第29話 別れ(8)
「あいせ……さん……」
どうしたのだろう? 口が思うように動かない。
それに頭が痛い。
ああいうことをすると、こんなに頭が痛くなるものだろうか……?
初めてのことだから、わからない。
「あいせ……さん……」
いや、どうしたのだろう?
やわらかいけれども、薄い寝床に、薄い布団を掛け……。
ここは……?
自分の家ではない。祭礼のあいだずっと泊まっていた
三方の白い障子から、光は容赦なく照っていた。
目に映った天井が明るい。
では……ここは……?
自分の足もとに人影が見えて、真結ははっと目を覚ます。
体がいうことをきかないのを、むりやり支えて起こす。
「相瀬さん!」
「あのさぁ……」
困惑ぎみの声が聞こえる。
相瀬さん?
「相瀬さん?」
相瀬さんとは姿が違う!
「真結ちゃん、さっきからあいせさんあいせさんって言ってるけど、それ、だれよ?」
そのふんわりした声でわかる。
「
美絹は前の前の頭だ。その前でだらしないところを見せるのはよくない。
体はあいかわらず動きが悪いが、それを抑えて、真結はきちんと座る。
あくびが出てくるのを無理やり抑える。
でも、美絹はそのだらしのないところをきっちり見ていた。
「美絹さん、相瀬さん……相瀬さんは?」
よく覚えていないのだけれど、ともかく相瀬には謝らなければいけないことがある!
「だからさあ……」
朝の光――というには日が高く昇ってしまっているようだったが――のなかで、美絹は困ったように首を傾げた。頬と後れ毛に日の光が映え、細やかに美しく光る。
「だれ、そのあいせって?」
「えっ?」
頭の上から背中を、全身を冷や水が流れ下ったように感じる。
「だって、相瀬さん! 相瀬さんじゃない? わたしたちの頭で……」
真結は強く訴える。
「だって、海女の娘組の頭って、真結ちゃんでしょ?」
美絹は軽くいなすように答えた。
「えっ? いや、違う! 頭が相瀬さんで、わたしは次の頭……」
「ねえもうしっかりしてよ! 祭礼のお
「だって……だって、美絹さんの次が相瀬さんで、相瀬さんの次の頭がわたし! わたしは次の頭で、頭は相瀬さんじゃない!」
真結がこんな強い声を出すことはめったにない――もしかすると初めてかも知れない。
美絹は、大きく息を吸って、大きく息を吐いた。
「そんなことじゃないかと思ってわたしが来たんだけどさぁ」
美絹は教え
「いい? わたしの次の頭が真結ちゃんで、去年、わたしが
夢……。
「あ……だって……相瀬さ……ん……」
美絹は、真結のことばが途切れたのを見て、ほっと息をついて立ち上がった。
「早く外の
美絹は、その「わたしが教えた」の「わたし」にとくに力を入れて言うと、参籠所を下りて行ってしまった。
真結は軽く目を閉じた。
もちろん、今日の夜の「大仕事」について教えてくれたのは、美絹さんではない。
相瀬さんが、噛んで含めるように、教えてくれたのだ。
それだけじゃない。去年、美絹さんが嫁ぐことになって、急に頭になったのも相瀬さんだし、その去年と今年の参籠も相瀬さんがやっていたのだ。
だが……。
「いないことになってる……」
利発な真結が気づかないはずがなかった。
相瀬は、ひと晩でいないことにされてしまった。
もちろん、それは、罪人のお姫様をここの村人がかくまっていたとお城から言われたときに、相瀬なんて娘はもとからこの村にはいなかった、と言い抜けるためだろう。
相瀬は、夜のうちに、どこか遠いところに行ってしまったのだ。
たぶん、二度と戻って来ない。
真結は立ち上がった。
なぜか足がふらつく。けれども、倒れないようにして、外に出ることができた。
日は仰ぎ見なければいけないほど高く昇っている。これでは昼も同じだ。
それに、昼と同じように、
真結は、顔を洗う前に、その朝の高い日を仰ぎ見た。
日が照っていることをこんなに
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