第44話 月が昇るまでに(15)

 「それだったら、その年も、わたし、これの受け渡ししたんだから、その舟で会ってるはずじゃない、相瀬あいせさんと?」

 「あ」

 相瀬が軽く頷く。

 「この舟ってさあ、もっと大きな船から来てるんだよ。その大きな船はもっと遠くに泊まってるんだけどさ。そこまで行ったわけ。遠くて、さすがに苦しくて、もうこのまま溺れるかと思ったけどね、でも、何とか。だから、真結まゆい筒島つつしまに来るときには、もういなかった。それはさ、真結にも会いたかった。もうちょっと筒島で待ってれば真結に会えたんだ! けどさ、ずっと讃州さんしゅうをやっつけるためにいっぱい仕込んだのをそれでふいにするわけにはいかなかったから。真結を信じないわけじゃないけど、あのころって、真結、わたしに会ったら、次の日から表情変わったと思うんだよ。それでさ」

 「いまも変わるかも知れないよ」

 笑って、それから。

 「そうだ。つらい話だけど、あのお姫様、死んじゃったよ。それも」

 「知ってる」

 相瀬も、厳しい、沈んだ声でこたえる。

 「だって、わたしがあれ突き止めたんだもん。あのときにあの讃州が姫様のことをどんなに悪く言ったかまで、ぜんぶいろんなところできいてさ。まったくもう! あのお姫様が稀代きたい醜女しゅうじょなんて、そんなはずないじゃない!」

 「え……?」

 真結は、よくわからなくなった。

 「あ?」

 しはらくして、何がよくわからなくなったか、わかる。

 讃州がお姫様を「稀代の醜女」などと書いていたのは、あの「田氏でんし春秋しゅんじゅう」という秘密の日記のなかだった。

 「あれ?」

 あれは、探索役の役人が讃州の部屋を探すまで、だれも知らない日記だったはずだが?

 「じゃあ、あの、日記って?」

 「もちろんわたしが書いた」

 相瀬が言う。

 当然のことのように!

 讃州の日記のはずなのに……。

 相瀬さんが書いた、って。

 どういうこと?

 相瀬は続けて言う。

 「でも、うそは書いてないよ。讃州が、そのときそのときに思っただろうってことを書いた。だから、あれは讃州が書いたものだって言ってもいいんだ。あいつが、でん氏っていう、昔、自分の国を乗っ取った唐国とうこくの国の家老にすごい興味を持ってたのも事実だしさ。ほんとさぁ、筆づかいとかさ、ことばづかいとかさ、字のまちがいのくせとかさ、あと讃州のやつ、九九まちがえて覚えててさ、そのまちがいまでちゃんと調べて書いたんだよ」

 「あっ……」

 あまりにあきれすぎて、「あきれた」の「あ」のあとが出てこない。

 「あたりまえだよ。姫様なぶり殺しにしてさぁ。まあ、姫様も覚悟はしてたんだけどね、そうなるっていう」

 そうか。

 その、姫様のことを書いた部分の字が震えていたのは、相良さがら讃州に後ろめたいところがあったのではなくて、相瀬さんがどうしても気もちを抑えられなかったからなんだ……。

 「あの桑江くわえ様も、わたしが言ったように自害を勧めたんだけど、わたしは自害はしませんって姫様に言われたら、無理に自害はさせられなかったんだ。それでさ、甲峰こうみねの浜で舟から降ろして。それでも桑江様は姫様が甲峰の浜で自害してくれるのを願ってたみたい」

 「うん。それはきいたよ」

 真結が暗い声で言う。

 「きいたんだ」

 「うん」

 相瀬は、目を瞬かせた。

 「それでさ、讃州が鎮西ちんぜいの名族の子孫だっていうのはうそだって書いた文書があるよ、って話をわたしが流したんだよね。新野あらのちゃんもおもしろがって、いっしょになってあちこちにそのうわさを振りまいて。そしたらさ、讃州、もうあわてちゃって。そんな文書ないんだけどさ、ほんとは。ほんと、焼いてこい、って言うんだよね。気にしてたんだなぁ、って思ったよ。あと、その福富ふくとみぎみがどうのこうのっていうのを仕組んだのもわたし。ま、わたしと新野ちゃんだね。それで、讃州、自害しちゃったんでしょ?」

 「まぁ、そうだけど」

 真結は、もうひとつ、きいてみようと思った。

 「じゃ、永遠寺ようおんじに相瀬さんが火をつけたっていうのは?」

 「そのことはさ」

 相瀬はものげな声を作っていう。

 「知らないほうがいい」

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