言って笑う。
「そ、それは……」
エゲレスのことばって、どんなことばだろう?
そんなことにはならないでほしいけど……。
相瀬さんはおもしろそうに笑って、言う。
「でも、わたしたちが生きてるあいだは、まだここまでは来ないよ、きっと。オランダだって負けたわけじゃないし、イスパニアだってルソンの国にがんばってるしね。それに、マカッサルとか、ジョホールとか、アチェーとかいろんな国があって。もちろんいま
わからない名まえがいっぱい出て来たけれど、一つひとつ説明をきいている時間は、ないのだろう。
「ともかく、わたしたち、っていまわたしがいるこの仲間はさ、昔、イングランドの王に逆らって逃げてきた仲間の子孫だから。もともと岡平にいた連中ともともといっしょだった。セントローレンスって街に住み着いたのがわたしたちで、岡平まで来たのがその鬼党っていう連中ね。だからきょうだいみたいなもんだよ。だから、イングランドの連中がこっちのほうに出て来たらさ、戦うにしても、取引するにしても、わたしたちがなんかやらないといけないから。だから、そっちにかかっちゃうと、ここに来るってことができなくなってしまうかも知れない。そういうことだよ」
「ガートルード!」
後ろから
「ザ・ムーン・イズ・ライジング! ウィ・マスト・リーヴ……」
「イエス」
相瀬さんはまた異国のことばで答えた。
これが、さっき相瀬さんが言っていたエゲレスとか何とかいう国のことばなんだろうか。
「だから、たぶん、わたしたち、もう会えない」
「……うん」
もし自分たちがあと十歳若かったら、こういうときに、また会えることを信じよう、って約束するのだと思う。
でも、相瀬さんも、自分も、もう大人なんだ。
もう自分は相瀬さんには会えない――そう思い、相瀬というひとはいなかったのだと自分で自分に言い聞かせてきて、そしてここで会えた。そんなめぐり合わせがまた起こらないとも限らない。
けれども、それは「もう会えない」と思っておくことのうちなのだ。
「最後にさ」
相瀬さんは言った。
「その
言いながら、そのうっとうしそうなふりふりの服の胸元に下がっていた、首飾りか胸飾りのようなものをはずす。
「おっ……おーうっ……!」
エゲレス人ってなんか呻き声も変わってるな、と思う。
でも、この国の男でも、すごく驚いたときにはこんな声を出すのかも知れない。そう考えると、似てもいるのかな、とも思う。
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