第32話 月が昇るまでに(3)

 その後ほどなく領主の刑部ぎょうぶが死去し、江戸で元服した、蟄居ちっきょしていた前の領主の息子の主馬しゅめ岡平おかだいらの領主となった。

 主馬は親の官途かんどを継いで「大炊頭おおいのかみ」を名のることになった。

 けれども、そのもとの主馬、新しい大炊頭は、しばらくは江戸にとどまったので、岡平は、家中で最も力のある家老、つまり相良さがら讃州さんしゅうの思うままになった。筆頭家老は野川のがわ玄斎げんさいという老家老だけれど、奉行や若手のお役人たちまで、領内の職は気がつけばほとんど讃州の息のかかった者に占められていた。玄斎は、讃州の決めたことにときどき苦言を申し述べるぐらいで、それもけっきょくは追認するだけの役割しか果たせなかった。

 相良讃州というと、相瀬あいせがいかにも軽蔑したように「サンシュー」という言いかたをしていたのを真結は思い出す――いまならば、懐かしく思い出せる。

 普通に考えれば、罪に問われた姫様が甲峰こうみね村に姿を現したのならば、その甲峰村の村人は疑われて当然だった。

 いくらなんでも、姫が米を盗んで生米をかじりながらひと月ほども生きられるわけがない。この村のだれかがかくまっていたと考えるのがあたりまえだ。

 だが、そうはならなかった。

 それは、この甲峰村が、讃州がもと住んでいた住人を追い出して、相模から招いた新しい住人を住まわせたところだったからだ。つまり、讃州が思いのままに作り上げようとしていた村だったからだ。

 海辺の村から、もとの住人を追い出して、相模や伊豆や東駿河から呼んだ住人を住まわせる――。

 その讃州の手は唐子からこ浜にも伸びてきた。

 といっても、唐子浜は年貢をきっちり払っているので、住人を追い払うことはできない。また、あの佃屋つくだやを初め、讃州に近い商人たちにとって、唐子の村はいい仕入れ先であり、いいお得意さんだった。そこからの口利きもあったのだろう。

 だが、讃州はあきらめなかった。

 もしかすると、讃州は、姫様をかくまったのがこの村だという疑いを持ちつづけていたのかも知れない。

 それでは、と、チャボ川が入り江に注ぐあたりのあしの茂みに目をつけた。

 漁師組が飯場に使っていた場所の少し奥だ。

 その葦の茂みを焼き払い、そこに南武蔵出身の者たちを住まわせて、そこを唐子浜の「新村しんむら」と呼んだ。

 そうなると、この北側の岩の上にあったもり大小母おおおば様の隠棲いんせい所が新村の向こうになってしまう。盛の大小母様は足腰が衰えたと言ってこの隠棲所を下りてしまった。お寺の庫裏くり別棟べつむねをもらって、そちらに移った。

 唐子浜と唐子新村とのあいだでは、それぞれの名主が、畑地と漁場りょうばの線引きをしただけで、人の行き来はなかった。新村ができた経緯を考えると、当然だろう。

 海では唐子新村の漁場は北の岬に沿ったあたりと決められた。

 これは海女組にとっては何の損にもらならなかった。

 もともと、この北の岬の側はチャボ川から濁った水が流れこむので、あまりいい漁場ではない。あわび海鼠なまこ海胆うにも村の岬の側が多い。北側には、あの海鼠の青いのしかいなかった。これは値が安い。それよりは、村の岬のほうに多い赤い海鼠のほうがずっと高く売れる。

 真結まゆいはいまでもこの海鼠が苦手だ。苦手だけれど、海女をやっている以上、つき合わなければならないと覚悟を決めている。

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